「Rhizome」のプリザベーション・ディレクターのドラガン・エスペンシードにインターネット・アートの保存活動について聞く本コラム。Rhizomeで働くまでの経緯やこれまで進めてきたプロジェクト事例が示された前編に続き、後編ではインターネット・アートの特色やNFTのような新しい動きについてのドラガンの見解を聞いた。

ネット・アーティストのオリア・リアリナ(Olia Lialina)とドラガン・エスペンシード(Dragan Espenschied)。素晴らしい2人のパートナーシップが感じられる

インターネット・アートの特色

インターネット・アートの展示は、メディアアートに特化した美術館のみに限らず、さまざまな美術館の展覧会で紹介され、パブリック・スペースでも目にする機会があり、「珍しい存在」ではなくなった。一方で、その特色を強調するかのように「アート」の前に「インターネット」という言葉を加え、「インターネット・アート」と区別して呼ぶことが依然多い。コンサバターとして、また、一人のネット・アーティストとして、その特色についてドラガン・エスペンシードはどう見ているだろうか。

デジタル・アートやインターネット・アートには、独自の用語が必要だと強く思っています。時に最もポピュラーな芸術形態と見なされるかもしれませんが、その物質性や特異性が理解されなければ、芸術的表現や芸術的卓越性が損なわれるでしょう。

ほかのアートが持たない、デジタル・アートやインターネット・アート特有の物質性や特異性とは何か。

ネットワークでは、「権力」は透明性(註1)にあります。「ユーザーにとって重要ではないはずの細部が見えない」ようになっているため、ネットワーク、ひいては、そのユーザーを分割して悪用、利用することもできるのです。このことは私にとって政治的トピックと言っても過言ではありません。(註2

「重要ではないはずの細部が見えない」とはいったいどういうことか。彼に例を挙げてもらった。

わかりやすく言うと、例えば、Instagramは、画像やビデオを異なるフォーマットに変換したり、自分以外のユーザーに配布したり、レイアウトを一からデザインしたりといった、「ユーザーにとって重要ではないこと」は「見えず」、ユーザー自身が何も行う必要がありません。「本当に重要なこと」、つまり、「コンテンツの作成」にのみ集中できるサービスを提供しているのです。ただ、このタイプのサービスや製品は、プラットフォームの仕組みを「透明化」するものです。ユーザーが気づかないうちに通過してしまうように設計されています。このような環境では、アーティストにとって真の芸術的自律性を獲得することは非常に困難なのです。

NFTアートのような新しいムーブメントと、アーティストが作品を公開する「場」

以前は存在しなかったNFTアート(註3)の動きやアーティストの参入についての見解を彼に聞いた。

例えば、アーティストのラファエル・ローゼンダール(Rafaël Rozendaal)はNFTアートのムーブメント以前から、ウェブサイトをアート作品として販売しているアーティストの一人だ(註4)。彼は現在NFTアートも同時に販売している。一方で、NFTアートはアーティスト以外による作品も多い。その点がNFTアートの特徴のひとつであるが、ドラガンはどのように考えているだろうか。

実際、ラファエル・ローゼンダールは早い段階でデジタルオブジェクトの所有権に関するアイデアを作品に取り入れており、NFT モデルへの転換は小さな次のステップのように見えました。しかし、所有権の側面が彼のアートを支配することは決してありませんでした。人々はその非常に強い芸術的資質を高く評価しているのです。

アーティストが、新しいとされるもの、例えば、過去に起こったようなモバイル・データ・ネットワーク、ユビキタス・コンピューティングの位置情報、インターネット、バーチャル・リアリティなどを世に送り出す手段として使われるときはいつでも、アーティストとして自立し続けることは構造的に非常に困難です。

たとえアーティストが「先駆的な仕事」をして、「新しいムーブメントを先導」しているように見えても、彼らが宣伝するはずのものが、逆に相手方から支配されてしまう可能性が非常に高いのです。そして、さまざまな業界が、テクノロジー業界からの内省や内部からの批判に強いシステムを構築する方法を学びはじめています。

例えば、アーティストがYouTubeを作品公開する場として選んだ場合、YouTubeを支持していないと活動が非常に難しいです。動画がアップロードされる度に、YouTubeに視聴者が集まり、企業はそれを利用することができます。たとえその動画がYouTubeに批判的なものであっても、動画の分析が行われ、分類され、ほかの動画とミックスされ、そして誰かにレコメンドされていきます。たとえその動画がYouTubeそのものに形式主義的な言及をしていたとしても、YouTubeは少しずつ変化していくため、芸術的介入が行えるのはごく短いあいだです。

その意味で、NFTの空間は芸術的自律性の可能性をほとんど排除することによって、レジリエンスを高めた、おそらく私がこれまで見たなかで最も先進的な構造と思います。ただし、アーティストがそこでできることはあまりないように思います。

