「マンガ知」という新たな概念を作り出すこと。

これがこのシンポジウムの出発点であり、そのねらいはほぼ達せられたと言えるのではないか。

 

2015年1月25日、平成26年度文化庁メディア芸術情報拠点・コンソーシアム構築事業の一環として、同庁主催のシンポジウム「震災復興・地域振興・公共サービスから考える 集積された『マンガ知』の使い方」が、政策研究大学院大学を会場にして開かれた。

mangachi3.jpgモデレーターはマンガ研究者・ライターの小田切博氏、進行、および第1部のキーノート・スピーチはマンガ研究家の秋田孝宏氏が務めた。

第2部のプレゼンテーションは、石ノ森萬画館指定管理者・株式会社街づくりまんぼう業務課長の大森盛太郎氏、同人誌即売会ガタケット代表・新潟市マンガ・アニメ情報館 新潟市マンガの家統括館長の坂田文彦氏、公共図書館司書・ヤングアダルトサービス研究会代表の吉田倫子氏が行い、第3部のディスカッションは、この3氏に小田切氏、秋田氏も加わって行われた。

また議論の前提を共有するために、20ページを超える資料が配布された。小田切氏が作成したこの資料は、「マンガ」概念の多重性の整理、マンガ関連施設に関わる出来事をまとめた詳細な年表、シンポの中でキーワードになりそうな用語の解説集、まちづくりという課題に関わる政治の動きや関連法規、同じく文化芸術振興に関わる政治の動きや関連法規(全国の自治体の条例まで網羅)、そして全国の自治体によるマンガ関連事業の総覧、および全国各都道府県立図書館におけるマンガの扱いに関する方針の総覧からなる労作で、極めて有意義なものだった。ウェブ上での公開などを強く望みたい。

 

●マンガ・アーカイブの社会的意義とは?

今回のシンポジウムは、昨年の同じ時期に、やはり同じ文化庁主催で行われ、私も登壇させていただいたシンポジウム「マンガ研究とアーカイブ」(野田謙介氏によるレポートがこのメディア芸術カレントコンテンツに掲載されているので、そちらもお読みいただきたい http://mediag.bunka.go.jp/report-column/2014/03/27/post-10.html)での問題提起を継承するものとなっていることが、第1部のキーノート・スピーチで秋田氏から説明された。

すなわち、マンガのアーカイブを、公的なものとして設立し、運営していくことの社会的な意義は何か?という問題である。

マンガのミュージアムや図書館、マンガ家の個人記念館など、マンガおよび関連の資料を収集保存するための施設を設立し、運営していくには、多くの場合、少なからぬ費用が必要であり、公立の場合その資金の多くは税金である。国も地方自治体も軒並み財政難を抱え、税金の使い方が厳しく見直されている中、多くの公的な文化施設や文化活動が冬の時代を耐えている状況がある。

福祉や教育のための予算さえ切り詰められる一方で、マンガのアーカイブに税金を使うことへの市民の同意を取り付けるにはそれなりの論理が必要になる。

昨年のシンポジウムでも、すでに京都国際マンガミュージアムや北九州市漫画ミュージアムの活動の報告の中で、マンガのアーカイブが利用者にとって、設置されている地域のコミュニティにとって、あるいはもっと広い広がりの中で、どのように有意義な役割を果たしうるのかについて、実例を挙げた報告があった。

今回のシンポジウムは、さらに豊かで多様な実践の報告を通じて、マンガのアーカイブが、いわばいかに「使える」ものであるかを示し、その可能性と課題を洗い出すものとなった。

 

●「マンガ知」とは何か

では、そのような趣旨のシンポジウムの表題に掲げられた「マンガ知」とは何か。

当日配布された資料の中で、小田切氏は「マンガやその消費、利用にかかわる情報やノウハウの集合体」とし、「単なるマンガの知識ではなく、マンガにまつわるあらゆる活動によって蓄積される知識のことを意味」すると述べている。マンガ家の記念館、マンガ全般を扱うミュージアム、マンガも収蔵する図書館、等の施設は、すべてこうした「マンガ知」の集積所=アーカイブだというわけだ。

