妖怪ウォッチ、アマビエ、そしてゲゲゲの鬼太郎。日本は“怪獣大国”であると同時に、“妖怪大国”でもある。かわいくもあり、恐ろしくもある彼らは、まさに似て非なるものたちだ。しかし、両者が限りなくイコールで結ばれていた時代も確かに存在した。怪獣と妖怪、その境目はいったいどこにあるのだろうか?

「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズより蛟龍。そのものズバリな「妖怪獣」なる異名を持ち、自衛隊の攻撃を物ともせず、東京で暴れまわった

※写真のフィギュアはすべて筆者の私物

空前のアマビエブーム

新型コロナウイルスの世界的流行によって、我々の日常生活に大きな変化が生じている昨今、とある妖怪が急激に知名度を上げている。アマビエだ。江戸時代後期、肥後(現在の熊本県)の海に現われた人魚のような化け物が、土地の役人に対してアマビエと名乗り、「当年から6年の間は諸国豊作である。しかし病気が流行ったら、私の写し絵を人々に見せよ」と告げて、海中に消えていったらしい。この奇妙な出来事は、当時(弘化3年4月中旬)の瓦版に記されているのだが、一説ではアマビコと呼ばれる同様のいわれを持つ妖怪の名前を書き誤った、もしくは故意に書き換えて伝えられたものともいわれている。いずれにせよ、あまり有名とはいえない妖怪だ。ところが、今年の2月下旬からTwitterを中心に、SNS上にアマビエのイラストを投稿する人々が急増。各地でグッズ展開がなされ、しまいには厚生労働省による新型コロナウイルス感染症の拡大防止のための啓発アイコンのモチーフに選ばれるまでに至った。もっともアマビエは、自分の写し絵を見せよと言っているだけで、その御利益に関しては特に触れておらず、むしろ広めるならばアマビコのほうが正しいのではないかと考える者もいる(註1)。しかし、実在するわけでもなければ、特定の人物が著作権を所有するキャラクターでもない妖怪は、時代とともに大衆のあいだで姿や特性を変えていくものなのだ。

左から「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズよりぬりかべ、一反もめん。2018年から2020年にかけて放映されたアニメ最新シリーズのグッズで、全国の量販店や玩具屋の棚に並んでいた

例えば、ぬりかべという妖怪の名前を耳にしたとき、皆さんはどんなカタチを思い浮かべるだろうか。巨大なコンニャクから手足が生えたような、妙に愛嬌のある巨岩ではないかと思う。じつはこの姿、「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズで知られる水木しげるの完全なる創作なのだ。実際、水木の参照元であったとされる柳田國男の『妖怪談義』(註2)には、筑前(現在の福岡県)遠賀郡の海岸では、夜道を歩いていると、急に行く先が壁になり、どこへも行けなくなってしまうことがあり、それを「塗り壁」と呼んで恐れている……というようなことが書かれている。本来、ぬりかべとは化け物ではなく、一種の怪奇現象のことだったのである。しかし水木は、この伝承からイメージを膨らませてビジュアル化、見事なまでにキャッチーなキャラクターとして認知を広めたわけだ。

なお、江戸時代に制作されたと思しき『化物づくし絵巻』(註3)にも、ぬりかべというブルドッグのような三つ目の妖怪が描かれている。「これが本物のぬりかべ?」などと話題になったことがあったものの、特に説明書きなどが添えられていない絵巻物だったため、このぬりかべと福岡県に伝わる塗り壁が同一のものなのかどうかは、今をもって謎のままである。とまれかくまれ現在の日本人にとって、ぬりかべといえば、「ぬりかべ~」と言いながら、鬼太郎の盾となり、自らの身体に敵を塗り込んでしまう正義の妖怪だろう。大元の伝承からは、随分とかけ離れた存在になってしまったが、それでいいのだ。同じように、アマビエが御利益をもたらす妖怪に変わったとしても、特に大きな問題はないと思われる。

ゴジラの血

「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズより大海獣。太古より生き続けるゼオクロノドンの血液を注入された鬼太郎が変身した姿で、核爆発にも耐えうる強靭な肉体を誇る

