第25回文化庁メディア芸術祭で功労賞を受賞した株式会社ポリゴン・ピクチュアズ代表取締役の塩田周三氏は1991年に新日本製鐵株式會社(現・日本製鉄株式会社)に入社してからエンターテインメント業界へと移ってきた異色の経歴でも知られている。そうした経歴がアニメーション業界の経営戦略や働き方の変革に効果を発揮した部分も少なくない。

エミー賞受賞時の塩田氏

活躍の場を海外から日本へ

ポリゴン・ピクチュアズに入る前からアニメーションについてはお好きだったのですか?

塩田:実はこの業界に入るまで、CGとかアニメーションについて知識も興味もありませんでした。映画鑑賞はしていましたし、CGアニメーションは『トイ・ストーリー』(1995年)を見てはいましたが、あまり知りませんでした。入ってみて、業界にものすごく高揚感があることを知りました。自分はそうしたノリが大好きなので楽しかったですね。

最初はドリーム・ピクチュアズ・スタジオ(DPS)に参加されるんですよね。

塩田:その頃の日本は、CGアニメーション映画ではアメリカにまだかなわないけれど、ゲームなら勝負できるという強さがあって、自信にもあふれていました。ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)の中村雅哉会長たちもそうした自信の裏付けがあって、ピクサーの後を継ぐといった気持ちが浮かんだのでしょう。CGアニメーションも我々がDPSを始める半年ぐらい前に『ファイナルファンタジー』(2001年)の話が動いていたように思います。あとは『VISITOR』(1998年)や『A・LI・CE』(2000年)といった作品が話題になっていましたね。

DPSは結果的に解散となって、ポリゴン・ピクチュアズは苦境を迎えますが、2007年の『プーさんといっしょ』をディズニーから受託して海外で高い評価を受けます。日本市場についてはどのような状況だったのでしょうか。

塩田:日本でも営業はしていて、いただける仕事は全部いただいていました。カプコンのゲーム『鬼武者2』(2002年)のトレーラーとか「ウルトラマンコスモス」の映画シリーズの怪獣の造形とか、下請けCGスタジオとしてやれることは何でもやっていました。ポリゴン・ピクチュアズという名前が出ることが目標というよりも、その頃はどんな形でも良いから仕事を見つけるしかないと思っていました。

功労賞贈賞の理由には、『シドニアの騎士』(2014年)をNetflixと組んで配信して、日本のアニメーション市場にテレビ放送とは違った配信というプラットフォームの可能性を見せたことも挙げられています。これは最初から意図していたことですか。

塩田:Netflixと組めたのは、僕たちがある意味で国内では半端ものだったということがありますね。当時の日本のテレビ業界ではNetflixは恐るべき黒船といった印象で、どこも近づかせないように考えているところがありました。そうしたなかで僕たちは、テレビ界のプレイヤーではなくほかに選択肢がありませんでした。守るべきものもなかったのでNetflixに近づけたんです。

Netflixから声がかかったのは海外での評価があったからでしょうか。

塩田:当時弊社の海外事業担当のジャック・リヤンが米国の主要配信会社すべてにコネクションをたどりながら声掛けをしました。そのなかで、Netflixの方が一番早く、しかも積極的に反応してくれました。その意味でこれも人が契機になっていると言えるかもしれません。2009年くらいまでに我々はアメリカのテレビアニメシリーズのなかで確固たるポジショニングを得ていました。『トランスフォーマー プライム』(2010~2011年)で第39回デイタイム・エミー賞のアニメーション番組特別部門最優秀賞を受賞しました。また『トロン:ライジング』(2012年)ではいまだに誰も見たことがないという映像スタイルをつくり上げ、当時Netflixでも配信されていたので、我々の制作力について高く評価してくれました。北米市場の事情がわかっているうえに、日本に対するエントリーポイントも持っていて制作ができる僕たちを認めてくれたのではないかと思っています。

日本市場の強化にはアメリカ市場での番組事情も関係していたのですか。

塩田:2006年から2009年あたりに、ハイバジェットでハイコンセプトのボーイズアクションのピークがあったのですが、アメリカでアニメを見るのは主に子どもだったりするので、お金をかけている割に今ひとつインパクトが出ないといった評価でした。それで下火になりつつある気配を感じていたタイミングで、『シドニアの騎士』を手掛けることになる瀬下寛之監督が弊社に来てくれたんです。カシオエンターテイメントに所属していたんですが、事業を継続しないことになってプロダクションデザインの田中直哉さんたちとポリゴン・ピクチュアズに来てもらいました。

何かをつくってもらう予定だったのですか?