第1部のキーノート・スピーチで秋田氏は、「マンガ知」について同様の説明を行った上で、「マンガ知」の蓄積の場としてのアーカイブは、従って具体的・物質的な形を持ったいわゆる「資料」だけでなく、資料を中心に集まってきた「情報」の総体を扱うのだと補足し、そうした「マンガ知」がもたらす楽しさと有用性を知ってもらうことが、これらのアーカイブの公的な運営を理解してもらうことにつながるのではないかと述べた。
ここで提起されている「マンガ知」という概念は、例えばある時代の生活文化全体の復元展示などを行い、そのための資料を収集している歴史・民俗系の博物館などを想起すれば、さほど違和感なく受け入れられる考え方だろう。

しかしマンガは、一般的にはそもそも公的なアーカイブの対象になりうることすら意識されない手軽な娯楽として人々に受け入れられており、逆にミュージアムなどでの展示においては、むしろ美術品に近い、鑑賞・顕彰の対象と捉えられることが多い。もちろん実際には美術館でも、いわゆる作品以外に、関連の雑多な資料や情報は作品を理解するために必要なものとして集積されているのだが、そのことは一般にはあまり意識されていないだろう。

したがって、一般に人々に親しまれるマンガ本・マンガ雑誌、そして多くの場合(もともとそのような受容を想定していないにもかかわらず)展示物として鑑賞される原画、だけでなく、それらにまつわる「情報」の総体を集積するというアーカイブのあり方を強調し、そのようなアーカイブであるからこそ、公的な資金を使って運営されるに値する新たな「使い方」を創出することができるのだと主張する上で、この「マンガ知」という新しい言葉を打ち出すことには大きな意義があると言えるだろう。

 


●震災から復興の中で発揮された「マンガ知」の力

特定の作家・作品に限らず、マンガが作られ読まれてきた環境を丸ごと再現できるような「マンガ知」の総体を集積するアーカイブを一つの理想形としつつ、各地の様々なマンガ関連アーカイブの現状と課題を整理した秋田氏のスピーチの後、「マンガ知」の「使い方」の実践例として、第2部のプレゼンテーションが行われた。

最初のプレゼンテーションは、石ノ森萬画館の運営に当たる「街づくりまんぼう」の大森盛太郎氏から行われた。

大森氏は、石ノ森章太郎氏の存命中から構想が始まった萬画館の設立までの経緯と、東日本大震災の当日の様子、そしてその後の歩みについて多くの写真とともに説明された。

石巻市の活性化を考える中で、石ノ森氏自身が、同館が設立されることになる旧北上川の中州である中瀬を「マンガッタン島」と名付け、自ら館の模型も作成するなど、積極的に関わってきた同館は、したがって当初から地域振興という使命を帯びた施設だった。

当初は設立に反対する意見も大きかったという同館だが、震災の被害に耐え、震災後の活動を模索する中で、その力を市民から認識されるようになっていったという。

よく知られているように同館は、震災の際、直接津波に襲われ、1階部分は津波に洗われることになった。が、大規模な津波を想定して建てられていた同館は、建物自体としては大きな損傷を受けることなく、その場に踏みとどまり、原画などの重要な収蔵品も2階に置かれていたため難を逃れた。

3月11日からの5日間は、津波から逃れた人々の避難所ともなり、救助を待つ不安な日々の中、そこにあった閲覧用のマンガが、その不安をまぎらわせてくれたという。

また、津波によって極めて大きな被害を受けた市街地でも、石巻マンガロードとして設置された石ノ森キャラクターたちの立像のほとんどが、流されることなく元の場所に立ち、あらゆるものが泥まみれになったモノトーンの光景の中で、唯一、「色」を見せてくれる存在となったことが、実際の写真とともに示された。確かにそれは不思議な、一種奇跡的な光景であった。

