本稿の筆者の渡部宏樹氏は、2018年度から毎年、エジプト・アレクサンドリア郊外にあるエジプト日本科学技術大学の新入生に向けて「日本文化」の授業を担当している。地理的にも文化的にも遠いエジプトの学生に教えるために、アニメを中心とする日本映画を通して日本の近現代史と文化・社会について学ぶように授業を設計したという。中産階級が拡大し高等教育需要が高まる国外の新興国に進出する大学も増えていく状況のなかで、日本のポピュラー文化であるアニメやマンガをどのように教えるか。ひとつの実践例として、具体的に授業を設計した際の筆者の所感を伝える。

エジプト日本科学技術大学のキャンパス

E-JUSTとエジプトにおける高等教育需要の増加

エジプト日本科学技術大学(Egypt-Japan University of Science and Technology:E-JUST)はエジプト第二の都市アレクサンドリアから南西におよそ50kmに位置する大学である。2010年に大学院を先行して開設し、2017年からは学部課程も学生の受け入れを開始した。E-JUST開学の背景にはエジプトにおける高等教育需要の急増がある。少子高齢化が進む日本と異なり子どもや若者が多いエジプトでは、高等教育就学者数が増加し、国立大学では教育の質の低下が問題視されている。例えば、国立のカイロ大学は学生数が26万人を超え、工学部では教員一人当たり学生数が30人を超えてしまっている(註1)。欧米系の私立大学も新設されているが授業料が高く、またエジプトの産業を支える工学教育に積極的ではないといった問題が指摘されている。2005年にエジプト政府が「既存の国立・私立大学とは全く異なる、日本型の工学教育の特長を活かした「少人数、大学院・研究中心、実践的かつ国際水準の教育提供」をコンセプトとする国立大学[…]を新設するための支援を日本政府に要請」(註2)したことでE-JUSTの計画が始まった。開学に際しての予算120億円のうち20億円ほどが日本から拠出され、10を超える日本の協力大学が教員を派遣するという形で支援を行っている。

近年、エジプト周辺の中近東諸国やアジア諸国に進出する欧米の大学は数多い。アブダビ、ドバイ、シンガポール、上海といったこれらの地域の主要都市には、ニューヨーク大学、マサチューセッツ工科大学、ソルボンヌ大学、ハーバード大学、イェール大学、デューク大学、シカゴ大学といった主に英語圏の有名大学の現地校や共同研究施設が設立されている。また、旧英国領であるマレーシアには同じく英国領であったオーストラリアのモナシュ大学が現地校を開設している。こういった欧米系の特に英語圏の大学の海外分校や現地校の設立は、おそらく年齢構成が若く学費を払うことができる中産階級が勃興している国や地域に進出しておこうという経営上の動機に促されているのだろう。一方、上述のE-JUSTはこういった欧米の大学の動きとは性質が異なるようだ。新興国に進出する欧米系の大学が私立であるのに対して、E-JUSTはエジプトと日本の政府間の合意が出発点にあり、被支援国の要請に基づいて国際協力を行う独立行政法人国際協力機構(JICA)が実務を担当しているため、工学系の研究・教育に注力したよい意味で「泥臭い」取り組みを行っている(註3)。広大なキャンパスには工学系の研究のためのさまざまな実験室が用意されており、実験室で使用する機材の選定や調達、さらには現地での使い方の指導には日本の大学から派遣された研究者たちが骨を折っていた。細かな調整業務を担当するJICAは、ポーランド日本情報工科大学、日越大学、マレーシア日本国際工科院といったプロジェクトにも関わっており、いずれも金・情報・人が集まる新興都市の成長力を取り込もうというよりは、被支援国が求める工学の高等教育の普及とそれによって将来的に産業を育成することを目指した地道な努力だ。
 

E-JUSTのラボの様子(JICA提供)

E-JUSTでの教育の実態としては、高等教育以前にミシェル・フーコーが言うところの「規律訓練(ディシプリン、discipline)」が求められている面もある。ここで言う「規律訓練」とは見られているという感覚を植え付けることで自発的に権力に従う主体をつくり出すメカニズムのことで、日本の初等中等教育を経験した多くの読者にとっては馴染みのある概念だろう(註4)。すでに述べたとおりエジプトの高等教育は供給が間に合っていないが、それは初等教育や中等教育にも言えるようで、日本の観点からすると基本的な学校文化を身につけていない学生もいる。新入生のなかには、時間どおりに教室にやってくるとか、テストでは人と相談をしないといったことが常識として共有されていない学生もおり、一方で、許可など求める必要もないのに「トイレにいってもいいですか?」と学生たちが次から次に大人数に向けた講義を遮ることもあった。

