2019年にケーブル局HBO(Home Box Office)で制作された連続ドラマ『ウォッチメン』は1980年代後半の著名な同名コミックスの後日譚として創作され話題を呼んだ。ロバート・レッドフォードが大統領に就任している架空の2019年米国を舞台に、しかし「ブラック・ライヴズ・マター」をはじめ、きわめて現代的なイシューが幾層にも折り込まれた同作を精細に読み解く。

『Watchmen: An HBO Limited Series』Blu-ray

『ゲーム・オブ・スローンズ』と『ウォッチメン』

2019年、第71回プライムタイム・エミー賞で最多受賞(12部門)に輝いたのは、同年5月に最終第8シーズンの幕を下ろしたHBO作品『ゲーム・オブ・スローンズ』だった。2020年の第72回エミー賞では、やはりHBOのドラマ『ウォッチメン』(2019年10月~12月放送、全9話)が最多受賞(11部門)を果たした。同じケーブルテレビ局により制作され、著名な原作を持つ点でも共通していながら、2つの作品はある意味で対照的だ。

『ゲーム・オブ・スローンズ』は、1990年代に執筆開始されたジョージ・R・R・マーティンの傑作ファンタジー小説『氷と炎の歌』のおおむね忠実な映像化を目指して企画された。2つの架空の大陸にまたがる壮大な物語には多様な女たち男たちが登場するけれど、主役級の登場人物はみなわれわれの地球における「西洋」の「白人」に相当する。なかでもデナーリス・ターガリエン(演:エミリア・クラーク)は代々プラチナブロンドの髪と薄い色の瞳を受け継いできた一族の末裔で、白人至上主義の具現化のようにさえ見える。「黒人」の登場人物としては、ミッサンデイ(演:ナタリー・エマニュエル)とグレイワーム(演:ジェイコブ・アンダーソン)といういずれも魅力的な脇役がいるけれども、デナーリスに解放された元奴隷である彼らの役割はおおむね、彼女の誰より忠実な配下として振る舞うことの枠を出ない。

一方『ウォッチメン』は、アラン・ムーア作、デイブ・ギボンズ画による同名の伝説的DCコミック(1986~1987年)に基づきつつも、1985年の米国を舞台とする原作から30年以上を経た2019年に展開される後日譚として構想された。ムーアの原作は、自警活動を行う「スーパーヒーロー」たちの栄光とその後を描いた物語で、最初のチーム「ミニッツメン」(1939~1949年)も後継チーム「クライムバスターズ」(1966~1977年)もメンバー全員が白人であり、母娘2代のシルク・スペクターとミニッツメンのシルエット以外はみな男性だ。それに対してHBOのドラマは、覆面警官シスター・ナイトことアンジェラ・エイバーというアフリカ系の女性(演:レジーナ・キング)を主人公に据えて展開される。

しかもこのアンジェラはやがて、前世紀のヒーロー・チームの一員――フーデッド・ジャスティス――の孫であることが明らかになる。フーデッド・ジャスティスは、1930年代末に自警活動に身を投じた最初のヒーローで、原作では一度も素顔を見せることがない。HBO作品はこの点を利用して、法の力を信じてニューヨーク市警に入るが警察内に浸透する白人至上主義を前に絶望し、覆面をかぶりたった一人でも正義を実現しようとする黒人男性ウィル・リーヴス(演:ルイス・ゴセット・Jr/ジョヴァン・アデポ)としてフーデッド・ジャスティスを再創造した。ショーランナーのデイモン・リンデロフの創意はとりわけ、この1点に関わる設定変更により、ムーアとギボンズの傑作コミックの諸要素を巧みに引き継ぎつつもそこで閑却されていた米国史の一側面を前景化して、原作の正統的な後日譚でありながらもまったく新たな視座を導入しえた点にある。

『Watchmen: International Edition』(DC Comics、2014年)表紙

2つのBLMのブレンド?

主要な舞台をオクラホマ州タルサ市に定め、1921年のタルサ人種虐殺――当時「ブラック・ウォールストリート」と称されるほどの繁栄を見たこの地を見舞った惨劇は、近年までほとんど忘れ去られていた(註1)――の生存者ウィルと孫娘アンジェラの人生を描き出したHBO版『ウォッチメン』は、黒人の視点から見た米国史の1世紀を鮮やかに浮き上がらせている。2019年の秋冬に放送されて好評を博したこの作品が、翌年5月末のジョージ・フロイド殺害事件以降の「ブラック・ライヴズ・マター」(BLM)運動の高揚のなかでさらに評価を高めることになったのは当然だろう。

もっとも、白人警官による黒人男性の殺害をきっかけに勢いを強め、「構造的人種主義」を抱えた警察の廃止さえが唱えられる運動との関係では、スーパーヒーローの孫娘である覆面警官と元スーパーヒーローのFBI捜査官――2代目シルク・スペクターとしてクライムバスターズで活動したローリー・ジュスペクツィク改めローリー・ブレイク(演:ジーン・スマート)は、今やこの新たな身分のもとにヒーローの自警活動の取締りに当たっている――を主要な「善玉」とする物語は、幾分か不調和なものと感じられなくもない。しかもシスター・ナイトは第1話からして、情報を得るためなら容疑者を平然と拷問する人物として描かれているのだからなおさらだ。じっさい、フロイド事件がこの作品を改めてタイムリーにしたことを評価する「Forbes」の記事には、警官(コップ)をヒーロー視するテレビ番組が「コッパガンダ」として告発されるフロイド事件以後の状況下では、「大胆に構造的人種主義を俎上に載せる『ウォッチメン』も、同様の批判を免れない」との指摘が読まれる(註2)。

なお同じ著者は、すでに第1話放送時に次の感想を記していた――「ここまでのところ、『ウォッチメン』は真っ向から衝突する2つの観点、つまり〈ブラック・ライヴズ・マター〉と〈ブルー・ライヴズ・マター〉の馬鹿げたブレンドのように見える。人種主義に対する空虚なハリウッド式の告発であって、構造の批判を欠いているように思われるのだ(註3)」。ブルー・ライヴズ・マターとは、BLMの警察批判に対抗する人びとが編み出したスローガンで、青い制服を着た警官の生命こそが危険にさらされているのだと訴えるものだ。白人至上主義団体「第7騎兵隊」に立ち向かう黒人警官を主人公とする作品に対する第一印象としては、2つのBLMの問題含みの混合という感想はごく自然なものだろう。