塩田:何かビジョンがあったというわけではないんです。カシオエンターテイメントにいた頃から瀬下監督とは定期的に飲んだり何時間もカラオケに行ったりしていました。そうして話すなかで、瀬下監督は経営に関わるよりもクリエイティブに専念したほうが生きると個人的に思うようになりました。ポリゴン・ピクチュアズにアニメ制作の上流工程を担う人物がいないこともあって手伝ってほしいとお願いしたんです。自分たちにいないタイプの人材だからありがたいと思って呼びました。

タイミングが合致したのですね。

塩田:同じ頃、今は副社長をしている守屋秀樹が入ってきました。僕が国内営業の担当役員を新たに探したいと思って最初に声をかけた人が、講談社のライツ部門に移ったばかりで自分は行けないのでGDH(現ゴンゾ)時代の後輩の守屋を紹介してくれたんです。守屋は僕が不得意な製作委員会的な動きができました。彼が『トロン:ライジング』を見て、これができるなら日本のアニメも制作できるのではないかと提案してくれたことで、ポリゴン・ピクチュアズにとって最初のテレビアニメシリーズの製作委員会参加作品となる『シドニアの騎士』が始まりました。

2つの戦略が見事にハマった感じです。

塩田:ただ、当時日本のアニメ市場では制作費が上限で1話あたり2,000万円程度なんです。北米ではもっと大きな予算でつくっていましたから、それと同じクオリティを2,000万円では出せません。そうなったとき、僕らが得意な北米市場でリクープする構造を考えました。そこで、前述のように海外担当のジャックが片っ端からNetflixやAmazonといったプラットフォーマーに声をかけたら、Netflixが関心を持ってくれたんです。日本法人ができる1年くらい前でしたが、日本市場を拡大したい気持ちがあり、そのうえでコンテンツとして有望なのはアニメと考えていたようでした。そこに北米市場についてよく知っていて、英語でコミュニケーションもとれるということで僕らが入っていきました。

塩田氏は6歳から15歳までアメリカで生活していた。そこで身につけた語学力や国際感覚は、外国人スタッフの招へいや海外メジャースタジオとの交渉に役立った

新たな表現を生み出すクリエイターを発掘

以後も『亜人』(2016年)のシリーズや『GODZILLA 怪獣惑星』(2017年)から始まる3部作、『空挺ドラゴンズ』(2020年)に『エスタブライフ グレイトエスケープ』(2022年)と数々のアニメーションを手掛けて国内で確固とした地位を確立しました。こうした活動とは別に、功労賞贈賞ではアヌシー国際アニメーション映画祭やSIGGRAPHといったフェスティバルの審査員としての活動も評価されました。そうした活動のなかで優れたクリエイターを発掘し紹介することを重視されるようになったのはなぜですか。

塩田:ある意味一貫していることですが、やはり人との出会いが大切だと考えているからです。結局のところそれが一番強いんです。SIGGRAPHやアルス・エレクトロニカや学生CGコンテスト、国内のDigiCon6ですが、そういった場所で大勢の方々と出会いました。1回も仕事をしたことがなかったのが、何十年か経って初めて仕事につながったということがあります。直接仕事とは関係のないなかでできた関係性が、やがて仕事につながっていくというのがおもしろいんです。これはポリゴン・ピクチュアズの仕事ではなかったとしても、メリットがあることだと思っています。

アート系の短編アニメーションは商業ベースには乗りづらく、ポリゴン・ピクチュアズの本業には結びつきづらいところがありますが、それでも関わり続けるのですね。

塩田:一般にアートアニメーションと言われるものが大好きなんです。商業としては成立しないけれど、狂気にあふれたような内容のものがあっておもしろいんです。そういう作家性の強い人をポリゴン・ピクチュアズが採用するかというと、商業ベースには乗せられないし、乗せたくないこともあって採用はしませんが、アニメーションのエコシステムにはそうした人たちがすごく必要なんです。そうした人たちが先兵となってフェスティバルで切り開いた表現の最先端を、商業で切り取っていくことで表現が進んでいくんです。後ろめたくはあるんですが、だからこそ商業の窮屈ではないところで、彼ら彼女たちが作品を制作できる環境をつくりたいと思ってやってきました。

そうしたなかでWIT STUDIOが『PUI PUI モルカー』(2021年)をヒットさせた藝大大学院出身の見里朝希監督を招いてストップモーション・アニメーションのスタジオを立ち上げました。

塩田:そうなんですよ。その話を聞く度にグサグサ来るんです。見里君は多摩美大の卒業作品となる『あたしだけをみて』(2016年)の頃から知っていて、僕がやっていたクリエイティブコミュニティイベントTHU Gathering Tokyoにも参加してもらいました。すごく感動してくれて、マルタ島で開かれた本家のTrojan Horse was a Unicornまでわざわざ行ったくらいです。それくらい近い距離にいたのに、僕はWIT STUDIOがやったことができませんでした。見里君はコマーシャルベースで活躍できると感じていましたが、ストップモーションの作家だということがあって、うちではないと思ってしまいました。僕の器が小さかったんですね。WIT SUDIOだってストップモーション・アニメーションの会社ではありませんが、それでも見里君を採りました。懐の深さがありますね。

