世界最大の博物館のひとつとして知られるイギリス・ロンドンの大英博物館で、2019年5月23日(木)~8月26日(月)、マンガ展「The Citi exhibition Manga」が開催された。本展覧会は、日本以外の国で開かれたマンガの展覧会としては最大規模であるうえに、大英博物館という場所の話題性も重なり、国内外の注目を浴びた。実際、約3カ月の開催期間中、おおよそ18万人が訪れ、大英博物館の企画展としては歴代最多来場者数を記録したという。本稿では、この歴史的な展覧会の見どころを報告する。
セインズベリー・エキシビションズ・ギャラリー外観
ウサギに先導され「マンガ」の世界へ
大英博物館の中にあるセインズベリー・エキシビションズ・ギャラリー(Sainsbury Exhibitions Gallery)が会場となった本展は、イギリスの作家ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』(1865年)から始まる。ウサギを追うアリスのように、来場者もウサギのイラストを追っているうちにイギリスから「マンガ」という不思議な世界にたどり着くのである。マンガ家のこうの史代が、鳥獣人物戯画からモチーフを得て描いたウサギのキャラクター「みみちゃん」がガイドとして本展のあちこちに登場したのも、この導入と関連している。
会場入り口の様子(左)。展覧会の導入部分に設置されたアリスのパネル(右)
お調子者の「みみちゃん」はこうの史代の『ギガタウン 漫符図譜』(朝日新聞出版、2018年)に登場したキャラクター
マンガの基本を説く
展覧会は6つのゾーンで構成され、それぞれのゾーンを通してさまざまな視点からマンガ文化にスポットをあてている。最初のゾーン「マンガという芸術(The art of manga)」では、マンガの読み方、作画から出版までの制作過程全般について紹介する。コマを読む順番やマンガで用いられる記号(漫符)など、日本ではもはや「一般常識」のように思われ、説明が省略されがちなことまで丁寧に解説している点が新鮮に感じられた。文字だけではなく、こうの史代の『ギガタウン 漫符図譜』(朝日新聞出版、2018年)のイラストや原画を使ったマンガの構造が学べるパネルもマンガ展らしい試みである。さらに、マンガを描く道具やマンガ編集部の映像も展示され、マンガ制作の裏側がうかがえるようになっていた。
「マンガを読む」では『ギガタウン 漫符図譜』の原画を展示した(左)ほか、同作を基にマンガの読み方を説明(右)
マンガの歴史をたどる
二つ目のゾーン「過去からまなぶ(Drawing on the past)」では、現代マンガの祖先と捉えられることも多い浮世絵や明治〜昭和初期の挿絵、雑誌などが陳列された。セクション「手塚登場」には、『新宝島』(1947年)や『鉄腕アトム』(「少年」1952〜68年)など、手塚治虫作品が並べられたほか、ディズニーのコミックスやフリッツ・ラングの映画『メトロポリス』(1927年)の一部も展示され、手塚作品との関係性を見せてくれた。日本のマンガが白黒で描かれるようになった理由、また各ジャンルにおける視覚表現の特徴にも触れた「マンガの表現スタイル」では、『ドラゴンボール』(鳥山明、1984〜95年)、『美少女戦士セーラームーン』(武内直子、1992〜97年)など多数の原画が飾られた。
ほかにもゾーン2では、2019年の3月に閉店した東京・神保町の書店「コミック高岡」の写真が大きく展示されるなど、時代とともに形を変えていくマンガの媒体についても考えさせてくれる。
手塚作品を中心に展示したエリア
「コミック高岡」の店内の様子を伝える写真パネル
マンガが取り上げるテーマの多様性
日本マンガの大きな特徴のひとつとしてよく挙げられる「テーマの多様性」は、ゾーン3「すべての人にマンガがある(A manga for everyone)」を通して紹介された。「スポーツ」、「過去の世界」、「恐怖」など、あらゆるテーマの魅力を、実際にそのテーマを扱ったマンガの原稿とともに味わうことができる。作品を挙げれば、1964〜92年にかけて断続的に執筆された『サイボーグ009』(石ノ森〔石森〕章太郎)、『あしたのジョー』(原作:高森朝雄、作画:ちばてつや、1968〜73年)、『地球へ…』(竹宮惠子、1977〜80年)、『キャプテン翼』(高橋陽一、1981〜88年)、『ONE PIECE』(尾田栄一郎、1997年〜)、『弟の夫』(田亀源五郎、2014〜17年)などである。時代もテーマもジャンルもそれぞれ異なる作品の原画や複製原画が一堂に集まった贅沢な空間となった。
ゾーン3では日本を代表するさまざまなマンガ作品が、ジャンルを越えて紹介された
日本社会に溶け込むマンガ
4つ目のゾーン、「マンガのちから(Power of manga)」は、マンガと社会の関係に注目した内容で構成された。マンガ風のキャラクターや視覚表現が用いられた広告や啓発ポスター、そして毎年多くのファンが集まるコミックマーケットの映像などを通して、日本人の日常生活に深く入り込んでいるマンガ文化を垣間見ることができる。また、このゾーンの一角にはコスプレ衣装も用意され、その場でコスプレを楽しむ来場者の姿も見られた。
ゾーン4ではマンガのキャラクターが用いられたポスター群が見られる