館自体の将来の見通しも不明な中、いったんスタッフの契約を解除しながらも、何かできることを模索していた4月、館の外壁に館を応援する匿名のメッセージを書いた貼り紙が現れる。メッセージの貼り紙はどんどん増え、館の外壁を埋めていく。大森氏らも、こいのぼりを掲げるなど、何か石巻の人々を元気づけることをと努力していく。

そうした流れの上で、5月5日に周囲の反対を押し切って春のマンガッタン祭を開催すると、多くの市民から感謝の声が寄せられた。こうした一連の動きが、震災からの復興に同館が果たしうる役割、力を認識してもらうことにつながったと言えるだろう。

大森氏が語る感動的なエピソードは、平時には不要不急と思われがちな「マンガ知」が、むしろ震災という危機的な状況の中で、世界に「色」を回復し、人々に喜びをもたらす知恵の源になりうるということを、如実に表している。

●行動する「マンガ知」のアーカイブ

続くプレゼンテーションは、新潟市マンガ・アニメ情報館と新潟市マンガの家の統括館長である坂田文彦氏によるものである。

すでに30年の歴史を持ち、地方都市有数の同人誌即売会となっている「ガタケット」の代表でもある坂田氏からは、ガタケット、および多くのプロ作家を輩出している「JAM日本アニメ・マンガ専門学校」が存在する新潟市には、そうした草の根的なファン活動・創作活動の下地が形成されていたことが述べられ、行政の側もそれをきちんと理解して尊重し、生かす形で「新潟市マンガの家」と「新潟市マンガ・アニメ情報館」が設立されるに至った経緯が説明された。

たしかに官民一体となって「マンガ・アニメのまち・にいがた」を打ち出していく取り組みは、その企画・アイデアのバリエーションの豊富さに、その地力がうかがえるものであった。

特に、市が策定した、2012年度から16年度までの5か年計画になる「マンガ・アニメを活用したまちづくり構想」は、「マンガ・アニメでにぎわう都市イメージを発信するまち」を形作った上で、「マンガ・アニメパワーでクリエイターと関連産業が躍動するまち」ともなるよう成長するというもので、単にマンガ・アニメ関連の施設やイベントで集客するというにとどまらない、具体的なクリエイター支援、地元産業の活性化にまで踏み込んだ、本格的な構想になっている。

企画展のためのスペースを中心にした、一般的なマンガミュージアムのイメージ・機能に近い新潟市マンガ・アニメ情報館に対して、ワークショップコーナーを常設し、初心者向けのマンガ講座が開館日は毎日(!)実施されている新潟市マンガの家は、クリエイター支援を重視する新潟の方針を象徴するユニークな施設だと言えるだろう。

シャッター街の解消とにぎわい創出を目指して市内の商店や印刷業者などを「マンガの家パートナーショップ」として新たな事業を起こしていく、プロを目指す個人のためにシェアハウスを設置する、オリジナルグッズのみならず、オリジナルアニメまで制作する、等々、「クリエイターと関連産業が躍動するまち」を作るためのアイデアの豊富さは、今のところ全国に類を見ないのではないか。

このように、坂田氏のプレゼンテーションは、まさに「マンガ知」が本当に街づくりに「使える」ものであることを実践的に示すための攻めの姿勢を強く印象付けるものだったが、坂田氏が再三強調していたのは、こうした新潟の実践を可能にしているのは、何をおいてもまず「人」の力であり、さらに言えば「人」と「人」の「出会い」であり「つながり」であるということだった。

何より坂田氏自身がその語り口にも表れているように、大変エネルギッシュな方であり、人と人とが出会い結びついていく「場」を作ることに長けている人だと見受けられた。また坂田氏によれば、行政側の担当者たちもまた、マンガ・アニメへの理解・敬意が深く、動きも早い人たちだったようだ。

北九州市漫画ミュージアムの設立準備に関わった私自身の経験から言っても、地方都市の公共施設の設立・運営において、中心的な役割を果たすのはわずか数名の担当者チームである。そのチームにどれだけの熱意と扱う対象への理解があるかが、その施設の成否に如実に反映される傾向があるようだ。北九州もまた、立ち上げ時の行政側のチームに熱意と理解があったことが非常に大きかったので、坂田氏の話には共感するところ大であった。