もちろん、すでに指摘したように、このドラマはやがて、アンジェラの祖父ウィルが白人至上主義の守り手としての警察に失望して自警活動に向かう次第を描き出すことになる。そしてアンジェラもまた、物語が進むにつれ、上司でありともに第7騎兵隊と闘ってきたタルサ警察署長ジャッド・クロフォード(演:ドン・ジョンソン)が、実はこの人種主義団体の背後にある「サイクロプス」――ウィルの時代から活動していた、クー・クラックス・クランの流れをくむ白人至上主義の組織――の指導者だったこと、さらにはオクラホマの上院議員であり大統領の地位を狙うジョー・キーン・Jr(演:ジェームズ・ウォーク)がすべての糸を引いていたことを知るに至る。

けれども、「バッジは正義を保証しない」として覆面ヒーローとなったウィルの自警活動が妻ジューン(演:ダニエル・デッドワイラー/ヴァレリー・ロス)の無理解と別離を引き起こし、ミニッツメンをやめた彼は人に知られぬ長い余生を耐え忍ぶことになるのに対して、アンジェラは上司や現地の上院議員の正体を知ったあとでも、警察や政界やそれにより支えられる社会構造全体との深刻な葛藤を生きるわけではない。彼らが張り巡らせていた陰謀はあまりに戯画めいていて、それが社会に隈なく浸透し全体を構造化しているとは思えないのだから、当然と言えば当然だ。

こうしてHBO版『ウォッチメン』は、全体として見るなら、反黒人の人種主義を改めて告発する現在の社会的雰囲気のなかの相対的に穏健な部分を代表していると言えるかもしれない。ウィル・リーヴスは警官でありながら職務の外に正義実現のすべを求めざるをえなかったが、もはやそのような時代ではない。たしかに、どこにでも悪人はいる。けれどもそうした諸個人を超えて、社会全体を懐疑するには及ばない。アンジェラ・エイバーはだから、クロフォード署長とキーン上院議員が死の制裁を下されたのちの世界で警官を続けていくことができる。要するに、一部の「レイシスト」さえいなくなれば(悪質な警官がいなくなれば、あるいはトランプとトランプ支持者がいなくなれば)……というわけだ。

Watchmenトレーラー「Tease」

ヴェトナム人の命は大切ではないのか

ともあれ、デイモン・リンデロフが創造した『ウォッチメン』の後日譚が、第一に米国における黒人の歴史を前景化し、第二に女性たちの活躍に焦点を当てることで、今日的な「多様性」の要請に応えようと企て、一定の達成を果たした作品であることは間違いない。けれどもこの多様性という観点からすると、アラン・ムーアの原作からHBO作品が引き継いだもうひとつの要素を忘れることはできない。

『ウォッチメン』の世界では、米国はヴェトナム戦争に勝利したことになっている。1971年、ニクソン大統領はヒーローの一人Dr. マンハッタン――この元原子物理学者は、実験室での事故による肉体の消失からほとんど神のような存在として復活し、クライムバスターズの一員となった――を戦場に送り込み、彼の派遣後3カ月で戦争は終結してしまったのだという。そしてリンデロフのドラマでは、すでに取り上げたアンジェラとローリーに加え、米国51番目の州となったヴェトナムに生まれたアジア人、レディ・トリュー(演:ホン・チャウ)が主要な女性登場人物として活躍する。それではこのHBO作品において、米国の「帝国主義」的野心に屈したヴェトナムの人びとは、解放奴隷の末裔であるアフリカ系アメリカ人の扱いに見合った配慮をもって描かれているのだろうか。

肯定的に答えることは難しい。アンジェラは、ウィル・リーヴスの息子であり、ヴェトナム戦争に従軍し勝利ののちもこの地にとどまった軍人マーカス・エイバー(演:アンソニー・ヒル)と、やはりアフリカ系のその妻エリーゼ(演:デヴィン・A・テイラー)の娘としてサイゴンに生まれ育ち、ある年の戦勝記念日に、「ヴェトナム解放戦線」のメンバーによる爆弾テロで両親を失う(第7話)。ポップカルチャー批評サイト「The Nerds of Color」へのある寄稿は、この第7話のタイトルを以下のように変えることを提案している――「ヴェトナムに関する映画やテレビドラマには爆弾を体に括り付けたヴェトナム男が付きものだけれど、その唯一の存在理由は、視聴者が彼を指差してなんて恩知らずな細目野郎(チンキー)だと語り合えるようにすること(註4)」。

長じて警官となったアンジェラは、サイゴンのあるバーでDr. マンハッタン(演:ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)と出会う(第8話)。地球を去り、人びとが信じていたように火星に、ではなく木星に向かい、その衛星エウロパをテラフォーミングして新たな「エデン」をつくり上げていた彼だったが、アンジェラとの結婚生活を望んで地球に戻ってきたのだ。初対面で唐突に告白を受けた彼女は、目の前にいるのがDr. マンハッタン本人なのかどうかと半信半疑なまま、ヴェトナム人を屈服させたことで両親の死の遠因をつくったこのスーパーヒーローへの憎しみを伝える。けれどもここには、ヴェトナム人の大量殺戮という事実それ自体への告発は見られない。

Watchmenトレーラー「Episode 8 Promo」

では、名もなき「ヴェトコン」や元ヴェトコンのテロリストとは異なり、名前と来歴を与えられた主要登場人物であるレディ・トリューについてはどうだろうか。第4話冒頭で初登場し、以後最終話に至るまで存在感を示す彼女は、この作品で最も興味深い登場人物の一人だ。ヴェトナム州に生まれ、15歳にして米国領ビルマのミャンマー工科大学(MIT)で4つの博士号(天文物理学、核分裂研究、生物工学、ナノ化学)を取得した彼女は(註5)、やがて母校を買収しサイゴンを拠点にトリュー・インダストリーズを興して、記憶回復薬ノスタルジアの成功により世界初の1兆ドル長者(トリリオネア)となり、宇宙開発に乗り出す。ドラマの現在時である2019年の時点で、トリュー・インダストリーズはニューヨークを拠点とするコングロマリット企業ヴェイト社――創業者である元クライムバスターズのオジマンディアスことエイドリアン・ヴェイト(演:ジェレミー・アイアンズ)は公には行方不明となっており、ドラマでは第1話から、年老いた彼が英国風の田園地帯の城館で謎めいた隠遁生活を送る様が断片的に描かれる(この地はエウロパであり、彼はかつての仲間Dr. マンハッタンの計らいでここに転送されていたことがやがて明らかになる)――を傘下に収めており、このヴェイト社の資産とMITの大型加速器を活用して、タルサに「ミレニアム・クロック」と称する巨大な時計塔を建設していた。

