2022年春に東京藝術大学に創設された「未来創造継承センター」に専任教員として就任する、文化・芸術の保存と継承が専門の特任准教授・平諭一郎氏、センターとこれまでの蓄積の橋渡し役を担う同大学芸術情報センター准教授・嘉村哲郎氏の両氏にお話をうかがう本稿。昨今のデジタルアーカイブに関する考えや昨今のトピックスを語っていただいた前編に続き、後編ではセンターの展望について聞いた。

循環するクリエイティブ・アーカイブ

総合芸術アーカイブセンターから、未来創造継承センターへ

平:ここまでデジタルアーカイブにおけるさまざまな芸術資源の活用や、そのための仕組みづくりについてお話ししてきましたが、未来創造継承センター(以下、センター)でも同様に、過去の資料の保存を目的とするのではなく、それをオープンに、誰もが活用可能な資源にしていくことにフォーカスしていきたいと思っています。

まず、未来創造継承センター設立の経緯について説明すると、東京藝術大学(以下、藝大)にはその前身的な取り組みとして、嘉村さんが関わっていた「総合芸術アーカイブセンター」(以下、アーカイブセンター)がありました。とても重要な取り組みだと思って拝見していたのですが、2016年度でそれが終わると聞いて、僕には全然腑に落ちなかったのです。

嘉村:2011年度から2015年度まで、5年間限定の概算資金による活動でした。期間終了後は大学の独自予算で継続する必要があり、一旦止まった状態になっています。組織として残ってはいるものの、実態はありません。ウェブサイトは継続して閲覧可能になっていて、そこにはアーカイブセンターが取り組んださまざまなデジタルアーカイブへの入り口がまとまっています。


「総合芸術アーカイブセンター」のウェブサイト。建物や藝祭のパンフレット、彫刻学科の塑像の工程まで、デジタルアーカイブへの入り口が並ぶ
出典:総合芸術アーカイブセンター

平:アーカイブセンターのような有意義な活動が継続できないという状況にも納得がいきませんでしたし、それを引き継ぐような活動ができたらと考えていました。また、大学としての活動は単発的なものから長期的なプロジェクトまで幅広くありますが、アーカイブセンターでアーカイブ化できたのは、そのごくごく一部にすぎません。膨大に実施されるプロジェクトを蓄積する仕組みがないことが気になっていました。プロジェクトを担当した教授や学生が個人的に記録を持っているだけでは、いずれその人とともに記録も去り、大学には何も残りません。とてももったいないですよね。プロジェクトに関わる側としても、今やっていることがどこにも残らないのでは、モチベーションも下がってしまうかもしれない。

大学という場は、なかにいる人間は流動的で次々入れ替わっていくものです。だからこそ、先人の知見やノウハウを次の人が生かせるよう、残していくべきではないか。そう考えていたタイミングで、このセンターをコンセプトから立ち上げられる、そんな話が出たのです。

僕の専門は文化・芸術の保存と継承です。修復や複製、復元など、その目下の目的は保存ですが、何のために保存するかというと、行き着くところは、未来への継承だと思っています。そこから、センターの名称は自然と決まりました。

ちなみに、今年度から藝大のホームページの学校名に「世界を変える創造の源泉」という文言がつきました。藝大全体としても、まさに同じビジョンを持っているのだろうと感じています。全てにおいて、完全なゼロから何かを生み出すことはありません。ここには資源はいっぱいあるから、皆どんどん使えと言えるようにしたい。それが、創造の源泉としての役割だろうと思っています。

具体的な活動としては、ガチガチに固めることはせず、教員や学生皆で話し合いながら、自分たちや次の人たちのためになることをしていきたいですね。今、デザイン科の学生にシンボルマークをつくってもらっているのですが、いろいろな資源をかき混ぜることで新しいものが生まれる、耕すようなイメージを形にしてもらっています。常に人が動いて、参加や共有によって常に変化するイメージです。


インタビュー時には構想段階だったセンターのシンボルマーク
創案・デザイン:小河原美波(大学院美術研究科デザイン専攻 修士1年)

すでにある資源を使いやすくまとめて公開する

平:まずは、あるものを使いやすいようにまとめるところから始められればと思っています。学内に散らばる創作や研究、教育に関する資料を集約し、整えて公開する。先人を参考に新しい創造を生み出すことは、言わずもがなこれまでもなされてきたことですし、資料は膨大にあります。それらを公開したところで、アーティストの仕事がなくなることはないと思うのです。クックパッド註1)にレシピがどれだけ増えても、動画がアップできるようになってレシピがよりわかりやすくなっても、飲食店は潰れませんよね。それと同じです。