そしてこのことは、「人」もまた、そして「人」と「人」のネットワークもまた、「マンガ知」の「アーカイブ」そのものだということを意味している。「歩く百科事典」といった言い回しがあるように、「使える」マンガ知をその脳と身体に蓄えた坂田氏や、坂田氏をハブとする人々のネットワークは、まさに「行動するマンガ知のアーカイブ」だと言えるだろう。

 

●公共図書館におけるマンガの位置づけ

最後のプレゼンテーションは、公共図書館司書の吉田倫子氏によるものであった。

大森氏と坂田氏がマンガを専門的に扱うことを最大の特徴とする施設で働く人々であるのに対して、吉田氏の働いているのは、あくまで図書資料の一種としてマンガ「も」所蔵する公共図書館である。「マンガ知」の「使い方」もまた、違うものになってくる。

吉田氏が、公共図書館におけるマンガの位置づけの一つの理想的な例として提示したのは、自閉症児とその家族の物語を描いたマンガ「光とともに」が、同じく自閉症を扱った一般書の棚の中に、普通に並んでいる写真であった。

周知のとおり、今日のマンガの内容は極めて多岐にわたり、フィクションであってもその主題は多種多様、さらにエッセイマンガや、ハウツーもの等ノンフィクション系の作品も多い。読者のニーズから言っても、同じ主題を扱う活字の本と同じ棚にあった方がアクセスしやすい場合が多いのだ。

にもかかわらず、一般的にはマンガはどのような内容であっても日本十進分類法の「726.1」の中に押し込められていることがほとんどだ。これは「漫画」を「720」番台、すなわち「絵画」の一種とする分類であり、おそらくは、まだ「漫画」の大半がストーリーマンガになる前の「漫画」観を反映したものである。

物語マンガが発達し、表現として高度化することは、必然的にマンガの、知の伝達手段としての機能も向上することを意味する。これは私の言い方だが、今日のマンガには、知の伝達手段としての「言語」に相当する、一種のメディアとしての広がりを持つ側面と、言語を用いた表現としての「文学」に相当する側面が存在するのだが、依然としていずれも「マンガ」と呼ばれている。

吉田氏が強調するのは、この「言語」に相当するものとしてのマンガの伝達力の強さであり、その強さが活字の本と同等である以上、活字の本とマンガ本を、単に主題によって横並びに分類・配架してしまった方が、広く一般の利用者に知を提供するという図書館の役割に照らして自然なケースも多いということだ。

もちろん吉田氏も、マンガ本は活字の本に比して同一タイトルの巻数が多くなる傾向にあり、単に主題で分類するとどの棚もマンガ本ばかりで占められてしまうことになりかねないなど、すべてのマンガ本を単に主題に沿って分類・配架してしまうことで生じる問題が様々に存在することは承知している。

実際には、多くの公共図書館が、マンガ本を所蔵していたとしても、特定の棚の前にだけ人だかりができる、資料の盗難・損傷が起こりやすいなどの問題から、マンガは閉架書庫に入れてしまい、利用申し込みがあった場合のみ閲覧・貸出等に供するという形を取らざるを得なくなっている現状も紹介された。

また、出版物全体に占めるマンガ本の割合に対して、公共図書館での所蔵率の低さなども、いくつかのデータ(大場2014)の詳細な検討を通じて明らかにされた。そもそもマンガ本には購入予算がついていない公共図書館も多く、所蔵がある場合には職員の寄贈であることも多いなど、涙ぐましい現状も紹介された。

その上で、現在大ヒットしている『進撃の巨人』を例に、いかに公共図書館に所蔵が少なく、利用者のニーズに対応できていないかが、示された。おそらく一般的には、『進撃の巨人』なんか公共図書館で貸し出す必要ないじゃん、という反応が予想される。どこの書店や新古書店に行ってもあるし、これだけ売れていれば友達から借りることだってできるだろう、と。