レディ・トリューは第7話でアンジェラと出会い、自分が彼女の祖父との協力関係にあることを告げる。第7騎兵隊は、Dr. マンハッタンがひそかに地球に戻り黒人の姿でアンジェラと夫婦生活を営んでいることを突き止め、その力を手中に収めようと計画している。ウィルにそのことを教えられた彼女は、白人至上主義者たちのこの企てを阻止し、人類を救うつもりだというのだ。第9話冒頭で、彼女は実はエイドリアン・ヴェイトの娘――彼の南極の秘密基地「カルナック」で清掃員として働いたヴェトナム難民ビアン・マイ(演:エリス・ディン)が、彼の精液が保存されている試験管のひとつを盗んだことで生まれた――であることが明らかになる。父に娘として承認されなかった過去にもかかわらず、彼女は単調な楽園生活に耐えきれなくなったヴェイトが使用人たちの死体を連ねてつくった「Save me daughter」の人文字をエウロパの地表に認め、宇宙探査機を飛ばして彼を地球に連れ戻す。そしてサイクロプスの面々に向かいウィル・リーヴスの告発文を読み上げ、彼らを一瞬で殲滅する。

白と灰色を基調にしたスタイリッシュでエキセントリックな衣装に身を包み(註6)、超然として不敵な表情を保ったこのアジア系の天才女性企業家を、親思い――そもそも「ノスタルジア」も「ミレニアム」も父の会社がヒットさせた香水の名前であり、亡き母ビアンについて言えば、彼女はそのクローン(演:ジョリー・ホアン=ラパポート)に生前の記憶を与えてともに暮らしている――で人種主義を許さない人物として描き出す一方、この最終話はレディ・トリューの野心の危険性をほとんど無根拠に、ただ不実な父親の判断だけに基づいて断定し――「彼女は世界を正すと言っているが……」と語るヴェイトは、「どうしてそうじゃないとわかる?」と問われて、「なぜなら彼女は明らかにどうしようもないナルシシストで、その野心はとどまることを知らない」と決めつける――、ミレニアム・クロック(単なる未来志向のモニュメントのように宣伝されていたこの時計塔は、実際には量子遠心分離機だった)を用いてDr. マンハッタンの力をわがものにしようとする彼女は、父が天空から降らせた冷凍イカの雨に片手を貫かれ、自ら開発した巨大装置の下敷きになって死ぬ。

episode 4より、レディ・トリュー
写真:Collection Christophel/アフロ

ホン・チャウの創造性

HBO版『ウォッチメン』における黒人の歴史の前景化を歓迎する声の傍らで、一人のアジア人女性の人生を粗雑なやり方で断ち切った事実は、少なからずの視聴者を失望させることになった。日本では、批評家の北村紗衣が、「この作品において深く掘り下げられている「人種差別」が、白人からアフリカ系アメリカ人に対する人種差別だけだということ」を指摘しつつ、トリューの描写のうちに「アジア人差別」のみならず「野心的で人一倍努力家の女性は不愉快で面白くない、という性差別的な前提」を読み取っている(註7)。

英語圏の議論として、まずはすでに引いた「The Nerds of Color」の記事を再び取り上げよう。ゼロから身を起こし世直しを志すスタイリッシュな大富豪のうちに「新種のヴェトナム系アメリカ人キャラクター」の可能性を認め、レディ・トリューがルイス・ゴセット・Jr演じるウィルの傍らに立つのを見て、この作品が黒人とアジア系の橋渡しを促しつつあるものと期待した著者は、物語全体の基本的なヴェトナム人軽視に加え彼女の最終的な運命に愕然として、次のように嘆いている。「偉大なキャラクターを殺そうとするのなら、少なくとも正しく殺すべきだと思う。しかるべきスタイルで、もっともらしく殺すべきだ。何か手応えを残してほしいんだ。視聴者として、私はそのくらいの配慮はしてもらってもいいと感じている。」ほかの主要キャラクターが無傷ななか、彼女だけがあっさり冷凍イカに身体を貫かれるのは釈然としないし、ミレニアム・クロックの崩壊にしても、抜け目ない発明家がこの程度の打撃に備えた防御も施していなかったのはおかしいだろう、というのだ(註8)。

また、女性向けオンラインマガジン「Bustle」へのある寄稿は(註9)、最終話冒頭で振り返られる2008年の父娘の出会いの場面でレディ・トリューが口にする言葉を、なぜ疑わなければならないのかと問いかけている。カルナックを突然訪れた20代前半の彼女は、Dr. マンハッタンを殺してその力を獲得するという展望を打ち明ける。たしかに不穏なその野心は、しかし「彼がすべきだったあらゆること」を実現するという目的に結び付けられている。「核兵器を全廃し、飢餓に終止符を打ち、空気をきれいにすること」。じっさいDr. マンハッタンは、神のごとき力をただヴェトナムの人びとを屈服させることにしか用いずに地球を去ってしまったのだから、力の出し惜しみを非難されても仕方はないだろう。「彼女は平和とグリーンテクノロジーと寛容の新たな時代を、そう、極悪な人種主義者たちを地上から消し去りつつ、見事に切り開いていたかもしれないのだ」。それなのにレディ・トリューは父の手にかかり、人類を2度にわたって救うという彼の慢心の犠牲となって滅びてしまう。

エイドリアン・ヴェイトは原作の物語のなかで、米ソの共通の敵を出現させて核戦争の脅威を取り除くのだと称して、遺伝子操作でつくった巨大なイカめいた怪物をニューヨーク上空から落下させ数百万人の命を奪った。HBO作品の終わりで、この大量虐殺の証拠を突きつけられた彼はローリー・ブレイクによって逮捕される。しかしこうして1度目の人類救済の控えめに言っても両義的な性格が改めて強調される一方、第2の人類救済と称してなされた娘殺害の正当性が作中で問い直されることはないので、彼女の名誉回復の務めは心ある視聴者に委ねられることになる。