YouTubeを使った作品にはどのような例があるか。彼に振り返ってもらった。

例えば、アーティストのコンスタン・デュラート(Constant Dullaart)は、2008年にYouTubeを題材に、その時点のYouTubeの仕組みに言及した一連の動画作品を制作しています。作品のビデオでは、YouTubeのユーザー・インターフェース要素が示されており、「何が本物のユーザー・インターフェース要素」で、「何がビデオに登場する単なるグラフィック」なのか、見分け理解することが難しくなっています。ただし、YouTubeのインターフェイスのデザインやサービスは時代とともに大きく変化していきます。そのため、このシリーズの作品意図はもう今の私達には通用しません。

もうひとつの例として、ペトラ・コートライト(Petra Cortright)は、2007年にYouTubeに特化した作品《vvebcam》を制作しています。YouTubeは現在では異なる機能を持ち、アーティストはそのインターフェイスやプロセス含め、以前のバージョンにはアクセスできないため、今では通常のビデオ作品のようにしか見えません。2007年当時に何が特別だったのかを理解してもらうためには補足が必要なのです。だからこそ、「Net Art Anthology」(註5)の企画の際にYouTubeを部分的に再構築してつくったのです。

私はこれらの作品を批判するつもりはなく、どちらもYouTubeというプラットフォームと素晴らしい関係を築いていると思います。ただ、それらは権力の不均衡とネット アートの保存が直面している構造的な課題を示しています。

ひるがえって、美術館での展示においても、関連した問題が散見されるそうだ。2011年頃、ドラガンはドイツのメディアアート美術館「ZKM(カールスルーエ芸術メディアセンター)」の近くに暮らしていた。素晴らしいコレクションを所蔵し、アートの保存活動にも力を入れている施設だ。彼はそこで「ZKM AppArtAward」という展覧会を見た。スマートフォンやタブレット端末用のアプリケーションの分野で最も優れた芸術的な開発に対して賞を授与するものだった。

ただドラガンにとっては、展示されていたアプリ作品が古臭く見え、高解像度のグラフィックを持つCD-ROMのアートように見えた。iPadのテクノロジーがいくら強調されたところで、作品自体は芸術的に何か新しいことが付け加えられているようには見えず、芸術の発展にほとんど寄与していないように映ったのだ。高解像度のグラフィックとタッチスクリーンという、アップル社のiPadの技術的特徴がただ際立っていたのだ。

同時に、若い世代のアーティストが当時のCD-ROMの作品に簡単にアクセスできる方法はなく、これまでどんな作品が生まれてきたかについても学ぶ方法がないことを彼は深く理解した。Apple社のコンピュータにはある時点からCDやDVDのドライブも付かなくなった。

彼はデジタル・アートのコンサバターになっていなければ、一生、ただ「同じもの」を高解像度で見ることになるのだと実感したそうだ。

アーティストがすべきことは、直線的な技術的ストーリーを追うことや、「新しい製品やプラットフォームの特徴を強調すること」ではないと私は考えています。しかし、アーティストがそれを避けることは、構造的にますます難しくなっている現状もあります。その点においても、デジタル・アートを有意義に保存しなければ、過去の文脈を参照することができなくなってしまいます。そして、アーティストはますますハードウェアやソフトウェア企業のための技術デモをつくることに終始する危険にさらされることになると考えているのです。2014年頃に始まったバーチャル・リアリティの作品の流行の大波を見れば、それがよくわかると思います。

2015年に筆者がRhizomeを訪れた際、温かく迎えてくれたドラガン。撮影したインタビューの記録映像より

インターネット・アートの保存において重要なこと

インターネット・アートの保存において彼が重要と考えていることは何か。作品の「質感」までを含め保存することは可能なのか。彼の見解を聞いた。

インターネット・アートの保存は特殊です。ユーザーが対話するソフトウェア、ネットワークで接続されているソフトウェア、その他にインターネットの残りのリソースなども、ひとつのアートワークの中で役割を果たしている可能性があります。その意味で、オブジェクトの境界を概念化し、どのような視点から作品にアプローチするかを選択することが非常に重要なのです。

例えば、ネットワーク上で長時間にわたり、Instagramのパフォーマンスを「完全に」キャプチャして保存することは不可能です。Instagram自体のコピーを作成した場合にのみ可能でしょう。しかし、限られた視点からであれば、それを捉えることは可能です。インターネット・アートの質感の多くは、ユーザーが使用するソフトウェアとネットワークの文脈によって生み出されるものだからです。エミュレーションは前者の保存に役立ち、ウェブ・アーカイビングは後者の保存をサポートします。