そういった背景もあってか、JICAは「特活」という名前で日本の初等・中等教育での習慣の普及を促進している(註5)。「特活」とは「特別活動」の略で、学級会、日直、掃除当番といった日本の学校で行われている授業以外の活動部分のことを指し、これらを2018年に開校したエジプト・日本学校という小学校で取り入れている。JICAによるとエジプトの教育は「学力偏重の詰め込み型教育が一般的で、保護者もそうした教育を望んでいた。先生は高圧的で、知識を教えるだけの一方通行。学校不足から1クラスに70~80人もの児童・生徒が詰め込まれることもあり、学びにくい環境だ」(註6)った。しかし、近年では社会性や協調性への注目が高まり、そこで「特活」が注目されたという(註7)。E-JUSTもまた日本型の大学制度としての「ゼミ」やリベラル・アーツ教育を導入しようとして格闘しているのだが、これは工学系の教育を実際に行うためにその前提となる高等教育機関での基礎的な学習態度の涵養を意図している部分もあるようだ。

「日本文化」をどう教えるのか?

このような期待のなかで開設される「日本文化」の授業は、E-JUSTのイサム・ハムザ教授と共同で運営し、前半7週をハムザ教授が、後半7週を筆者が担当した。ハムザ教授の担当部分では神道、仏教、儒教などの伝統文化の基盤が日本人の日常生活にいかに影響を与えているのかを幅広く論じ、学生たちはグループワーク課題などを通じて講義で学んだ知識を深め、日本という国を深く理解するように設計されている。ハムザ教授は、1978年にカイロ大学文学部日本語日本文学科を一期生として卒業後、13年間日本に留学し、1991年に「近代日本への新国家構想」で博士号を取得した。本居宣長から平田篤胤に連なる国学の流れを踏まえ、水戸学の支柱である藤田東湖や会沢正志斎などの勤皇の志士や近代国家としての日本のあり方を模索した横井小楠の思想を概観したものだ(註8)。ハムザ教授は江戸時代に育まれた儒学の伝統や教育の蓄積が日本の近代化を支えたと評価しており、マレーシアのルックイースト政策同様に、近代化・産業化のモデルを欧米諸国ではなく日本に見出そうとする立場と類似したものである。

日本文化の授業のイントロダクションを行うハムザ教授(JICA提供)

ここで筆者は少し困ってしまった。エジプト人のハムザ教授が日本の非欧米的な学問の伝統や教育を重視してきた歴史から学ぼうというのは理解できる。人口ピラミッドがまさにピラミッドのように広がっていて若年人口が膨大におり、それを吸収する教育体制が十分でないという現実に対して、単にテストを乗り切るのではない学ぶ姿勢や真面目に勉強する習慣を身につけさせようとするハムザ教授の主張にも同意する。かといって、日本から来た日本人の筆者がハムザ教授のように「近代化に成功した日本に学べ」という態度で教えたとしたら、あまりにも素朴に文化帝国主義的な立場に陥ってしまう。それ以上に30年間ほとんど経済成長していない日本の現実から目を背けることになってしまう。現実には新しい産業を育てて経済発展を遂げている東アジアや東南アジアの国々にも、エジプトにとって参考になる面は多いだろう。ハムザ教授の意図や目的とは別に、このような現実に目を向けずに「近代化や産業化を成功させた日本の精神と文化」なるものを講義するとしたら、それは経済や産業では新興国に追い抜かれていく国が追い込まれた末に伝統文化に精神的活路を見出す醜悪さを呈してしまう。だとすると日本人講師としてはどのような態度で日本文化を教えればいいのだろうか?

「規律訓練(ディシプリン)」から「学問分野(ディシプリン)」へ

結局、大学という新しい制度に適応しようと戸惑い試行錯誤している目の前の学生たちに対してできることは、自分が鍛えられた学問的基準に照らして妥協せず授業をし、そうすることで良いところも悪いところも含めて立体的に日本の近現代史を示すことくらいだった。「規律訓練」や「しつけ」を意味する英単語「discipline」には、「学問分野」という意味もある。何らかの学問を修めるには、その学問を構成している概念や法則や議論をまずは訓練して身につける必要があるということだ。大学教育の基本に立ち返って、この「学問分野」という意味での「ディシプリン」を忠実に示して見せることをE-JUSTでの教育の目標に据えた。目の前にある映画テクストを精緻に分析して、そのテクストが孕んでいる読みの可能性を限界まで示してみせれば、それは必然的にそのテクストを生み出した歴史・社会・文化の複雑さを示してみせることになるだろう。