さて、ここからが本題だ。現在の妖怪像は、水木しげるが鬼太郎とともに築き上げたものといっても過言ではない。なにせ「ゲゲゲの鬼太郎」は、これまで6度もテレビアニメ化されており、いずれも高い人気を得てきた。1968年から1969年にかけて放送された第1期シリーズ以降――その続編として2年後につくられた第2期シリーズを除けば――ほぼ10年おきに新作シリーズを発表しているため、どの世代の日本人にとってもオーソドックスな“妖怪もの”という立ち位置のはずだ。奈良県や兵庫県に伝わる砂かけばばあ、徳島県の子泣きじじい、鹿児島県の一反もめん、そしてぬりかべは、水木自身が生み出した鬼太郎、目玉おやじ、ねずみ男、ねこ娘らとともに「鬼太郎ファミリー」として周知されている。もはや国民的キャラクターと呼んでも差し支えあるまい。また、これは妖怪という未知のキャラクターを世間に浸透させるための戦略だったと考える向きもあるのだが、水木は自らがデザインを考案した妖怪たちの権利を、ことさらに主張することがなかったという。その結果、水木と関係のないところでつくられた妖怪図鑑や映像作品などにも、彼のデザインに則した妖怪が登場することとなった。だから、誰もが同じようなカタチの油すましを、子泣きじじいを、ぬりかべを思い浮かべるのだ。

もちろん、水木以外にも妖怪を描いていた画家は大勢いる。江戸時代の鳥山石燕(註4)や竹原春泉斎(註5)などがそうだ。しかし石燕らは、特に妖怪という括りで化け物の絵巻を発表していたわけではなかった。さらに柳田國男の提唱する妖怪の定義も、現在知られているそれとは少々異なる(註6)。鬼、河童、天狗、化け猫、幽霊、一つ目小僧、土ころび、ぬらりひょん、キジムナー……こういったものをまとめて妖怪と呼びはじめた人物こそが、水木である。いわば妖怪とは、水木セレクションによる異形たちのことなのだ。文字どおり怪しい獣という意味だった「怪獣」が、ゴジラの登場とともにゴジラのような巨大生物を意味する言葉になったように、「妖怪」もまた水木以前と以後で異なるニュアンスを持つようになった概念といえよう。

もっとも水木の妖怪観にしたところで、一朝一夕に完成したものではない。むしろ初期の作品に登場する妖怪は、誰もが思い浮かべるような土着的な超自然の存在ではなく、どちらかというとSF寄りの……それこそ怪獣に親しい雰囲気をまとっている連中も多かった。そして、その時期の名残りは、鬼太郎の設定にも見受けられる。鬼太郎は“幽霊の子”とされるが、実際には〈幽霊族〉と呼ばれる地球の先住民族の末裔だ。人跡未踏の山奥や地底に暮らす幽霊族は、人間が寝静まった夜に地上に出てきてオケラやカエルを喰らっていた。これを目撃した大昔の人々は、彼らを幽霊だと思い込んだという。つまり幽霊ではなく、幽霊のような見てくれの一族の子どもだったのだ。もっとも作品が続くにつれ、本物の幽霊や死後の世界も出てくるようになるのだが、マンガが始まった時点では霊魂の存在を否定すらしていた。その変遷について、もう少し詳しく書いてみよう。

