マンガ雑誌の黄金期を支えた編集者の証言から、当時のマンガ出版界を見ていく連載の第5回。今回は「週刊少年サンデー」や「ビッグコミック」に携わり、今も現役のコミック編集者である佐藤敏章(さとう・としあき)が登場。ライバル誌に対抗するために「少年サンデー」がとった行動とは……。
佐藤敏章
いきなり25%の部数減
小学館の「週刊少年サンデー」の創刊は、1959年。ライバルの講談社「週刊少年マガジン」と、創刊のタイミングや定価設定、マンガ家の起用などをめぐって水面下でつばぜり合いを演じたことは、創刊から60年経った今でも語り継がれている。
1970年代後半から80年代前半には、高橋留美子の『うる星やつら』(1978~87)やあだち充の『タッチ』(1981~86)に代表されるラブコメ路線で、「週刊少年チャンピオン」を抜いて少年週刊誌第2位に浮上。82年末発売の83年3・4合併号では228万部の最高部数を記録して、トップの「週刊少年ジャンプ」の背中を捕らえた。
のちに「ビッグコミック」の編集長になる佐藤敏章は、入社後の1973〜79年は「週刊少年サンデー」編集部、79〜84年は「ビッグコミック」編集部に在籍。再び「週刊少年サンデー」編集部に異動したのは最高部数から1年後の84年。6年ぶりの少年誌だった。
「83年の1月にピークを迎えた『サンデー』(週刊少年サンデー)でしたが、その後1年間で25%も部数を落としてしまったんです。てこ入れのために編集長が田中一喜さんから猪俣光一郎さんに代わって、僕も『ビッグコミック』から移ったんです。田中一喜さんはすでに8年くらい編集長を務めていましたから、そろそろ上のポストにという含みもあったと思います。そのとき猪俣さんが打ち出したテーマが“ちゃんと読める雑誌にしよう”――。そのころの編集部はマンガ家さんに割と自由に描かせていたんです。売れていた時期にそういう雰囲気になっていたんですね。それはやめにして、作品を方向付けする仕事は編集者がしっかりやろう、ということなんですね。編集者がマンガ家さんをコントロールできないから、読者を無視した作品が増えて、売上も落ちた、という考えです。ベテランのマンガ家さんならいいんですけど、それほどキャリアのない若い人もヘンに慣れてしまって、デビューして間もないのに作品の内容がゆるくなっている、という印象はたしかにありました」
この当時、ライバルの「週刊少年ジャンプ」や「週刊少年マガジン」では編集部の意向で連載の途中でいきなり展開が変わることが珍しくなかったのに対して、「週刊少年サンデー」の連載作品には大きく軌道修正されるようなケースが少なかった、と記憶する。マンガ家の作家性を重視していたと解釈すれば悪いことではないが、ストーリーが単調だったり、なかなか展開しない、といった読者としての不満があったのも確かだ。
「こうなった原因のひとつは、80年代前半に小学館内で雑誌の創刊ラッシュがあって、副編集長やデスククラスの人材が薄くなったこともあるんです。マンガ雑誌も、79年に『マンガくん』が『少年ビッグコミック』にリニューアルされて、80年に『ビッグコミックスピリッツ』と『プチフラワー』が生まれて、81年に『ビッグコミックフォアレディ』……。『サンデー』編集部はその波をモロにかぶったんです。228万部をつくった人たちがほとんど新しい雑誌の編集部に異動させられてしまったんです。小学館は、学年誌が母体だけあって、4色グラビアも2色口絵も活版の記事ページもやれて一人前。“マンガの編集はだれにでもできる”と考えられていたフシがあります。ノウハウの蓄積とか継承とかって考えていたのかなあ」
「ぴっかぴかの一年生」で知られる小学館の学年誌は、かつては「小学一年生」から「小学六年生」まで学年ごとのラインナップを揃え、小学館の雑誌の中核を占めていた。「週刊少年サンデー」も、創刊当時は学年誌のお兄さん的な位置づけて、小説やノンフィクションが中心の構成だった。マンガは半分にも満たなかったのだ。
「せっかくマンガの編集者として育っても、いきなり児童書に移ったり、美術書に移ったり、男性週刊誌に移ったり、担当替えも頻繁です。だから、ノウハウの蓄積も個人どまりなんですね。新人編集者が配属されてきても、何をどうしたらいいのかわからないから、キャリアの浅いマンガ家さんにも任せっぱなしってことになる。あくまでも私見ですけど。」
6年間で変わっていた少年誌の世界
佐藤が前回の「少年サンデー」編集部時代に担当したのは、大ヒットした雁屋哲・原作、池上遼一・作画の『男組』(1974~79)などだった。しかし、異動後にまず任されたのはマンガではなく、月刊の「週刊少年サンデー増刊号」の進行と、本誌では巻頭の口絵ページだったという。