例えば、毎年初回の授業では新海誠の『君の名は。』(2016年)を取り上げ、3.11以降の災害のトラウマと忘却の問題に注意を促した。日本の高校生の生活を都会と田舎を対比する形で描く同作は、大学に入学したばかりの18歳の若者の関心をひくだろうという計算がまずはあった。加えて、男女の主人公が入れ替わるストーリー展開は、日本語初習者にとって日本語の一人称単数がジェンダーや状況によって異なることを印象深く学べるだろうという打算もあった。このように受講生側の事情も考慮したが、同時に、テクストを注意深く読むことに手は抜かなかった。作品の最後に2人の主人公は幸福に出会い直す。しかし彼らは最初の出会いの記憶を完全に忘却したまま再会するのであり、結果的に表面上のハッピーエンドの裏側には深い断絶を抱え込んでいる。死者と会話するために置かれた電話線がどこにもつながっていない「風の電話」を紹介し3.11の文脈を補助線として導入することで、この最初の出会いを忘却したまま幸福に生きてしまうという断絶が、日本社会がトラウマ的災害に向き合うときの困難と葛藤を反映していることを議論した(註9)。

E-JUSTでの日本文化の授業を行う筆者(JICA提供)

「日本文化」の授業は、このように日本社会を多面的に描き出したアニメを通して日本の近現代史を追いかける構成になった。例えば、『風立ちぬ』(2013年)を使った回では日本の近代化と帝国主義が両輪の関係にあることを扱った。零戦を開発する主人公は技術者としては自分の夢を追いかけているが、監督の宮崎駿は主人公がメガネのレンズを通して歪んだ像を見ていることを強調してもいる。そうすることで、宮崎は主人公が自分の技術者としての夢の追究が結果的に多くの人を殺してしまうという事実から目を背けていることを自己批判的に描き出している。工学系の大学だからこそ、このような映画の解釈を前提として、技術者倫理について議論する時間を積極的に取り入れた。『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)は日本では狸や猫は死後に変身するという文化の紹介に使うと同時に、戦後の人口増加に伴う宅地開発による自然破壊について解説し、日本の高度経済成長が水俣などの深刻な公害をひきおこしたことも紹介した。『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995年)や『パプリカ』(2006年)などはバブル経済を謳歌しコンテンツの消費が拡大した90年代以降、その反面にさまざまな実存的不安が伴っていたことを議論するのに用いた。

授業では実写映画も使用した。「男はつらいよ」シリーズがエジプトの一般家庭の雰囲気に近いというハムザ教授の声もあり、学生たちには自分の生まれ育った環境と比較してもらった。E-JUSTには比較的裕福な家庭出身の学生や、シリアからの難民、スーダンなどからの留学生も多く、クラスの全員が同作品に描かれる人間関係を自分が育った環境と似ているとは捉えていなかった。だが、寅さんとその妹が腹違いの兄妹で、亡くなった父親の弟の家に居候している肩身の狭い状態であるからこそ、寅さんが死んだ父親に代わって妹の結婚の世話をしようとする(が失敗する)というプロットを戦前の家制度と関連づけて説明すると、エジプトの生活との共通点があるのか深く興味関心を示す学生もいた。『Shall Weダンス?』(1996年)を使って、郊外から通勤し都心で居酒屋に通いパチンコ屋で時間を潰す20世紀後半のサラリーマンの生活を解説すると、ビジネス系の研究をしている大学院生からはトヨタの「カイゼン」の背景にあるサラリーマンのライフスタイルがよく理解できたと好評だった。ちなみに『Shall Weダンス?』はリチャード・ギア主演のハリウッド・リメイクがよく知られているが、エジプトでもリメイクされている。エジプトのリメイク版では男女が逆転しており、中年女性の弁護士が、若い男性のダンサー相手に恋に落ちるという展開で、比較検討してみたいのだが、コロナ禍で渡航できずまだ実現していない。

具体的な映画を見せることでわかりやすい授業を心がけたが、すべてがうまくいったわけではない。学生たちはかならずしも日本や日本の文化に関心があるわけではなく、日本語を学習しはじめたばかりで日本にはもちろん行ったことがない。日本についてのニュース動画や文化を解説した動画を用意してスライドに組み込むなど膨大な準備をしたうえで、学生の反応を見ながら毎年内容を少しずつ更新した。2018年度の入学者は60名程度だったが、2019年には約180人、2020年秋学期には約500人、2021年度は約1,200名と急増する学生数に対応するために、また新型コロナウイルスの影響でエジプトに渡航できなかったために、筆者のビデオ講義と現地でのクラスごとのティーチング・アシスタント(TA)によるディスカッションを組み合わせる形式で、本来の目的である少人数教育を何とか実現した。