鬼太郎のルーツは、昭和の初めにヒットした伊藤正美による紙芝居『ハカバキタロー(墓場奇太郎)』にあり、鬼太郎自身も『蛇人』(1954年)なる紙芝居でデビューしたキャラクターだ。本稿のメインテーマから外れるため、紙芝居時代については注釈に譲るが(註7)、やがて水木は紙芝居作家からマンガ家に転向。我々のよく知る鬼太郎、目玉おやじ、ねずみ男らが登場する貸本マンガ「墓場鬼太郎」シリーズ(1960~1964年)、さらにそのリブート作品ともいえる連載マンガ『墓場の鬼太郎(ゲゲゲの鬼太郎)』(1965~1969年、「週刊少年マガジン」)などを執筆する。ただし貸本時代や連載当初の『鬼太郎』は、エピソードごとに異なる敵妖怪が登場するような内容ではなく、化け物と戦うこと“も”ある怪奇マンガという風情だった。もちろん、妖怪然とした妖怪が出てくることもあるのだが、例えば水神様と崇められている妖怪であれば、その正体は透明な細胞を持つ太古の液体生物だった! というようなSF的バックボーンが用意されていた(註8)。あるいは、のびあがりという妖怪。元は愛媛県に伝わる、見れば見るほど背が高くなっていくというカワウソの化身なのだが、『墓場の鬼太郎』では地上の生物とは異なる発達を遂げた地下生物という説明がなされる。地元の人間は妖怪のびあがりだと思って恐れていたが、実際のところはオバケではなく生き物だったというわけだ(註9)。この手の発想は、往年の怪獣映画でもよく見られるもの。東宝が制作した『大怪獣バラン』(1958年)は、中生代の巨大爬虫類バラノポーダの生き残りが、東北地方の集落でバラダギサマ(婆羅陀魏山神)として崇拝されていたという物語だった。ゴジラの名も、その出現地である大戸島の海神伝説に謳われる呉爾羅に由来するという設定だ。そして『墓場の鬼太郎』には、鬼太郎がゴジラのように巨大な怪獣に変身するという話もある。アニメシリーズでも頻繁に映像化されている人気エピソード「大海獣」だ。

『墓場の鬼太郎』より「大海獣」第1回扉絵
『水木しげる漫画大全集029 ゲゲゲの鬼太郎1』(2016年、講談社)239ページ
『怪獣ラバン』表紙
『水木しげる漫画大全集003 貸本漫画集3怪獣ラバン他』(2016年、講談社)5ページ

日本の探検隊メンバーの一員としてニューギニア奥地を訪れた鬼太郎は、手柄を独り占めしようとした科学者によって、大湿地帯で発見された大海獣=3億年も生き永らえていたというクジラの祖先ゼオクロノドンの血液を注射され、自らも大海獣になってしまう。さらに科学者は証拠隠滅を図るため、東京に上陸した鬼太郎を機械仕掛けの〈鉄の大海獣〉で迎え撃つ。さながら『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年)、もしくは『キングコングの逆襲』(1967年)だが、『鬼太郎』のほうがやや早かった。水木としても会心のアイデアだったのか、同様のプロットで描かれた作品がいくつもあり(註10)、例えば貸本版「墓場鬼太郎」シリーズの『ないしょの話』(1964年、東考社)もそのひとつ。こちらにはロボットが出てこず、鬼太郎が変身するわけではないのだが、やはりニューギニアで発見された鯨神ことゼウグロドン(註11)の血を注射された科学者が、大海獣に変貌してしまうというストーリーだった。傑作「大海獣」は、過去に描いた『ないしょの話』を元ネタに、よりスケールアップさせたものだったというわけだ。しかし水木の作品には、もっと「大海獣」に近い作品がある。東一郎名義で発表された貸本マンガ『怪獣ラバン』(1958年、暁星書房)だ。例によってニューギニアで発見されたゴジラの血を注射された科学者が、トカゲのような怪獣ラバンになってしまい、最後はラバン17号(鉄のラバン)なる巨大ロボットと激突するという話で、ゴジラそのものが登場することに驚かれた方も多いのではないかと思う(註12)。おおらかな時代だったといえばそれまでだが、水木は怪獣映画が好きだったらしく、特に『ゴジラ』(1954年)は公開中に3回も観たと語っている。『鬼太郎』をはじめとする諸作品に、怪獣映画のテイストが感じられるのもむべなるかな。ただし、この程度の共通性を以て、妖怪と怪獣をニアイコールで結べると強弁するつもりはない。

妖怪と怪獣文化との最接近は、水木の描くマンガのなかというよりも、その映像化のときに起きたのだ。そして水木の映像化作品第1号は、『鬼太郎』ではなく、もうひとつの代表作『悪魔くん』(「少年マガジン」版:1966~1967年)だった。しかもテレビアニメではなく、実写のドラマシリーズ、いわゆる特撮ものである。1966年、まさに「第一次怪獣ブーム」へと突入しつつある時代に、悪魔くんと妖怪たちは、きわめて類似した存在である怪獣を隠れ蓑にして世の中に進出していく――。