「マンガとミュージアム」というセクションでは、大英博物館とマンガの関わりについても述べられた。実際、大英博物館では10年以上前から「宗像教授異考録 大英博物館の大冒険」(星野之宣、2010〜2011年刊行の『宗像教授異考録』に収録)を筆頭にさまざまなマンガ原画を収集しており、マンガの展覧会を開催したのも今回が初めてではなかったという。日本の例として京都国際マンガミュージアムの紹介も入り、同館と京都精華大学国際マンガ研究センターにより制作された精巧な複製原画「原画’ (ダッシュ)」も展示された。ほかにも、『あの日からのマンガ』(しりあがり寿、2011年)、『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』(竜田一人、2013〜15年)のように、社会的反響を呼んだ作品が並び、発信力の強いメディアとしてのマンガの一面も示された。
個性的なキャラクター群と「新富座妖怪引幕」
「マンガとキャラクター(Power of line)」と名付けられた5つ目のゾーンでは、スタイルとタッチの異なる作家のマンガが主人公のキャラクターとともに展示され、好きなキャラクターの前で熱く語ったり、写真を撮ったりするファンの姿があちこちで見られた。しかし、なんと言ってもこのゾーンで最も目立ったのは、河鍋暁斎の作品《新富座妖怪引幕》(1880年)である。暁斎が4時間で描き上げたというこの巨大な作品には、デフォルメの効いた表現方法を見ても、どこかマンガとの繋がりを連想させる何かがあるように感じさせられた。
河鍋暁斎画《新富座妖怪引幕》。妖怪たちは当時活躍していた九代目市川団十郎、五代目尾上菊五郎らをモデルとして描かれた
本展のように多数の作品を扱うマンガ展が開催される度に、ファンのあいだでは「なぜあの作品はここにないのか?」という疑問が起こりがちである。しかし、日本マンガ市場の巨大さやこれまで発表されてきた作品の量を考えると、そもそも歴代名作マンガをすべて展示することは不可能である。さらに、作家や出版社の都合など諸事情により展示することができないマンガもあることを考えると、大英博物館がセレクトしたのはマンガ文化全般を紹介するための十分な根拠がある作品だったと言えるだろう。
メディアや国境を越えるマンガ
最後のゾーン「マンガに際限なし(Manga: no limits)」では、メディアの境界線や国境を越えたマンガの広がりに焦点が当てられた。メディアミックスはこのゾーン6のひとつのキーワードでもあり、マンガが原作になったアニメやゲームはもちろん、ビデオゲームから始まりアニメやマンガとしても制作された「ポケットモンスター(ポケモン)」シリーズ(1996年〜)の例も紹介された。また、マンガを題材にした現代美術作品も会場に設置されるなど、マンガとほかのメディアとの融合を多様な形で見ることができた。スタジオジブリのセクションも設けられ、作品制作の裏側がうかがえる一面も。展覧会の最後には、井上雄彦による描き下ろし原画3枚が展示され、本展のフィナーレを飾った。
「融合するメディア」と題されたセクションではポケモンなどが展示された(左)。マンガの「描き文字」をモチーフにした赤塚りえ子による作品《家訓(ディテール)》(右) © 赤塚りえ子
「効果線」など、マンガにおける視覚表現も会場の随所にあしらわれている
賛否両論のある「マンガ展」
単に規模が大きいだけではなく、日本のマンガ文化をあらゆる側面から注目した点でも、本展は非常に見応えのある展覧会だった。マンガファンにとっても、マンガ文化に詳しくない人にとっても基本的な情報を得ることができるいい内容だったが、気になるのは今後の展開である。今回の多くの人々に向けたマンガ展を踏まえて、今後大英博物館がどのようなマンガ展をつくり出すかが注目される。
開催国イギリスでは、好意的な意見も多かったが、一方、「大英博物館は芸術的かつ歴史的な発見を求めて行くところである。なぜそんな大英博物館でマンガ展を開催しなければならないのか?」という疑問を投げた「ガーディアン」紙を含め、本展を批判する声も少なくなかった。マンガファンやマンガ家のなかにも、「マンガは読むものであって、展示で見るものではない」とマンガ展に批判的な意見を持つ人がいることを考えれば、否定的な反応が出てくるのも珍しくはない。このような議論を見ると、私たちの認識の変化よりも速く、マンガの楽しみ方は進化しているのかもしれないと思わざるを得ない。そもそもこうした意見は、過去に日本で開催されたマンガ展に対しても投げかけられてきたものである。しかし、現在多数のマンガ関連ミュージアムが存在し、マンガ展の文化が根付きつつある日本の状況を見れば、近い将来海外でもマンガ展が定着していくことも考えられる。
賛否両論はあったものの、冒頭でも言及したように、有料の企画展だったのにもかかわらず、約18万という前例のない来場者数を記録し、さらにその約20%は16歳以下と集計されたのは否定できない結果である。年齢層の高い来館者が多い大英博物館にとって、この数字が意味することは大きい。世界各地で若者のミュージアム離れが指摘されるなか、大英におけるマンガ展の成功は、年々増えていく外国の日本マンガ展の開催にさらなる拍車をかけ、ひいてはミュージアムの今後の可能性を見せてくれたとも言えるだろう。
(information)
The Citi exhibition Manga
会期:2019年5月23日(木)~8月26日(月)
会場:大英博物館 セインズベリー・エキシビションズ・ギャラリー
料金:大人19.50ポンド、16~18歳16.00ポンド、16歳以下無料(要付き添い)※大英博物館会員は無料
主催:大英博物館
https://www.britishmuseum.org/whats_on/exhibitions/manga.aspx
※URLは2019年10月8日にリンクを確認済み
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