翻訳をテーマにした企画展「トランスレーションズ展−『わかりあえなさ』をわかりあおう」が、21_21 DESIGN SIGHTで2020年10月16日(金)から2021年6月13日(日)にかけて開催された。言語に限らず、福祉、化学、考古学、スポーツなど、あらゆる切り口から翻訳を考える作品を集めた本展で、翻訳を介しても「わかりあえない」ものとは何かを考える。
Google Creative Lab+Studio TheGreenEyl+ドミニク・チェン《ファウンド・イン・トランスレーション》
他者とは「わかりあえない」
一般的に「翻訳」とは、ある言語を別の言語に置き換えること、意味を広げれば、例え話のように、ある事柄を別の事柄に読み替えることで理解を促す方法である。本展では「翻訳」を「互いに異なる背景をもつ『わかりあえない』もの同士が意思疎通を図るためのプロセス」と解釈している。他者とは「わかりあえない」ことを前提としたうえで、「わかりあえなさ」とは何なのか、7つのセクションに分けられた作品から読み解いてみたい。
他者に伝わりにくい個人の感覚
最初のセクション「ことばの海をおよぐ」では、世界に7,000以上存在すると言われる音声・文字言語について触れている。展示の冒頭には、本展のディレクターを務めるドミニク・チェンによるメッセージが、日本語・中国語・英語・フランス語の入り混じった動画とテキストで示されていた。彼は日本・台湾・ベトナムの血を引き、国籍はフランス、日本語・フランス語・英語を話す人物である。複数の文化をバックグラウンドにもつ氏だからこそ、「互いに異なる背景をもつ」もの同士のコミュニケーションについて、複数の視点から細やかに眺めることができたのだろう。
《トランス・ポート》
エラ・フランシス・サンダース《翻訳できない世界のことば》では、同氏による同名の著書から引用された、他言語に翻訳し難い言葉が並ぶ。「愛する人の髪にそっと指をとおすしぐさ」を示すポルトガル語CAFUNÉ(カフネ)や日本語のKOMOREBI(木漏れ日)などが挙げられていたが、これらは特定の言語圏に限った行為・事象ではない。わざわざその事柄に当てられる言葉が生まれた背景には、そうした行為がより身近で頻繁に起こるか、その事象に特別な意識が向けられていることがあるだろう。翻訳できない世界の言葉からは、それぞれの言語圏に暮らす人々の価値観の反映をみることができる。
異なる言語を文字通りの意味で理解するには、単語や文法を習得すればいい。しかし、相手の感情や考え方まで理解するには、その背後にある知識や経験、価値観に対する理解が必要なのである。
エラ・フランシス・サンダース《翻訳できない世界のことば》
「伝えかたをさぐる」「体でつたえる」では、聴覚・視覚障がい者とのコミュニケーション方法を探る作品が目立った(註1)。障がい者へのアプローチに関しては、ヘッドホンや目隠しを装着しての擬似体験、音声や触覚による補助など、社会でも多くの取り組みがなされている。しかし、作品を見ていくうちに、障がい者・健常者間で感覚を共有することの難しさや、そうした取り組みが健常者の視点のみで考えられていた可能性もあることに気付かされた。
本多達也の《Ontenna(オンテナ)》は、音を光や振動に変換して伝えるデバイスだ。解説によると、《Ontenna》をつけて真夏の公園を訪れたある聴覚障がい者は、生まれて初めてセミの鳴き声を体験したという。使用者は、手話や筆談による翻訳からは漏れてしまっていた、日常の何気ない音の存在を感じ取ることができたのだろう。
伊藤亜紗(東京工業大学)+林阿希子(NTTサービスエボリューション研究所)+渡邊淳司(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)の《見えないスポーツ図鑑》は、選手の身体感覚を追体験することで、視覚障がい者のスポーツ観戦を試みる作品だ。例えば、柔道では観戦者がタオルの中央を掴み、2人の補助者がその両端を引っ張ったり捻ったりして選手の動きを伝える。通常の観戦では、選手の動きを引いた視点から客観的にみていくが、観戦者自身の体で主観的に捉える方法は革新的で、よりエキサイティングにも思えた。
作家のひとりである伊藤亜紗は、障がい者を「自分と異なる体を持った存在」として見ており、彼らは能力が欠損しているのではなく、その使い方が異なるのだという(註2)。つまり、障がい者と健常者では世界の把握の仕方が違うのである。これも「わかりあえなさ」のひとつと言えよう。
本多達也《Ontenna(オンテナ)》
伊藤亜紗(東京工業大学)+林阿希子(NTTサービスエボリューション研究所)+渡邊淳司(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)《見えないスポーツ図鑑》
時代や場所によって読み替える
「昔とすごす」では、2018年にオープンソース化した国宝・火焔土器の3Dデータを、現代に即した形で翻訳を試みている。市原えつこは《祝詞ロボット・縄文編》として、縄文人が火焔土器に込めたかもしれない信仰心を、ロボットが土器を囲んで祝詞をあげる儀式として蘇らせた。火焔土器の故郷にある長岡造形大学の学生と教員は、同じく3Dデータの公開された土偶「ミス馬高」(重要文化財)の意匠とともに生活用品へ転用して、《縄文のある暮らし》を提案した。