本稿の筆者としては、「Bustle」の記事がタイトルで主張する「レディ・トリューはもっとずっとましな扱いに値した」という印象が、脚本による以上にホン・チャウの演技によって生み出されていることを力強く主張しておきたい。チャウ自身は、「Bustle」の別の記事で「最も神秘的なテレビドラマのひとつに登場する最も神秘的な人物の一人」を演じた経験について問われて、リンデロフらの脚本を称賛している。「灰色の領域を認める、というのがこのドラマのよいところだと思う。〔…〕私の考えでは、どのキャラクターも『善』とも『悪』ともつきません。どちらの側面も持っているのです。人生においてそうであるように。〔…〕レディ・トリューはヒーローかヴィランか? 私にはわからないし、見る人それぞれの受け止め方次第だと思う。それに彼女はさまざまなことを行うので、どの行為について語るかによって、秤はあちらにもこちらにも傾くでしょう(註10)」。けれども、「世界を正す」という前向きな野心が何の根拠もなく危険視されて大量殺人者の父により殺されるという脚本はやはり性急なものと言うべきであって、この最終話の展開を少なからずの視聴者が不当なものと感じ憤るのは、この才能豊かな女優がレディ・トリューの肖像にたしかな実質を与えてきたからだ。

1979年、中越戦争に伴いボートピープルとしてヴェトナムを逃れた両親のもと、タイの難民キャンプで生まれたホン・チャウは、やがて家族で渡米しニューオーリンズで少女時代を過ごしたのち、奨学金を得てボストン大学に進学する。映画学専攻から演技の道に進んだ彼女は、アジア系の俳優として――「ニューヨーク・マガジン」のウェブサイト「Vulture」の記事に引かれる本人の弁によれば――「ゆっくりと漸進的」なキャリアを歩んでいく(註11)。アレクサンダー・ペイン監督作品『ダウンサイズ』(2017年)に起用され、亡命の地で出会った米国人男性(演:マット・デイモン)と惹かれ合うヴェトナムの反体制活動家を好演して脚光を浴びたチャウは(註12)、以後『ウォッチメン』の重要な助演を経て、Amazonビデオの配信ドラマ『ホームカミング』の第2シーズン(2020年)ではジャネール・モネイとともに主演を務め、名声を確立するに至った。

どんな小さな役であっても「キャラクターに台本を超えた生命力を与える」というチャウの才能は、『ウォッチメン』のレディ・トリュー役でも遺憾なく発揮されている。彼女は演じる役のイメージを膨らませる必要を感じる際には、「創造性を発揮して、セリフを増やしてもらうことなしに問題を解決しようと試みる」のだという。じっさい、彼女が自ら提案した「ヘルメット風のカットとフロスティなメイク」に身を包むのではなく、制作陣の意見に従い持ち前のロングヘアをそのまま生かした「アーシー」な雰囲気で出演していたなら、レディ・トリューはこれほど強い印象を視聴者に与える登場人物にはならず、「もっとましな扱いに値する」という期待を集めることもなかったかもしれない。

もちろん、結局のところ、私たちは「Vulture」の記者の言葉に同意せざるをえないだろう――「それでも、たぶん彼女のキャラクターに最も必要だったのはより多くの登場時間だった」。こうしてリンデロフによる『ウォッチメン』の再創造は、今日の米国における「多様性」表象のうちなる不均衡を図らずも証言することになった。「『ウォッチメン』はブラック・アメリカンを周縁部から中心部へと移動させる作業に捧げられている。しかし周縁部をまったく消し去っているわけではない。ヴェトナムとヴェトナム人とヴェトナム系アメリカ人がこうして空いた周縁部を占めることになるのだけれど、その役割はおおむね、ほかの人びとの物語に奉仕することでしかない(註13)」――「ワシントン・ポスト」の文化記者はこのようにまとめている。そして――繰り返すなら――ホン・チャウの卓越した表現力がレディ・トリューの人物像を、おそらくは制作陣の想定以上に豊かなものにしてしまったために、この事実は私たちをいっそう惜しませるのだ。

ジャネール・モネイとホン・チャウ

とは言え、事態は徐々に変わりつつある。そのことはほかのさまざまな作品を通して見て取ることができるけれど、ここでは同じホン・チャウの新作、すでに言及した『ホームカミング』第2シーズンを取り上げたい。チャウはジュリア・ロバーツ主演の第1シーズン(2018年)にもガイスト・グループ本社の受付係オードリー・テンプルとして出演しているが、そこでの彼女は――原案・製作総指揮のイーライ・ホロヴィッツが上記「Vulture」の記事で証言するように――「ほかの登場人物からだけでなく、視聴者からも見過ごされることを想定される」存在だった。ところが第1シーズン最終話での急展開とチャウ自身の俳優としてのキャリアの上昇を経て、第2シーズンのオードリーはガイスト・グループの重役に収まっている。「『ホームカミング』の2つのシーズンの流れは、彼女自身の演技者としての地位向上と軌を一にしたわけだ」(ホロヴィッツ)。

HOMECOMINGシーズン2 トレーラー

第2シーズンから登場するもう一人の主役アレックス・イースタン(演:ジャネール・モネイ)はオードリーの同棲相手で、企業などで生じたトラブル解決の専門家だ。セクシャルハラスメントの訴えを起こそうとする女性の決意を萎えさせるため、自分のセクハラ裁判が無意味に終わったという偽りの物語を傷心のインド旅行の合成写真を片手にしみじみと語るといったその仕事ぶりは、およそ正義に適ったものとは思えない。オードリーの受付係から重役への躍進も、はかりごとに長けた彼女の入れ知恵によるものだった。以後、物語は2人のたくらみの帰趨をたどっていく。

『ウォッチメン』との比較において興味深いのは、この作品ではアジア系のオードリーのみならずアフリカ系のアレックスもまた、ヒーローともヴィランともつかない両義性をもって描かれていることだ。ジャネール・モネイはあるインタビューで(註14)、「悪だくみと変身を黒人女性の姿を通して描き出す」という今回の配役の意義を語っている。「大抵の場合、両義的だったり反ヒーロー的だったりするキャラクターは男性」であることを思えば、人種的・性的マイノリティの登場人物を「とても複雑でいくつもの層を持つ」存在として演じるのはやりがいのある挑戦だというわけだ。