また、オブジェクトの境界は「曖昧」であると考えることができ、ユーザーが作品から離れれば離れるほど、保存の精度が下がる可能性があります。例えば、アーティストが書いたコードを実行するウェブサーバを保存し、レガシーブラウザを搭載したエミュレーターを提供したとします。作品のコアとなるパフォーマンスはウェブサーバ上で起きており、エミュレートされたブラウザ上では意図した通りにレンダリングされています。しかし、アートワークはウェブ上のほかの場所にリンクし、アーティストの管理下にない場所と関連したり、素材を使用したりすることがあるでしょう。これらは、ウェブ・アーカイブとして扱うことができます。ウェブ・アーカイブは、ウェブサーバが実行できるすべてを再現することはできません。ウェブ・アーカイブとしてアクセスしたウェブサイトでは、新しいアカウントをつくったり、コメントを残したりすることはできないのです。

ウェブ・アーカイブは、コアとなるアートワークの質感を支える全体の風景を提供することは可能です。ただし作品のコアとの「距離」がある場合には、その風景は次第に荒れ、壊れていくように見えるかもしれません。作品がアクティブだったときに可能だったことがすべてアクティブであり続けるとは限りません。しかし、それは完全なパフォーマンスとドキュメンテーションが流動的に混在する中で、相互作用の可能性を与えることになります。

ほかの施設の現況や問題点

2015年にインタビューした際、彼はメディアアートやインターネット・アートの保存を進めていく際の美術館のあり方について言及していた。当時、ドラガンは多くの施設がアート施設という役割だけではなく、さまざまなリサーチや開発を同時に行う研究施設のような形へ変化することが重要ではないかと話していた。現在の彼はどのように考えているのかを尋ねた。

ほとんどの美術館やアーカイブ機関は、デジタル・アートやインターネット・アートの保存に、既に馴染みのある芸術形式からのメタファーを使ってアプローチしています。例えば、彼らは、コンセプチュアル・アートの継続として「コード」を前面に出したり、タイム・ベースト・メディアアートのように「新しいデータ形式」に移行したり、パフォーマンス・アートのように「エフェメラル(はかないもの)」として扱います。私の考えでは、本来、「ディテール」というものはコンピュータ・サイエンスやネットワーク環境におけるソフトウェア・メンテナンスの観点から作品を見た時に初めて出てくるべきものだと思うのです。

さらに、インターネット・アートがどのように、また、誰によって創作されたかを正しく表すために各施設でのコレクションを増やし、より大規模なものにしていく必要があるでしょう。世界有数の美術館の中には、インターネット・アートをほんの一握りしか所蔵していないところもあり、驚くほど多様な芸術的実践と、またアーティストの存在を正当に評価しているとは言い難い状況です。個々の作品を調査研究して、その保存に何年もかけるのではなく、インフラやネットワークを構築して維持していく必要があります。つまり、より体系的なレベルでの思考と行動が必要になってきます。「Emulation as a Service」(以下、EaaS)や「Webrecorder」のようなプロジェクトには、現場からの幅広いサポートが必要です。

また、デジタル・アートの保存は教育における独自のアプローチを正当化するものであり、タイム・ベースト・メディアアートの傘下にこれ以上留まることなく、インターネット・アートの保存は独立した部門のなかで扱われるべきだと私は考えています。

最も印象に残っている仕事

さまざまなアーカイブ・プロジェクトや保存活動に関わってきたドラガンが最も印象に残っている仕事は何だろうか。

私は単一の成果や作品に焦点を当てるよりも、とにかくインフラストラクチャーとメンテナンスに最も興味があります。と言っても、強く印象に残っている瞬間がないわけではありません。2016年、HEK (Haus der Elektronischen Künste)でのパートナーのオリアの展覧会「My Boyfriend Came Back From The War (MBCBFTW)」です。この展覧会では前出のEaaSのプロジェクト・リーダー、クラウス・レヒャートと共同開発したセットアップで、EaaSとWebrecorderによるウェブ・アーカイブが実空間の展覧会で初めて使用されました。その後もそれを「Net Art Anthology」展などで使用しています。

ドイツとアメリカを比較して

ドラガンはRhizomeで仕事を開始した2014年にニューヨークに移り住み、コロナの影響もあり、現在はアメリカと母国ドイツとを往来しながら仕事を進めている。インターネット・アートの保存活動という特殊な仕事をするにあたり、両国にどのような違いがあるだろうか。

私はアーカイブ学やアートの保存について正式な教育を受けたことはありません。私はアーティスト、デザイナーとして、これらのテーマに取り組んできました。ドイツではアーカイブに関連する学歴がないため、おそらくこの分野でそれなりの仕事に就くことはできなかったでしょう。

アメリカでは2014年の時点で、米国議会図書館の毎年恒例のデジタル保存会議に出席して、私は閉会の基調講演を行っていました。トレヴァー・オーウェンズ(Trevor Owens)が私をそこに押し込んでくれたのだったと記憶しています。