嘉村:つくり手が増えたとしても、プロとしてやっていくかどうかはまた別の話ですしね。例えば、このコロナ禍で行われたオンライン授業の記録も、すでにある資源のひとつです。実は、すでに個人的に着手しているのですが、各研究室からYouTubeやVimeoにアップしたままになっている動画やチャンネル情報を集約したサイトを制作してみています。分散しているものを藝大という枠でまとめる、それだけでも、インパクトのあるコンテンツになるはずです。権利的に一般公開が難しいコンテンツもあるため現状は非公開ですが、今後はセンターの活動として、組織的に整備を進められたらと考えています。


コロナ禍で試みられたオンライン授業。教員ごと、研究室ごとに散らばっていたコンテンツへの入り口を一箇所にまとめた

デジタル化で芸術資源を外に開いていく

平:デジタルアーカイブとして整えた資源、それを活用して生み出される表現は、作品に限らず、美術史の研究論文でもいいし、アートイベントの企画でもいい。NFTアートを販売したっていいし、科学分析に活用したっていいわけです。今、セレンディピティ(偶然の出会い、予想外の発見など)という言葉が流行している印象がありますが、芸術と外部のセレンディビティをどう高めていくか、デジタル化はそのための重要な手立てになると思います。そのままでは芸術分野でしか扱えないようなものも、デジタル化することで分析可能になり、まったく関係のない領域でも使えるものになります。

嘉村:前半の冒頭で目標志向型のアプローチの話をしましたが、設定した目標が達成したら終わりということではありません。ひとつのデジタルアーカイブがかたちになったら終わりということではなく、その先で予想外の使われ方がありうるのが、デジタル化の本当のおもしろいところです。それに、デジタルであれば世界中のどこからでもアクセスできる。見る人の数だけ使い方もあって、人種や年代にも制限はない。セレンディピティは相当上がると思います。

平:慶應義塾大学アート・センター註2)の立ち上げの際、基本構想として掲げたのは、運用者と訪問者の対等性なのだそうです(註3)。日本人は特に、アートに対して何か特権性を感じてしまうところがありますが、専門家と素人、与え手と受け手というような区別をなくすことは、デジタルアーカイブの利活用においても重要です。アーティストじゃなくても表現していいし、芸術表現以外にも、藝大の資源を活用していい。

嘉村:先ほどクックパッドが例に挙がりましたが、デジタルアーカイブはレシピにもなるし、素材にもなる。素材にどんな意味を見出して何をつくるかは使う人次第です。ただその可能性を高めるためには、クックパッドレベルで誰もがアクセスしやすい場にしないといけない。デザインももちろんですが、権利処理のことなども含めて、よりよい仕組みづくりができたらという思いはあります。

個人の制作とアーカイブサポート

平:藝大ではずっと、アーカイブの体制は整備されてこなかった。それはなぜかというと、やはり藝大ってつくることが大前提で、つくることと残すことは別ものだと考えられている節があります。

作品の撮影や演奏会の録音などといった側面だけを見れば、つくることと残すことは別かもしれませんが、僕は一体で考えるべきだと思っています。それに今の学生や若いアーティストは、意識せずとも、アーカイブ的なことを行っているはずなんです。僕らが学生のときは、自分の展覧会に置くのはポートフォリオのファイル、演奏会でロビーに置くのはCDでした。でも今、卒業制作展の作品のそばあるのは、ファイルではなくInstagramのQRコード。さらに積極的な学生はウェブサイトも持っていたりします。SNSなど、オンラインの人目につく場所に自分の活動を蓄積する行為は、自分のデジタルアーカイブを無意識につくっているとも言えます。

ただ一方で、SNSは誰かがつくったプラットフォームなので、アプリが使えなくなると自分自身でも見られなくなったり、データが失われてしまったりする危険性はあります。それだけでは、データを管理しているとは言えない状況です。

嘉村:まさに、10年ほど前、私が藝大に着任した頃ですが、アーカイブの重要性についてある教員に話すと、「そんな時間があるなら新しい作品をつくるよ」と言われたことがありました。そこで、記録を残すことが本当に制作に役に立つのかどうか、院生に制作の過程をできる限り記録してもらい、検証したのです。紙の資料のスキャンはもちろん、制作期間に起きたこと、誰とどこに行ったかというような日常的なことも含めて、すべて時系列に記録しました。そのときも最初は「記録するより制作する時間が欲しい」と言われましたが、結果的には、後々記録を振り返ることで、次の制作に繋がる糧になったと言われました。

藝大の学生に限らず、今は誰もが、スマホで写真を撮ることを趣味のように日常的にしています。その行為をアーカイブという観点で捉えるきっかけを与えたり、データやアカウント管理の知識を増やしてあげたりするだけでも、その日常的な行為に発展性が生まれるのではないかと思います。