まとめ:ステレオタイプからその先へ

グローバル化する社会のなかで、日本のポピュラー文化を日本人以外の学生に教えるという機会は増えていくであろう。言うまでもないことだが、単純に「日本の文化は素晴らしい」という態度で教えてしまうと、文化帝国主義に加担したり美化されたイメージの消費に従属したりといったさまざまな問題につながる。わかりやすい例としては、アイヌは自然との共生をする民族であるとか、沖縄はゆったりとした時間が流れる南国の楽園であるというように表象してしまうことの問題が挙げられる。これらのイメージは一般的に肯定的に捉えられるが、ビジネス上の目的からこういった表象が要請されることが多く、定型化したイメージのなかにアイヌや沖縄を押し込めることで、それ以外の別のアイヌや沖縄の現実を抹消してしまうことにつながる。E-JUSTやJICAとしては「日本型」の高等教育を現地に定着させるという目標があり、そのために現地で骨を折って取り組んでいる人々の真摯さには疑いはないが、とはいえその目的のために日本文化を審美化していいわけではない。

ステレオタイプな異文化の理解はよくないが、それでもなお、多くの人はステレオタイプなイメージを通して未知のものに興味・関心を持つという現実もある。筆者も正直に言えば渡航する前は非常にステレオタイプなエジプト理解に留まっていたが、実際に行ってみることで理解が深まったことは否定できない。日本から隔たったエジプトの学生に最初から日本の文化社会の複雑さを理解するように強いることもまた問題だろう。その点ではE-JUSTのリベラル・アーツ教育支援の筑波大学側の責任者である森尾貴広教授は、エジプトにこまめに足を運び現代日本のポピュラー文化の紹介に骨を折っており、学生たちの興味関心を上手に呼び起こしていた。学生たちの関心をひく具体的なポピュラー文化や映像作品を精緻に分析することでそのテクストの可能性を引き出し、そうすることで自他の文化を批判的・複眼的に見る意識を育成するというのが、現時点で筆者ができる「日本文化」の授業である(註10)。これは、結果的に、ハムザ教授とひいてはエジプト社会が求める「物事をきちんと考えることができる有為な人材」(註11)の育成にも貢献するだろう。

E-JUSTにて現代日本のポピュラー文化の紹介を行う森尾筑波大学教授。実際に具体的なモノを触るという経験も重要である(JICA提供)

(脚注)
*1
「プロジェクト概要」独立行政法人国際協力機構(JICA)ホームページ
https://www.jica.go.jp/project/egypt/0604392/01/index.html

*2
同上

*3
JICAの教育強力については「JICA 教育協力ポジションペーパー」(2015年10月)を参照のこと。
https://www.jica.go.jp/activities/issues/education/ku57pq00002cy6fc-att/position_paper_education.pdf

*4
規律訓練についてのフーコーの議論を詳しく知りたい方は、入門書として千葉雅也『現代思想入門』(講談社、2022年)93-98ページを参照のこと。

*5
「特別活動」導入の経緯やエジプト側の反応については次の文献を参照のこと。中島悠介「エジプトにおける「特別活動」を通した日本式教育の導入と課題に関する考察―現地報道を手がかりに―」「大阪大谷大学 教育研究」第43号、2017年、47-55ページ
https://www.osaka-ohtani.ac.jp/files/department/education/society/043_p47.pdf

*6
光石達哉「「日本式教育」で、子どもたちが変わる! エジプト」独立行政法人国際協力機構(JICA)ホームページ
https://www.jica.go.jp/publication/mundi/1904/201904_03_01.html

*7
この背景には、サウジアラビアNBCのテレビ番組「ハワーテル・改善」で、日本の小学校では子どもたちが自分で給食の配膳や掃除をすることを肯定的に紹介したことなども背景にあるのかもしれない。

*8
近藤久嗣「近代化を成し遂げた志士に学べ:エジプトの“知の巨人”イサム・ハムザが語る日本論」nippon.com、2022年4月27日
https://www.nippon.com/ja/people/e00194/

*9
渡部宏樹「風景から光景へ――『君の名は。』における仮想のレンズと半透明性」『表象15:配信の政治――ライヴとライフのメディア』2021年、191-207ページ

*10
文化を紹介するときのオリエンタリズム的問題に関心のある方は、福井栄二郎「伝統の創造 本質主義と構築主義を巡るせめぎ合い」、市野澤潤平編著『基本概念から学ぶ観光人類学』(ナカニシヤ出版、2022年)の特に「戦略的本質主義と文化の売春」(76-79ページ)を参照のこと。

*11
近藤、前掲記事(註8)

※URLは2022年8月22日にリンクを確認済み