■「無名の人々」によって成長した業界
IT業界にはビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズといった数多くの偉人が存在し、評伝が出版されている。しかし、そうしたビジョナリーだけでなく、数多くの名もなき人々の努力によってIT業界は成長してきた。特に日本では元祖ITベンチャーともいえるアスキーと、その周辺にいた人々の存在が大きい。こうした人間ドラマを当事者目線で記した書籍が『僕が伝えたかったこと、古川亨のパソコン秘史』(インプレスR&D、2015)だ。
著者の古川亨は8番目の社員としてアスキーに入社し、1986年にアスキーから分かれる形で独立したマイクロソフト(現:日本マイクロソフト)社長となり、DOS/V、Windowsなどの開発・普及に尽力した、日本のパソコン業界の中心的な人物だ。米国マイクロソフト副社長、慶応大学大学院メディアデザイン研究科教授などを歴任し、現在はベンチャー志望の若者の指導に当たっている。
『月刊アスキー」や『ログイン」をはじめ、出版社としての印象が強かったアスキーだが、パソコンのマニュアル製作や試作品のデバッグなどを通してメーカー各社との関係を深め、ホビーパソコンのMSX規格も提唱するなど、型にはまらない自由な社風を誇っていた。後にアスキーマイクロソフトを設立し、日本国内でMicrosoft BASICやMS-DOSなどの販売が始まると、古川自身も同社に出向し、パソコン産業の成長に尽力していくことになる。
■大企業とベンチャーによるタッグ
中でも驚かされるのが、本書でたびたび指摘されているとおり、パソコン開発を手がけたのがNEC・富士通・シャープといった大手企業でも傍流的な部署のエンジニアだったこと。そして彼らがアスキーのようなベンチャー企業と対等に付き合い、「この新しい世界は若い人に全権を委ねた方がいいという采配をした」ことだ。こうした「物のわかった大人」が数多くいたことが、日本のパソコン産業の成長に影ながら貢献したことがわかる。
秋葉原のマイコンショップや大学のマイコンクラブが創世記のパソコン業界ではたした役割にも驚かされる。まだパソコンが海のものとも山のものとも区別がつかず、メインフレームなどで開発を行っていたエンジニアからは玩具と見なされていた頃、そうした場所で新し物好きのマニアたちが集い、さまざまなコミュニティが形成されていった。そうしたコミュニティが交流し、刺激を与えあう中から、さまざまな人材が誕生していったのだ。
古川による本文に加えて、寄稿者による8本のコラムも読み応えがある。特にNECでワンボードマイコンのTKー80開発に携わった後藤富雄氏の「MSX参加せず、PCエンジン誕生」というコラムは、なぜNECホームエレクトロニクスがMSX規格に参加せず、ハドソンと提携してPCエンジンという独自規格のゲーム機を開発したのか、その経緯が垣間見えて興味深い。当初ソニーとの協業も検討されていたという証言には改めて驚かされた。
そして本書の白眉ともいえるのが、巻末の80人弱にも及ぶ人名録だ。それぞれ詳細な脚注で紹介されており、こうした多くの人々の取り組みによって、80年代から90年代の国産パソコン産業が形成されていったことがわかる。また、出版不況と言われる中、こうした書籍がコストの安い電子出版で出版された点もポイントだ。願わくばゲーム産業においても、こうしたキーパーソンによる回想録がどんどん出版されることを期待したい。