現代アートはヨーロッパよりもアメリカの方が大きな役割を担っているように感じます。アートに関心がある人も多く、アーティスト側からアーカイブの分野へアプローチできることを学びましたし、異なる職業的背景を持つ人々に対してアメリカの方がよりオープンに感じますね。

国内の美術館や関連機関において、アーキビストやコンサバターを採用する施設は少しずつながら増えても、ドラガンのようなフレームワークを視野に入れてインフラストラクチャー・レベルで仕事を行うエンジニアを雇用している施設は多くはないのが現状だ。今後、そのようなエンジニアの雇用を積極的に行い、エンジニア、アーキビスト、コンサバターが連携していくことで、Rhizomeのように世界に向け当該分野の保存活動を発展させていくことは可能だろう(註6)。

その際、国内に、海外と接続したコミュニティ・ベースをつくることがより重要となり、それが個々の施設や機関において優れたデジタル・アーカイブの保存や保全を実現するための道筋になるはずだ。特にRhizomeの事例にあるように、オープンソース・プロジェクトの開発を通じ、開発者の一員になることによって、国境を超えたネットワークへと接続し、最新の事例や知見を得ることができるのだ。今後、高度なサービスやツールを日本発で誕生させることができれば、世界の関係者からより関心を集めることになるだろう。

最後に、ベン・フィノラディンのポッドキャスト番組「アート・アンド・アブソレスンス」にドラガンが出演した際の彼の考えていることと人柄がより伝わってくる発言があるので、ここで紹介したい。

この分野の領域全体を、さまざまな人がさまざまなことに集中し、それぞれの専門性を高めていくコミュニティと考えるなら、皆さんは互いに友人であり、情報を交換し、助け合い、一緒にプロジェクトをつくり上げているのです。それがこの領域全体のメリットになると思っています。

森林を散策して余暇を楽しむドラガン。ジョン・ケージ(John Cage)を彷彿させる

(脚注)
*1
「透明性(トランスペアレンシー)」という言葉は、工学、エンジニアリングに由来する。このような環境に対応していくため、デジタル・アートやインターネット・アートはほかのアートではできないような仕事を果たす必要があると彼は考えている。

*2
ドラガンが支持する一連の批判はジェイ・デイビット・ボルター(Jay David Bolter)とダイアン・グロマラ(Diane Gromala)による『ウィンドウズ・アンド・ミラーズ(Windows and Mirrors)』(MIT Press、2005年)、オリアによる『チューリング・コンプリート・ユーザー(Turing Complete User)』(arthistoricum.net、2021年)のなかで最も説明されている。

*3
NFT(Non-Fungible Token)は非代替性トークン。NFTアートはデジタル・データ化されたアートをブロックチェーン技術によって、販売、転売、購入する動き。取引の履歴や所有者情報を追うことが可能。クリプト・アートととも呼ばれる。

*4
ドラガンのパートナー、オリアは、「すでに96年に世界初の販売目的のネット・アート・ギャラリーArt.Teleportaciaを開設している」と以下のテキストにある。四方幸子「インターネットにおけるアート――新たなエコノミーに向けて」「InterCommunication」No. 30、1999年、74-89ページ。https://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic030/pdf/074-089.pdf

*5
New Museum Of Contemporary ArtとRhizomeのプリザベーション部門との共同企画「NET ART ANTHOLOGY」展は、1980年代から2010年代までの、著名な作品であっても現在アクセスできないことが多いネット・アートの歴史を振り返る内容だ。記念碑的な作品100点を選定して保存し、ネット上で紹介し、プロジェクトは2016年に開始、2019年6月に完成。このプロジェクトの一部は2019年冬にNew Museum Of Contemporary Art内で開催された展覧会「The Art Happens Here」においても公開された。

*6
筆者のコラム「未来に向けてのデジタル・プリザベーションとメディア・コンサベーション――ベン・フィノラディンが設立したニューヨークの「Small Data Industries」(後編)」の「問題点と課題」において、美術館や博物館などの非営利機関の技術サイドで働く人材の頭脳流出をベンが指摘している。昨今、国内においても美術館関係職の処遇が問題となっており、優れた人材の流出を防ぐためにも早期改善策が望まれる。


ドラガン・エスペンシード(Dragan Espenschied)
Rhizomeのプリザベーション・ディレクター。美術やデザインを学び、ミュージシャン、ネット・アーティスト、研究者として活動後、2014年からRhizomeでの仕事を開始。アーカイブに関する専門教育は受けておらず、すべて独学。インターネット・アートを含むデジタル・アートの保存のためのフレームワーク構築や改良に強い関心を持っている。
https://rhizome.org
https://rhizome.org/profile/despens/

※URLは2022年9月15日にリンクを確認済み