(脚注)
*1
2007年から2009年にかけて放映されたテレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の第5期シリーズには、鬼太郎に与する日本妖怪四十七士のひとりとしてアマビエが登場した。その際、「あたいの姿を絵に写すといいよ。健康になるよ!」と語っており、10年以上前からアマビエにも疫病などを退ける能力があるように解釈されていたことがわかる。

*2
日本の民俗学の礎を築いたとされる柳田國男が、日本各地で蒐集した怪異伝承を編纂した大著。初版は1856年に、修道社より発売された。鬼太郎の仲間として登場する妖怪の多くは、こちらで柳田が紹介したものから選ばれている。

*3
江戸時代後期の画家、狩野由信による絵巻物。妖怪の名前は添えられていなかったが、米国・ブリガムヤング大学のハロルド・B・リー図書館が所蔵する『化物之繪』に同様の三つ目の妖怪が描かれており、驚きの正体が判明した。

*4
江戸時代中期の画家。全12冊にも及ぶ「画図百鬼夜行」シリーズは、長きにわたって受け継がれてきた伝統的な化け物の絵を集大成したもので、後世の妖怪デザインに大きな影響を与えた。「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズの敵妖怪も、こちらを参考に描かれたものが多い。

*5
桃山人による『絵本百物語』の挿絵を担当した画家。小豆洗いやお歯黒べったり、二口女など、こちらを参考に描かれた水木妖怪も少なくない。ちなみに桃山人は、江戸時代後期の戯作者とされる。

*6
妖怪は出る場所が決まっているが、幽霊は決まっていない。妖怪はたそがれ時に出るが、幽霊は丑三つ時に出るなど、妖怪と幽霊を区別して考えていた。

*7
水木の回想によると、第1作『蛇人』は蛇の腹から生まれた鬼太郎が、自分を苦しめた者たちに復讐していくという物語だったらしい。その後、目玉おやじが登場する『空手鬼太郎』や『ガロア』『幽霊の手』といった続編も描かれた。伊藤正美の『ハカバキタロー』は、姑にいびり殺された妊婦から生まれた奇太郎が、母親をいじめた者に復讐するというストーリーで、水木のものとは大きく異なる。

*8
「鬼太郎夜話」シリーズの一篇として、三洋社より出版された『水神様がやってきた』。現在、同シリーズは『墓場鬼太郎』としてまとめられており、「月刊漫画 ガロ」に掲載されていた『鬼太郎夜話』(1967~1969年)とは異なる。

*9
『墓場の鬼太郎』の初期エピソードである「吸血木」。「週刊少年マガジン」1966年4月3日号に掲載された。(第2期を除く)すべてのテレビアニメシリーズで映像化された人気作で、特に最新シリーズでは記念すべき第1話に選ばれた。のびあがりの設定では、作品によって異なる。

*10
水木のマンガ家デビュー作『ロケットマン』(1958年)は、宇宙生物に身体を乗っ取られた科学者が、クラゲのような怪獣グラヤに変貌してしまうストーリー。グラヤを迎え撃つネオ・ドライやグラヤそっくりの〈鉄のグラヤ〉というロボットも登場する。紙芝居作家時代に描かれた『人間ゴジラ(巨人ゴジラ)』と『人鯨』も――現存していないため、詳細は不明だが――やはり人間が異形に変身してしまう物語だったらしい。

*11
別名・バシロサウルス。前述のゼオクロノドンとは違い、新生代に実在していた海棲哺乳類。ただし、化石から類推される姿かたちは、マンガに登場する大海獣とは大きく異なり、陸上で生活していたとも考えられていない。

*12
「ゴジラはつくり話だ………」というセリフもあり、厳密にはゴジラそのものではなく、ゴジラのような巨大生物をゴジラと呼んでいるにすぎない。ただし、その口から吐き出す熱線には放射能が含まれており、姿かたちもゴジラそっくりに描かれていた。