過剰な装飾が施された火焔土器だが、実際に調理に使用した痕跡が残されている。火焔土器は単なる調理器具なのか、特別な器なのか。作家たちは火焔土器に込められた意味を現代語訳し、新たな解釈を加えて提示してくれた。
市原えつこ《祝詞ロボット・縄文編》
長岡造形大学《縄文のある暮らし》
場所に則して翻訳することにより、「文化がまざる」場合もある。永田康祐による映像作品《Translation Zone》では、日本で入手できる食材で異国の料理をつくりながら、料理の翻訳について考察する。作中でつくっているうどんを使ったパッタイは、「パッタイ=米麺のタイ風炒め」という本質が喪失している。また、中華料理の調理法にマレーシア料理の食材を合わせたニョニャ料理のひとつ、シンガポールのラクサが、地域によって同一のものと思えないほど見た目や味に差があることを挙げ、ローカライズされた翻訳による対象の変容についても語っていた。
時代や場所が違えば推測の部分が多くなり、正確さを欠いた翻訳になりがちである。しかし、アレンジによって「わかりあえなさ」が補えるのであれば、それもひとつの手段かもしれない。
永田康祐《Translation Zone》
かけ離れた存在へのアプローチ
「異種とむきあう」では、人間とほかの生物とのコミュニケーションを模索している。《Human×Shark》で長谷川愛は、サメへの好意を匂いに変換した。サメが性的に惹かれる化学物質の香水をまとった女性は、海中で数十匹ものサメに囲まれていたが、性的なアピールの成功は愛を伝えたことになるだろうか。
長谷川愛《Human×Shark》
シュペラ・ピートリッチ《密やかな言語の研究所:読唇術》は、植物の葉の裏側にある気孔の開閉を読唇術の要領で読み取る作品だ。気孔は唇の形をしてはいるが、水分や酸素を吐き出し、二酸化炭素を取り込むための器官である。
シュペラ・ピートリッチ《密やかな言語の研究所:読唇術》
生命のない、自ら動くことのない「モノとのあいだ」では、コミュニケーションはより一方通行になる。やんツー《鑑賞から逃れる》では絵画、彫刻(仏像)、映像(ディスプレイ)の3作品に動力が与えられ、鑑賞者が近付くと逃げていく。仏像は鑑賞者に対して常に正面を向き、距離を保つように指示、西洋由来の芸術鑑賞のあり方について語る。仏像の音声を拾ったディスプレイは、「ソーシャルディスタンス」の検索画面を表示する。仏像は本来、仏を崇拝する媒体として存在し、主に正面から拝されることを想定して造形されるが、この仏像は崇拝の対象から鑑賞の対象への翻訳を拒否しているようにも受け取れた。
人間とはかけ離れた異種・モノとの翻訳では、相手の思考や意思の如何、有無を確認できない。人間と異種では意思疎通の方法が大きく異なるため、コミュニケーションも推測によるところが大きく、すれ違いが生じてしまいがちある。それでも可能性はある方で、モノが相手では空を掴むような話にも思える。
やんツー《鑑賞から逃れる》
翻訳できないものこそ理解につながる
言語においては正確さが必要とされる翻訳だが、パーソナルな感情や記憶、あるいは身体感覚、時代性や場所性など、わかりあいにくい要素は存在する。そうした要素の翻訳を試みた作品は、時に共感を、時にすれ違いを、時に新たな解釈を生んだ。
これまで筆者は、自己と他者との相違について、なるべく多くの事柄を正確に翻訳し、理解することが望ましいと考えていた。しかし会場を巡るうちに、翻訳の不完全さを認識すること、翻訳から漏れてしまうものや誤訳から得られる気付きが、他者を見つめ、自己を見つめるきっかけになり、それがひいては、一方的な解釈ではなく相互理解、つまり「わかりあうこと」につながるのだと思えてきた。作品たちが、さまざまな角度から丁寧に、優しさやユーモアをもって教えてくれたのである。完全にわかりあうことは困難でも、お互いに「わかりあえなさ」が存在するとわかりあうことで、世界の認識範囲を広げ、翻訳の精度を上げることはできるだろう。
(脚注)
*1
「伝えかたをさぐる」で展示されていた鈴木悠平と清水淳子の作品《moyamoya room》は、鈴木氏の加害行為により出品が取り下げられた。本件の詳細については、ドミニク・チェン氏が以下のページにて説明を行っている。
「トランスレーションズ展の一部内容変更(「moyamoya room」の取り下げ)に至った経緯等のご説明」2021年4月14日
https://medium.com/@dominickchen/1c582e3f2aaf
*2
伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』光文社新書、2015年、23・30ページ
(information)
トランスレーションズ展−『わかりあえなさ』をわかりあおう
会期:2020年10月16日(金)〜2021年6月13日(日)
※2021年4月25日(日)から6月1日(火)にかけては、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため休館。
会場:21_21 DESIGN SIGHT ギャラリー1&2
入場料:一般1,200円、大学生800円、高校生500円、中学生以下無料
主催:21_21 DESIGN SIGHT、公益財団法人 三宅一生デザイン文化財団
後援:文化庁、経済産業省、港区教育委員会
http://www.2121designsight.jp/program/translations/
※URLは2021年6月28日にリンクを確認済み