ところで、モネイはチャウとの共演を「とても楽しんだ」と語っているけれども(註15)、実のところ、2人は自らが人種的マイノリティであるという事実と演技者としての仕事の関係を、同じやり方で捉えているのではない。モネイは上記のインタビューで自らの演技観について、このように述べている――「私は黒人で、黒人であることを誇りに思っていて、だからどんな役を演じるときにも、黒人アーティストであり人間である私の経験を注ぎ込んでいる」。一方チャウは、「Vulture」のインタビューで、「ピープル・オブ・カラー」という表現――歴史的理由から侮辱的な響きを帯びるに至った「カラード」に代わり、黒人をはじめとする「非白人」を敬意をもって指し示すために用いられる――を好まないと断言し、「なぜなら私たちは単にピープルだと思うから」と続けている。記者が指摘するように、こうした「ふてぶてしいヒューマニズム」は、「彼女をパワフルな女優にすると同時に、アジア系アメリカ人の表象政治の時に軽薄な自己宣伝志向との関係を難しいものにする」。こうした立場が、「みんなの命が大切」(オール・ライヴズ・マター)というそれ自体としては自明の命題が警戒対象とされる現在の状況のもと、黒人のアイデンティティ政治との関係でも不協和音を響かせることになるのは言うまでもない(註16)。それでも――あるいはそれだけにいっそう――、異なったヴィジョンのもとに演技する2人の協働を通して、劇中における黒人女性とアジア系女性の悪だくみによる連帯が表現されている事実には心動かされるものがある。

冷戦と階級問題の周縁化

HBO版『ウォッチメン』に戻ろう。リンデロフは原作にないアフリカ系の歴史を導入し、原作からヴェトナムの主題を引き継いだが、これらはいずれも「多様性」の問題系に属するものだと言うことができる。その一方、彼はこの問題系には統合不能の重要主題を1980年代の原作コミックのうちに置き去りにしている。それは冷戦の主題であり、その背後にある社会主義または共産主義、そして階級問題の主題系である。ザック・スナイダー監督による2009年の映画版は、冷戦終結後およそ20年を経て原作の物語のおおむね忠実な再現を目指す作品で、独自台本の部分でもあえて――公開時の社会的雰囲気との齟齬を承知で――この主題系への目配せをしていた(ヴェイト社の無料エネルギー供給の計画が「『無料』とは『社会主義』の同義語だ」として嫌疑の的となり、エイドリアン・ヴェイトは過去の共産党籍を疑われる)。2019年のリンデロフ版『ウォッチメン』がこうした要素を削ぎ落としているのは、一面では、この作品が放送の現在時を物語時間としているからだと言うことができる。リンデロフ自身の発言を引こう――「それ〔冷戦期の核戦争の不安〕を2019年に移し替えるなら、本質的に言って、今のアメリカで最高度に不安をかき立てているのは何か? 私にとって、答えは疑いなく人種です(註17)」。

しかし皮肉なことに、実は「社会主義」や「階級」の主題は、2019年には2009年よりもはるかに、現実の米国の社会的風景になじんだものとなっていたと言うべきだ。2011年秋の〈オキュパイ・ウォールストリート〉による深刻な経済的不平等の可視化ののち、2016年大統領選の予備選挙における「民主的社会主義者」バーニー・サンダースの健闘、その選挙事務局で老政治家を支えた若いアレクサンドリア・オカシオ=コルテスの2018年における下院議員当選といった一連の出来事を経て、2020年大統領選におけるサンダース出馬の可能性が取り沙汰されるに至ったのが、2010年代の政治状況の無視し難い一側面だった。けれどもリンデロフはこうした観点から『ウォッチメン』を再創造することを差し控え、人種的(また性的)多様性をめぐる物語の構築へと進んだ。

こうした選択は、決して彼だけのものではない。ライアン・マーフィーとイアン・ブレナンが製作総指揮を務めた2020年のNetflixドラマ『ハリウッド』を取り上げよう。1940年代後半の同地を舞台とするこの物語は、虚構の登場人物に数々の実在した映画関係者を交えて展開される歴史改変もので、さまざまな人種的・性的マイノリティが奮闘し、現実のこの時代にはありえなかった成功をつかみ取る次第を描き出す。しかし改変はこの点だけに関わっているのではない。ここで指摘しておくべきは、この時期のハリウッドを暗く染め上げていた冷戦下の現実が、この全7話のミニシリーズからはほとんど完全に抹消されているという事実だ。人類学者デヴィッド・グレーバーは、当初はこの作品に魅了されていたにもかかわらず、途中でこの事実に気づいて呆然としたのだとツイートしている――「ちょっと待て、1947年のハリウッドを舞台にしてラディカルさを志向する作品をつくっているのに、非米活動委員会にもブラックリストにも共産主義にも触れずに済ませようというのか(註18)」。

続けてグレーバーは、こうした選択の政治的含意の解説に替えて、このように提案している――「政治と言えばアイデンティティ政治以外にはありえない、そんな世界を想像してみよう」。つまり彼によれば、『ハリウッド』における冷戦下の現実の抹消は、単に現在の視聴者の関心を引かない過去の歴史的一面を省略することを意味しているのではない。それは政治から既成の社会秩序のラディカルな問い直しの契機を脱落させること、政治とは今や、既成秩序から排除されるか内部で従属的地位に置かれた人びとを、当の秩序の構成自体を変動させることなしに、「多様性」の名のもとに可能な限り取り込んでいく作業以外のものではないという感覚を確立することを意味している。HBO版『ウォッチメン』が、ウィルの時代には厳しく乖離していた2つのBLMをアンジェラの時代において曖昧に和解させる時に前提としているのも、おおむね同様の政治理解だと言えるだろう。またこの観点からするなら、Dr. マンハッタンの力を有効活用することで既成秩序のラディカルな変革を志すレディ・トリューは、この作品が許容できる政治の枠組みを踏み越えかねない存在として、作品それ自体の構造上の要請によって滅ぼされたのだと言いたくもなる。対照的に、最終話末尾で示唆されるアンジェラによるDr. マンハッタンの力の獲得は、おそらく世界の秩序を何も変えはしないだろう……。

HOLLYWOODトレーラー

2つの仮面――ロールシャッハとガイ・フォークス

とは言え、最後に確認しておくなら、HBO版『ウォッチメン』は冷戦と階級の主題系をまったく排除しているわけではなく、この作品なりのやり方で表現してはいる。前者については、タルサの覆面警官の一人「レッド・スケア」を通して。後者については、ロールシャッハのマスクの第7騎兵隊による流用を通して。