「『マガジン』(週刊少年マガジン)がグラビアアイドルで人気を集めていましたから、あれをやれということですよ。でも、向こうは『ミスマガジン』(1982~)とか、お金もいっぱい掛けてやっているのに、うちは掛けるお金ないんです。とりあえず、フリーのコーディネーターとライターを見つけて外注委託したんですけど、芸能プロダクションは一番売れているグラビアアイドルは使わせてくれないんです。そういう子は『マガジン』で、うちに出てくれるのは二番手です。中にはのちに大スターになった子もいましたけど、読者が求めているのは今のスターなんです。結局、二番煎じではダメですよ」
講談社が「週刊少年マガジン」誌上ではじめた「ミスマガジン」は、写真家の野村誠一と編集部が協力して、読者からの投稿により少年誌からグラビアアイドルを誕生させるという企画。第1回グランプリには伊藤麻衣子、第2回グランプリには加藤香子、準グランプリに白石さおり、第3回グランプリには斉藤由貴、と80年代のアイドル登竜門にもなったイベントだ。この時期から、「週刊少年ジャンプ」を除く少年週刊誌3誌の表紙は水着姿のグラビアアイドルが飾ることが定着していったのだ。
「グラビアページをつくりながら、それでもマンガをどうしてもやりたくて、担当者の了解もとって、池上さんにお願いしたのが、原作の工藤かずやさんとコンビを組んでもらった『舞』(1985~86)でした。久住舞という14歳の女の子が主人公の超能力アクション。池上さんは『男組』があんなにヒットしたのに、それ以降の作品があまり評判にならず、元担当編集としても何か新しいものにチャレンジして欲しかったんです。編集長にも“良いアイディアがあるからやらして”って。ところが、スタートさせてみると、前作よりはましだけど、さほど人気が出ない。つまり、僕がいない6年の間に『サンデー』をめぐる環境が、読者の嗜好も含めて大きく変わっていたことにようやく気づいたわけです。ストレートなドラマは、とてもやりづらくなっていましたね。少しコメディっぽく振らないと受けない。編集部も、高橋留美子さん、あだち充さん、新谷かおるさんまでは別扱いだけど、そのほかのマンガ家さんについてはちゃんと作品にコミットできる体制に変えようとしたけど、これが難しいんです。もう、マンガ家さんは自由に描くのに慣れているし、若い編集者もマンガ家さんと仲良しになっちゃっていましたから。これを変えるのは難儀です」
85年には石渡治のボクシング・マンガ『B・B』(1985~91)や上條淳士のロック・マンガ『To-y』(1985~87)などがヒットするが、80年代半ばには『うる星やつら』『タッチ』が相次いで完結。1987年には追い上げていた「週刊少年マガジン」に2位の座を奪われることになった。
再び編集長交代で誌面刷新
編集長人事も1987年に動いた。猪俣光一郎に代わって編集長になった熊谷玄典はギャグマンガを強化するために他誌からの引き抜きを行ったほか、石ノ森章太郎の『仮面ライダーBlack』(1987~88)や楳図かずおの『まことちゃん』(平成版、1988~89)など、ベテランのリバイバル作品を増やすなどした。
「熊谷さんは“マガジンみたいな雑誌にする”というわけです。マンガの王道でいくという意味だと思うんですけど、びっくりしましたね。紙面を刷新して、実績のあるベテランマンガ家さんやテレビとのタイアップを重視する方針を打ち出したんです。石ノ森さんの『仮面ライダーBlack』は、立ち上げを僕が担当しました。もともとは新人が担当するはずだったんですけど、はじめだけやってよ、ということで。マンガも『仮面ライダー』ファンの若手のマンガ家さんがいたんで、彼に作画を担当してもらおうとか考えたんですが、企画が通らなくて。この時期は、連載の立ち上げだけ面倒を見て欲しい、ということが多かったですね。単行本にして2冊くらいで、“ご苦労さん”と取り上げられていました。『舞』も2巻がでたところで後輩に担当を譲りました。本誌の方はそんな調子で……。あの時代の僕は、デスクから副編集長という立場でしたが、本誌のマンガは、あまり触らせてもらえなかったですね。ま、編集長とは違うこと考えていたんですから、当然と言えば当然なんですが。で、自ずと増刊と新人の待遇改善の方に力を入れることになるんです」
佐藤が編集として関わった増刊の話は後半のお楽しみとしたい。
佐藤敏章
1949年、福岡県生まれ。73年に立命館大学卒業後、小学館に入社。「少年サンデー」「ビッグコミック」の編集に携わり、96年から99年まで「ビッグコミック」編集長。コミックス編集室に異動の後、コミック関係者へのインタビューを試み、その一部を「ビッグコミック スペシャル増刊」「ビッグコミック 1」に『神様の伴走者』のタイトルで掲載。2010年、小学館を定年退職。現在もなおフリーランサーとして“生涯一コミック編集者”の道を邁進中。現在、さいとう・たかを劇画文化財団、理事。
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