平:藝大の卒業生でもあるアーティストの田中功起さんはある時期、「アーティストは作品じゃなくて資料をつくっているのではないか」とおっしゃっていました(註4)。実際に、アーカイブを内包するような表現も増えていますし、コレクティブやグループでの活動となると、何かしらの役割分担が発生します。そうするとアーカイブ的な仕事を担う人も出てくる。一人が単独ですべてやる時代ではなくなってきているということなのかもしれません。

嘉村さんの検証の際、院生が後からその価値に気づいたというのは当然で、記録しているその時にはその価値には気づけませんし、むしろ面倒な行為です。価値に気づくのも後悔するのも、後になってからです。絵画や彫刻の完成後の記録写真ならまた撮ればいいかもしれないけれど、それこそプロジェクトや演奏だと、同じものは二度とできない。

個人の活動におけるアーカイブの重要性を伝えることや、学生がプラットフォームなり技術支援なり、何か助けを求めているときにサポートできるような体制がつくれるといいですよね。

少し話が逸れますが、スマホで撮った写真や動画って、皆見返しませんよね。家庭用のビデオカメラで撮られたホームムービーも同じで、撮ることで満足して、そのほとんどは再生されていないのだそうです。そういうものって、忘れた頃に表現の素材になる、というパターンもありますよね。

嘉村:先ほど(前編)でお話しした、藤幡正樹さんのNFT作品《Brave New Commons》は、1989年に当時のMacでつくったデータなのだそうです。ご自身も「明らかな書き損じ」と解説している、マウスを少し動かしただけのような線がたまたまデータで残っていて、それを現代にNFT作品にしたら100万円で売れた。当時はそんな想像、まったくしていなかったでしょうね。

藝大を記録する

嘉村:個人から記録を集めてアーカイブを構築する、ということも考えられます。例えば、私が個人的に継続して行っているのは、藝祭の記録を集めることです。藝祭は学生主体の活動なので、大学側は介入できない。藝大という枠のなかで行われていることでありながら、大学として残している記録は何もなかったのです。

僕は藝祭関連のデータを格納するためのアカウントを用意して、そこに記録を保存しておくよう、アーカイブセンターからの呼びかけとして発信しました。実際のところ、全体の何割程度の資料が提供されたかは定かではありませんが、2016年度には、提供資料のほか、周辺地域から過去の街並みの写真なども提供いただいて、藝祭をテーマにした展示を行いました。先日、今年度の藝祭委員に過去の記録の使用について相談されたのですが、展示の際に権利処理を済ませた画像等が手元にまとまっていたので、スムーズに対応できました。


「藝祭'80 上野森一揆」の記録写真。大学では記録されてこなかった藝祭だが、嘉村氏の働きかけによって、大学にも記録が蓄積されはじめた

平:開催日数や、神輿の数や大きさなども、年々変化していますよね。藝祭に限らず、普段の制作環境の変化もある。大学で制作できるのが夜の何時までかなど、環境の変化は表現にも影響を及ぼしていると思います。記録しておくと、何かに繋がるかもしれません。

活動をセンターが支援 学内を繋ぐハブに

嘉村:とはいえ、情報提供を呼びかけてもなかなか集まってこないという実情もあります。

平:その時点では価値がイメージしにくいものを集めるということなので、難しいですよね。こちらが主体となって呼びかけるというかたちでは限界があると思います。学生自身、つまりは記録の提供者自身が、主体的にアーカイブ活動に参加するイメージを抱いてもらいたいですね。アーカイブを活用した良いロールモデルを示すことができれば、自分ごととして能動的に必要性を感じたり、興味を抱いたりしてくれるのではないかと思います。アーカイブを教育の一分野として捉えて、授業にするというのもひとつの手ですよね。加えて、アーカイブを活用した表現に対して助成する、公募企画を始める予定です。

学内に対しては、センターが率先して何かをするというよりは、何かやりたいものがあったときに、センターがサポートしたり、ハブとなってどこかへ繋いだりするという流れができるといいのではないでしょうか。学内同士を繋げよう、というのはずっと言われてきたことです。

嘉村:そうですね、アーカイブセンターはその体制として、「美術情報(3Dデータ)研究/音響・映像データ研究/大学史文書史料研究/情報システム研究」という4つのプロジェクトに分かれていたこともあり、ハブ的なあり方はできなかったのですが、内部を繋ぐ役割は重要だと思います。コミュニティの話をしましたが、それがセンターの重要なキーワードにもなる気がしています。どこかの研究室から、「ビデオテープが600本出てきたからデータ化してアーカイブをつくって」と言われたところで、センターのスタッフだけではとても対応しきれないし、仕事を請け負うようなかたちは望ましくない。主体はあくまでその研究室のまま、センターがプロジェクトとして盛り上げたり、あるいは学内で新たに何かプロジェクトが始動する時に、その進行と同時に自然とアーカイブができる仕組みをプロジェクト参加者と一緒につくったりする。それが一番いいシナリオかなと思っています。