まずは前者から説明しよう。レッド・スケア(演:アンドリュー・ハワード)は共産主義者を公言する警官で、ロシア語風のなまりがあることからソ連または東欧の出自を推察される。赤いトレーニングウェアと赤いスキーマスクに身を包んだ彼は、警察暴力の「抑制を解かれた残忍性(註19)」を体現する人物だとみなしうる。レッド・スケアすなわち「赤の恐怖」とは、現実の米国史では日本で言う「赤狩り」時代の風潮を指して用いられる言葉だが、この警官はおそらく「恐るべきコミュニスト」の意味で自称しているのだろう。第2話での彼はクロフォード署長の死を取材しようとする記者に襲いかかり、「大衆にはここでの出来事を知る権利がある! ナチ野郎!」と罵倒されて、「俺はナチじゃない、コミュニストだ」とうそぶきながら攻撃を続ける。こうした展開から察せられるのは、ソ連が崩壊せず2019年に至るまで米国と一定の交流を維持してきたこの作品世界で、共産主義がかつてのような深刻な脅威であることをやめ、しかし米国人一般の意識のなかでそれ以上の正当性を獲得することもなく、時にナチズムやファシズムとの近接性を揶揄嘲弄されつつも警察でのキャリアの妨げにならない程度には無害な思想として許容されている、といった状況だ。冷戦とその背景をなすイデオロギー対立の帰結をコミック・リリーフ的な脇役を通してこのように表現することができるという事実は、かつて世界の被抑圧者の希望とみなされもしたひとつの理念が今日の米国においてどのような存在となっているかを物語るひとつの証言だと言える。

後者について。原作のロールシャッハは、「ポルノと共産主義」を選好する「リベラルなインテリども」を呪詛する一方で「日々の労働が糧をもたらすと信じた男たち」を称える第1章冒頭のくだりからも明らかなように(註20)、労働を尊ぶ反共右翼といった人物だ。彼なりの正義を貫こうとするその姿勢もあって非常に人気が高いが、アラン・ムーアの創作意図は――2008年のあるインタビューで打ち明けているように――、バットマンのようなスーパーヒーローが実在していたら「ちょっとした精神異常者」であるに違いない、という信念を例示することにあった(註21)。さて、HBO版『ウォッチメン』では、そのロールシャッハが自警活動の際に被っていた白と黒のまだら模様のマスクが第7騎兵隊のコスチュームに採用されている。1980年代の反共右翼の思想がクー・クラックス・クラン型の白人至上主義と同じものかどうかは別として、こうした継承関係を演出することで発せられるメッセージは至って明快だ。階級関係をめぐる正義の要求は実のところ、白人(とりわけ男性)がマイノリティに向ける人種主義的衝動以外のものではないということ。こうして階級問題の強調は、ただアイデンティティ上の多様性への反発、いわばマジョリティの側からのアイデンティティ政治としてのみ――つまり予め正当性を奪われたものとして――理解されることになる。

このように、フィクションで描かれる米国において、経済的不平等を正そうとする動きはしばしば保守的マジョリティの人種主義のひとつの表現として描かれて、現実の米国における草の根のトランプ支持のような傾向との関連性を想起させることになる。そうでない場合には? そのときには、背後に邪な野心を隠した欺瞞や、野放図な暴力の噴出と結びつけられるのであって、『ウォッチメン』で言うなら、レディ・トリューの飢餓撲滅の願いが、傲慢な才女が危険な野心の上にかぶせた覆い程度のものとみなされてしまう事例がそれに当たる。米州ヴェトナムに生まれビルマ――作品世界においてラオス、カンボジア、タイとともに「アジア圏アメリカ」を構成する――で学業を修めた彼女が、惑星全体の現実を見据えてそれなりの真摯さで問題に取り組もうとしていた可能性は、そこでは排除されてしまう。別の作品から例を取るなら、クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト ライジング』を挙げることができるだろう。この2012年公開作品は、チャールズ・ディケンズ『二都物語』(フランス革命期の恐怖政治を描いた)からの当初のインスピレーションに加え、制作時にニューヨークで展開されていた金融街占拠の運動にも目配せして、被抑圧者の解放を唱えゴッサム・シティを占拠する暴徒たちとバットマンの闘いを描いている。

このノーラン作品における〈オキュパイ・ウォールストリート〉への暗示的言及は、公開当時から指摘され、文字通りに賛否両論を呼んだ。デヴィッド・グレーバー(周知のように、この人類学者兼活動家はオキュパイ運動の組織化に関わり、「私たちは99%だ」という有名なスローガンの中心的な考案者となった)は批判的論考を執筆し、この作品の背景にある世界観を次のように説明している――「ノーランの世界では、構造的問題に取り組むいかなる試みも、たとえそれが非暴力的な市民的不服従によるものであったとしても、実のところ暴力の一形式である(註22)」。つまり既成の社会秩序は、たしかにさまざまな問題を抱えているとは言え全体として保守されるべきものであって、そのラディカルな変容を企ててなされる行為は、それ自体としては非暴力のかたちを取っていようとも、大いなる破局に道を開くという意味では暴力の発動にほかならない、というわけだ。

こうしたところに今日の大衆的フィクションが抱える保守的性格を認めることは、もちろん可能でもあれば必要でもある。そのうえで、それでは決定的な解放へと向かう集合的努力を単純に肯定的に描くことが容易にできるかと言えば、そういうものでもないだろう。そもそもこうした困難は、現実の世界においてさえ見出すことができる。しかも興味深いことにこの困難は、アラン・ムーア作品が現実世界に与えた影響を通して表れているのだ。

ムーアが英国時代に発表開始した『Vフォー・ヴェンデッタ』(1982〜1989年)は、『ウォッチメン』と並びコミック原作者としての彼の代表作で、近未来英国の独裁政権に立ち向かう主人公「V」はつねに、17世紀の陰謀事件によって記憶されるガイ・フォークスの仮面を被って活動する。作画担当のデヴィッド・ロイドがデザインしたこのガイ・フォークス・マスクが、2005年の映画版公開以降――ムーアが憤っているように(註23)、ウォシャウスキー兄弟(現姉妹)製作・脚本によるこの映画では、原作に繰り返し現れるアナキズムへの明示的な参照が取り除かれているにもかかわらず――、〈オキュパイ・ウォールストリート〉を含む路上での集団的な抗議行動に際して、世界各地で盛んに用いられるようになった。けれどもVは紛れもなく「テロリスト」の側面を持ったアナキストであって、国会議事堂を爆破し体制側の人びとの殺害を繰り返す。「アナーキーには2つの顔がある。破壊者と創造者だ(註24)」――このように断じるVを、ムーアはアナキズムの抱える道徳的な曖昧さを体現する人物として創造した。