Trojan Horse was a Unicorn(THU)の様子

いろいろな才能に目を掛けているのですね。

塩田:幸洋子さんという人がいて、第17回のDigiCon6 ASIAで『ズドラーストヴィチェ!』(2015年)に審査員特別賞を贈りました。素晴らしい作品で大好きなんですが、幸さんは今はマーザに所属しながら独自の作品をつくったりしています。僕がそれをできないのがやっぱりすごく痛いんです。だから、THUでもSIGGRAPHでもそういった才能が見出される場をつくっていきたいんですね。見つけてもらえさえすれば花は開くものですから。

制作の効率化を図ることでクオリティが向上

ポリゴン・ピクチュアズは不眠不休で働くと言われるアニメーション業界にあって、早くからホワイトな働き方を取り入れたスタジオとしても知られています。

塩田:ディズニーから『プーさんといっしょ』の仕事をいただいて、評判も良かったんですがその頃はちょうど今とは逆の円高で、売上高が目減りしてしまったんです。初めて20数本のシリーズを手掛けたこともあっていろいろと考えが及ばないところがあって赤字を出してしまいました。それで、今につながる改善運動を始めました。

ワークフローの改善ですか。

塩田:工数がかかりすぎるのを減らすことを考えました。『プーさんといっしょ』の最初のシーズンで赤字が出たときに、「アタック25」というムーブメントを始めたんです。生産性を25%向上させようというもので、メンバーを集めて合宿をして改善点を200いくつ積み上げました。開発工数をどこまで減らせるか、経済的なインパクトはどれくらいあるのかをリスト化して順位付けして取り組んでいったんです。工数を短縮するツールの開発で結果的に28%の向上を達成しました。

以前から効率化については考えておられたのですか。

塩田:DPSに入ったとき、ピクサーのクレジットリストを見て、アニメーションの制作は製造業的な分業体制でラインが流れていることに気が付きました。アニメーションの経験がない僕でも貢献できる分野だと強く思いました。ポリゴン・ピクチュアズで『デジタル所さん』(2000~2001年)を手掛けることになったとき、ようやく機会が来たと思って、今は副社長ですが、当時は日本能率協会コンサルティングで製造業のコンサルティングを行っていた安宅洋一に相談したんです。アニメーション制作に製造業的なアプローチをしたら改善ができると思う、CGアニメーションは特に素材のフローがすべてデータなのでより効果的だと思う、と。本人も賛同してくれていろいろと助言をくれました。それから数年経ち、前述した『プーさんといっしょ』の制作時にポリゴン・ピクチュアズに来てほしいと頼みました。安宅も賛同して移ってくれました。

『デジタル所さん』キービジュアル
©TV CLUB・POLYGON PICTURES・VAP・NTV

すぐに成果は出たのですか?

塩田:『デジタル所さん』のときはまだ踏み込めなかったんですが、『プーさんといっしょ』で赤字が出て、本気で効率化しなければ会社が潰れてしまいそうだったので、安宅の陣頭指揮で「アタック25」に取り組みました。結果、前述のとおり28%の効率向上につながりました。最初スタッフは懐疑的でしたね。本当にクオリティが上がるのか、クリエイティビティが下がるのではないかといった声もありましたが、もう後がないとあって積極的に協力してくれました。結果、クリエイティビティが上がりクオリティ・オブ・ライフも上がって生活が楽になりました。以来、ずっと効率化に取り組んでくれています。

これからの目標はありますか。

塩田:よく聞かれることですが、ここまで話してきたように、それほどガチガチに戦略を立ててビジョンに向かって進んでいるわけではないんです。一歩一歩進んでいる感じですね。「誰もやっていないことを 圧倒的なクオリティで 世界に向けて発信していく」ことを、常に問うているだけです。それを実行できる環境をつくり、実行できる方々を仲間に入れることしか考えていません。その繰り返しです。そこに僕がどういった関わり方をするのか。僕だけしかできない動き方で、人とのつながりをつくって新しい道を拓いていくことを考えています。


株式会社ポリゴン・ピクチュアズ
1983年7月創立以来、「誰もやっていないことを 圧倒的なクオリティで 世界に向けて発信していく」ことをミッションに掲げ、先端的なエンタテインメント映像の製作を手掛ける国内最大手のデジタルアニメーションスタジオ。マレーシアの制作拠点「Silver Ant PPI Sdn. Bhd.」を含め、300名以上のクリエイターが集結。最新技術を駆使し情熱をもってコンテンツ制作に力を注いでいる。代表作は『シドニアの騎士』『パシフィック・リム:暗黒の大陸』「トランスフォーマー」シリーズ、『スター・ウォーズ レジスタンス』『げんきげんき ノンタン』など。https://www.ppi.co.jp/

※URLは2022年8月10日にリンクを確認済み