「藝大とは?」を知る手立てとして

平:そうですね、センターのスタッフもごく少数なので、単独でできることは限られています。デジタルという部分では、嘉村さんが所属している芸術情報センターとも協同して取り組んでいきたいですね。

藝大には、芸術教育を100年以上牽引してきた蓄積が大学そのものや人に宿っていると感じますが、それは講義や授業の記録からわかるという話ではなく、目には見えない、なかにいる人間にとっては当たり前の日常のなかにその片鱗がある気がしています。というのは、外部の方と一緒にプロジェクトをすると、「言語が違う」とよく言われるのです。音楽と美術でも異なりますが、大学のなかで交わされる会話は、実はそこでしか通じないものだったりして、自分たちにとっての当たり前が学外の人からおもしろがられたりします。そんな無意識下にある差異や、藝大内部の暗黙知を可視化できると、何か新しい表現に繋がるのではないかと思っています。

嘉村:冒頭にも少しお話ししましたが、「藝大とは?」を明らかにすることに繋がるようなアーカイブは、そのお話に関連するかもしれません。芸術表現ではなく、事務方が管理する組織の記録文書などにも関わることですが、大学にいつ誰が在籍していて、何をしていたのか、そういった記録が管理されず消失してしまうと、藝大とは何だったのかを客観的に追う手立てがなくなってしまう。そういった組織のアーカイブは、例えば100年史などを編纂するタイミングなどで一度まとめられていたとしても、それ以降の情報がちゃんと保存されていなかったりする。それは藝大に限らず、わりとさまざまな組織が陥る事態のようです。基本的に公文書の保存期間は30年とされていて、過ぎたら原則廃棄処分です。重要視されたものは特例措置で残せたりもするのですが、時を経て無くなってしまうものは多い。先ほど平さんがおっしゃった暗黙知のようなものとも関連すると思うので、ちゃんとアーカイブの対象にしていかなければと考えています。

一方で、今現在も進行形で、日々さまざまなお知らせのメールが流れてきます。現役の学生や教員、卒業生の展覧会情報に、研究室がやっているプロジェクト……どこかで一覧できる、集約できる仕組みをつくれないものかなと思います。利便性はもちろんですが、個々の活動にとどまらず、それらを藝大というかたまりで捉えることができれば、藝大が社会にどう関わって、またどのような影響を与えているのかを可視化する手立てになるはずです。

実は、展覧会情報に関しては、学外の方が独自にまとめているサイトがあるのです(註5)。ある人が、手動で情報を収集して、一覧できるページをつくってくださっている。そういったものを公式としてもつくりたいところではあるのですが、公式に情報をまとめようとすると、掲載に大学側の許可を都度得る必要が出てくるなど、かえって手続きが面倒になってしまう部分もあります。

こちらが主導することにこだわらず、外部と大学が組んで行うプロジェクトがあってもいいということなのかもしれません。技術的なサポートも必要だと感じています。藝大はまだまだアナログで、とはいえそれは決して悪いことではありませんし、ほかとの差異やユニークさを生む一因でもある。センターがハブとなって、技術面を担ってくれる外部とタッグを組むというのも、ひとつの手だと思います。

平:嘉村さんは藝大出身者ではないので、外の目を持っておもしろがってくださる。当たり前のようにその環境を受け入れてきたなかの人間からすると、その目線が大事だなと感じます。

嘉村:「何でだろう?」と不思議に感じることがあっても、それは別に悪いことではなく、それが藝大。そういう気づきをどんどん残していけたら、それが藝大を記録することに繋がるのかもしれませんね。


(脚注)
*1
クックパッド株式会社の運営による料理レシピのコミュニティウェブサイト。

*2
慶應義塾大学が1993年に開設した大学付属の研究センター。現代社会における芸術活動の役割をテーマに、総合大学の特徴を生かした領域横断的な理論研究と実践活動をひろく展開する。

*3
森下隆「土方巽アーカイヴ──実験的アーカイヴの理念と活動」、高野明彦(監修)、嘉村哲郎(責任編集)『デジタルアーカイブ・ベーシックス 4「アートシーンを支える」』勉誠出版、2020年、146-147ページ。

*4
加治屋健司「第5回アーカイブ研究会 「アーティストはいつしか作品を作るのをやめ,資料を作り始めている」の報告」京都市立芸術大学芸術資源研究センター
https://www.kcua.ac.jp/arc/008/

*5
藝大アートプラザのスタッフにより、SNS等から手作業で情報が収集され、「藝大関連アーティスト展覧会情報」として公開されている。
https://geidai-ap.notion.site/9e97e6e3d2354df5a417e97b9f69fc12?v=8649f23616ff494d97cac28234fed4c3

※URLは2022年9月14日にリンクを確認済み