『V フォー・ヴェンデッタ』(小学館プロダクション、2006年)表紙

集団的抗議の現場におけるガイ・フォークス・マスクの目覚ましい成功は、だから人びとを路上へと駆り立てているのが創造への衝動であるのと少なくとも同程度に破壊への衝動であることを証し立てている。しかも、バットマンの宿敵として知られるスーパーヴィランの前半生を描いた映画『ジョーカー』――なおこのトッド・フィリップス監督作品が何より参考にしたのは、アラン・ムーア作の『バットマン:キリングジョーク』にほかならない――が公開され大ヒットした2019年には、フランスの国際テレビ局France 24が報じているように、「ベイルートから香港まで、ジョーカーの顔がデモの現場に出現」し、定番化して久しいVの仮面とピエロの化粧の競合が注目を集めた(註25)。一定の政治的展望のもとにあえて暴力を行使するVと異なり、恵まれない境遇のなか、数々の不幸に見舞われて暴力衝動に身を委ねるに至ったアーサー・フレック=ジョーカー(演:ホアキン・フェニックス)にとって、破壊はただ純粋に、いかなる展望も欠いたままになされるものだ。

もちろん、路上のジョーカーたちは必ずしも、物理的な破壊に身を投じるのではない。CNNの取材を受け(註26)、レバノンの男性ストリート・アーティストは「暴力なし」での路上占拠を唱えている。それでも、彼は火炎瓶を手にしたジョーカーのポスターを制作するのだし、「ベイルートは新たなゴッサム・シティだ」と主張して、道化の化粧を施し暴徒と化した民衆が富裕なエリート層と対峙する映画末尾の展開に自分たちの抗議活動をなぞらえている。

破壊への――比喩的なものであるにせよ――衝動の背後には、幻滅と孤立の意識がある。同じ記事のなかで、ベイルートのデモに参加した28歳の女性グラフィック・デザイナーは、「私たちは傷つき、ただただ失望したんです」と述べて、ジョーカーの幻滅を共有できるとしている。チリのコンセプシオンで抗議者の列に加わった女性心理学者は、「私たちの社会がどれほど病んでいるか」を表すためにこのメイクをしてきたと答えている。「ジョーカーは誤解された人物で、傷つきやすく、打ち捨てられています。特権的社会階級に属していないチリ人は――つまり私たちの大部分ですが――同じように感じているのです」。France 24の報道に戻るなら、歴史家ウィリアム・ブランは「右も左も代表しない」ジョーカーという人物が抗議者たちを引きつけた理由を、トッド・フィリップスの映画が「主として孤独を、いかなる集合性の感覚からも引き離された人生を描いている」点に求め、「この孤立こそは現代の病なのです」と結論している。

たしかに、21世紀の現実世界では、経済的不平等の深刻化が意識されるなか、一度は過去の遺物となったかのように見えた「階級」の問いが再浮上している。けれども今日では、かつて「労働者階級」を統一的な集合体として想い描くことを可能にしたような共通の意識は失われてしまった。そしてまた、既成秩序に替わるべき何らかの新たな秩序の展望が共有されている気配もない。現実の抗議運動におけるガイ・フォークス・マスクの、さらにはジョーカーのメイクの成功は、同じ場に集う人びとのあいだで共有されているのがただ幻滅と相互的な孤立の意識でしかないという事実を証言している。階級的正義の集合的表象の困難は、フィクション世界に限った話ではないのだ。こうした観点からするなら、HBO版『ウォッチメン』は、見事な達成の面はもとよりそれが露呈させたいくつかの困難においても、多くを考えさせる無視し難い作品だと言えるだろう。

覆面警官のアンジェラ。黒衣のコスチュームに身を包んで「シスター・ナイト」の通り名でも活動する

(脚注)
*1
2019年の本作の放送によりかなりの注目を集めたとは言え、この事件がいっそう米国人に知られるようになるには、翌2020年、ドナルド・トランプが6月20日にタルサで大統領再選を目指す集会を開くと宣言するのを待たなければならなかった。ジャーナリストたちはこの虐殺事件を紹介するにあたり、しばしば前年のHBO作品に言及した。Stuart Emmrich, “The Emmys, Watchmen, and Black Lives Matter,” Vogue, Jul 29, 2020.
https://www.vogue.com/article/watchmen-emmys-26-nominations-black-lives-matter

*2
Dani Di Placido, “HBO’s ‘Watchmen’ Has Never Felt More Timely,” Forbes, Jun 12, 2020.
https://www.forbes.com/sites/danidiplacido/2020/06/12/hbos-watchmen-has-never-felt-more-timely/

*3
Dani Di Placido, “‘Watchmen’ Episode 1 Recap: An Intriguing, Provocative Departure From The Source Material,” Forbes, Oct 22, 2019. https://www.forbes.com/sites/danidiplacido/2019/10/22/watchmen-episode-1-recap-an-intriguing-provocative-departure-from-the-source-material/

*4
Adam Chau, “Disappointment For Người Tôi In HBO’s ‘Watchmen,’” The Nerds of Color, Jan 13, 2020.
https://thenerdsofcolor.org/2020/01/13/disappointment-for-nguoi-toi-in-hbos-watchmen/

*5
HBOのドラマ公式サイト中の「ピティペディア」――FBI捜査官デイル・ピーティ(演:ダスティン・イングラム)が収集した資料集の体裁を取った特設ページ――による。したがって、第7話でレディ・トリューが口にする「MIT」を日本語字幕が「マサチューセッツ工科大」と訳しているのは誤り。“CLIPPING: ‘Lady Trieu: Fact or Fiction,’” Peteypedia: File 6.
https://www.hbo.com/peteypedia

*6
衣装デザイナーのメーガン・カスパリックは、とりわけイリス・ヴァン・へルペンにインスパイアされたと述べている。Esther Zuckerman, “The Costume Designer for 'Watchmen' Unveils the Secret of Lady Trieu's Look,” Nov 12, 2019.
https://www.thrillist.com/entertainment/nation/hbo-watchmen-costume-design-lady-trieu

*7
北村紗衣「努力家で優秀なアジア系女性という「人種」ステレオタイプ~『ウォッチメン』分析」、「WEZZY」2020年6月10日。
https://wezz-y.com/archives/77740

*8
Adam Chau, “Disappointment For Người Tôi In HBO’s ‘Watchmen,’” The Nerds of Color, Jan 13, 2020.
https://thenerdsofcolor.org/2020/01/13/disappointment-for-nguoi-toi-in-hbos-watchmen/

*9
Gretchen Smail, “Hear Me Out: Lady Trieu Deserved A Lot Better On 'Watchmen,'” Bustle, Dec 17, 2019.
https://www.bustle.com/p/lady-trieus-fate-in-the-watchmen-finale-wasnt-totally-deserved-19452435

*10
Jefferson Grubbs, “Why Hong Chau Says Her 'Watchmen' Character Reminds Her Of Mark Zuckerberg,” Bustle, Nov 11, 2019.
https://www.bustle.com/p/why-hong-chaus-watchmen-character-lady-trieu-is-kinda-like-mark-zuckerberg-19302034

*11
以下もおおむね、インタビューとメールでのやり取りをまとめたこの記事による。E. Alex Jung, “Hong Chau Doesn’t Need Your Approval,” Vulture, May 22, 2020.
https://www.vulture.com/article/hong-chau-profile.html

*12
なお、同時期公開の『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』のローズ・ティコ(演:ケリー・マリー・トラン)と対照的に片言の英語を話すこのノク・ラン・トラン役は、一部では古めかしいステレオタイプとして批判されることもあった。同記事のなかで、チャウはそれでは自分の両親のような英語の不得手な移民は外出を恥じなければならないのか、英語の達者な子どもの後ろに控えていなければならないのかと反論して、今日的な「表象の政治」の一面性から距離を取っている。

*13
Alyssa Rosenberg, “If HBO makes a second season of ‘Watchmen,’ it should be about Vietnam,” The Washington Post, Dec 17, 2019. https://www.washingtonpost.com/opinions/2019/12/16/if-hbo-makes-second-season-watchmen-it-should-be-about-vietnam/

*14
Kristen Lopez, “How Janelle Monáe Built a Character We Don’t Often See in Television,” IndieWire, Jul 7, 2020.
https://www.indiewire.com/video/janelle-monae-homecoming-1234571751/

*15
彼女はツイッターでも、「ホン・チャウはただただすごい人」と絶賛している(2020年7月13日)。
https://twitter.com/JanelleMonae/status/1282370375603519488

*16
中越戦争――植民地解放闘争を経て成立した2つの社会主義国の衝突――のさなかにヴェトナムを逃れた華人の子どもという出自からしても、チャウが白人とアジア系を単純に対立させるアイデンティティ政治にたやすく乗れないのは当然と言えるかもしれない。なお彼女は2019年公開の映画『American Woman』(セミ・チェラス監督)で、1970年代の極左組織「人民解放軍」(実在した「共生解放軍」がモデル)の女性闘士ジェニー・シマダ(ウェンディ・ヨシムラがモデル)として主演している。日系米国人である彼女はリーダー格のフアンに「第三世界のパースペクティヴ」を期待されるのだが、別の登場人物――グループに誘拐され活動をともにする大新聞社主の娘ポーリーヌ(パトリシア・ハーストがモデル)――はこのほとんど戯画的に描かれる偽善的な左翼青年を告発して、「あなたが彼女を評価しているのはその肌だけ」と断じる。

*17
Ethan Sacks, “Who watches the 'Watchmen'? That's the question for the TV sequel,” NBC News, Oct 20, 2019.
https://www.nbcnews.com/pop-culture/tv/who-watches-watchmen-s-question-tv-sequel-n1065701

*18
2020年7月10日のツイート。
https://twitter.com/davidgraeber/status/1281382070183514113

*19
Rebecca Patton, “Red Scare Lowkey Has The Best 'Watchmen' Costume,” Bustle, Nov 10, 2019.
https://www.bustle.com/p/red-scare-is-not-in-the-watchmen-comics-but-he-has-the-best-costume-19306325

*20
アラン・ムーア、デイブ・ギボンズ『ウォッチメン』石川裕人・秋友克也・沖恭一郎・海法紀光訳、小学館集英社プロダクション、2009年、7ページ。

*21
「ロールシャッハは『ウォッチメン』で一番人気のキャラクターになってしまいました。私としては彼は悪い例のつもりだったのに、路上で私に近寄ってきて、『私はロールシャッハです! あれは私の物語ですよ!』と語りかけてくる人びとがいるのです。それで私が思うのは、『へえ、それは素晴らしいね、ちょっと私から離れて、私が生きているかぎり二度と近づかないでもらえませんかね?』ということです」(Cited in Steven Surman, “Alan Moore’s Watchmen And Rorschach: Does The Character Set A Bad Example?,” Steven Surman Writes, Jan 20, 2015.
https://www.stevensurman.com/rorschach-from-alan-moores-watchmen-does-he-set-a-bad-example/)。

*22
デヴィッド・グレーバー「バットマンと構成的権力の問題について」、『官僚制のユートピア』酒井隆史訳、以文社、2017年、322〜323ページ。

*23
「『Vフォー・ヴェンデッタ』はとりわけ、ファシズムやアナーキーといったものをめぐる作品です。これらの言葉、『ファシズム』も『アナーキー』も、映画のどこにも出てこない。映画版は、自分自身の国を舞台に政治的風刺をつくることもできない臆病者たちの手によって、ブッシュ時代の寓話になってしまいました」(“Alan Moore: The last angry man,” MTV.com, 2006)。

*24
アラン・ムーア原作、デヴィッド・ロイド作画『Vフォー・ヴェンデッタ』秋友克也訳、小学館プロダクション、2006年、222ページ。

*25
Jean-Luc Mounier, “From Beirut to Hong Kong, the face of the Joker is appearing in demonstrations,” France 24, Oct 24, 2019. https://www.france24.com/en/20191024-from-beirut-to-hong-kong-the-face-of-the-joker-is-emerging-in-demonstrations

*26
Harmeet Kaur, “In protests around the world, one image stands out: The Joker,” CNN, Nov 3, 2019.
https://edition.cnn.com/2019/11/03/world/joker-global-protests-trnd/index.html

(作品情報)
『ウォッチメン』
ドラマ(全9話)
2019年10月~12月放送 ※国内では2020年1月31日より放送
製作総指揮:デイモン・リンデロフ
出演:レジーナ・キング、ドン・ジョンソン、ジェレミー・アイアンズ、ティム・ブレイク・ネルソン、ジーン・スマート、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世、ルイス・ゴセット・Jr、トム・マイソンほか

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※URLは2021年5月12日にリンクを確認済み