しかし、吉田氏がプレゼンテーションの冒頭で強調されていたように、公共図書館には、広く一般市民に、可能な限り平等に、その求めるところの知を提供するという役割がある。そのためには、可能な限り敷居を低くし、誰でも気軽に知る権利を行使できる場とサービスを提供することが必要である。それを通じて社会の中の教育格差を最小化し、社会全体の知的水準を高めるという理念に近づいていくわけである。

だとすれば、『進撃の巨人』を利用提供することもまた、図書館を市民にとって親しみやすい場所にし、さらにほかのマンガ、ほかの書物に触れる機会を増やす第一歩となりうるという点で、十分な意義がある。

そもそもマンガは、一時的にヒットしても数年から十数年経つとほとんど一般の人の眼には触れなくなってしまうことも多い。作品の評価が時代を経て変化することも多々ある。

したがって、やはり可能な限り多くのマンガが、発行当時の評価にかかわらず、網羅的に収集されている、少なくとも市民から直接の要望があるものはみな収集されている、という状態が、市民の知る権利を保障するインフラの一つとしては望ましいのだ。

そうして、現在ヒットしている作品や、高い評価が確立されている作品以外のマンガまで所蔵されている状態になれば、司書がレファレンス能力を発揮し、利用者の漠然としたニーズに応え、司書の紹介がなければありえなかったような、読者とマンガの幸福な出会いがもたらされる機会も増える。吉田氏のように多くの「マンガ知」を蓄えた司書が力を発揮し、新たな「マンガ知」が生成する場と機会が作られていくわけである。

 


●「マンガ知」と「継承」

以上のようなプレゼンテーションが行われた後、第3部として、大森氏、坂田氏、吉田氏に、さらに秋田氏、小田切氏が加わってのディスカッションとフロアとの質疑応答が行われた。論点は多岐にわたったが、その中で印象的だった点をいくつか挙げておきたい。

まず、大森氏と坂田氏から、地域の中にマンガのアーカイブが根付き、それが「使える」ものだと知っていってもらうには、様々な困難があり、まだまだ地道な努力が必要であることが、プレゼンテーションの時以上に率直に述べられていたことである。

一方には、デジタル化技術の急速な発展を背景に、デジタル・アーカイブの可能性が盛んに語られる中で、官民横断の組織である文化資源戦略会議がまとめた『アーカイブ立国宣言』に見られるような、アーカイブの社会的な存在意義を、文化資源の参照・活用による新たな価値創造や、ソフトパワーの強化による国際社会での地位向上といった点に見出す、大きな枠組みの議論がある(福井・吉見2014)。

2020年に向けた文化芸術立国プランを掲げている文化庁が主催した今回のシンポジウム自体も、全体としてはそうした大きな枠組みの中に位置づけることができるものではある。しかし実際にはこの場に集まった当事者たちにとって、日々自分が向き合っている現場での実践と、そうした大きな議論との間には、かなりのギャップがあるのではないかと思われる。このギャップは埋められるはずのものだし、また埋めなければならないはずだが、そのためにはさらに何らかの仕掛け・仕組みが必要になるのだろう。その際にも「マンガ知」という枠組みは力を発揮するのではないか。

もう一つ印象に残ったのは、坂田氏が、原画と過去の作品の「継承」ということを強く訴えていたことである。これは、本来、アーカイブの機能として最もオーソドックスな部分である。しかし、今日のマンガ関連施設で求められている「マンガ知」の運用という実践の中では、この「継承」という機能を果たすことが後回しにされてしまっていることを意味している。

これもまた、『アーカイブ立国宣言』の中でうたわれている、蓄積された文化資源を参照・活用することを、世界に通用する独自性を持ったコンテンツ・サービス創造の源にするといった考え方が、現場レベルにはほとんど届いていないことを意味するだろう。

今の若者にはもはやどこが面白いのかわからなくなっているマンガの面白さを再発見させ、そうした面白さの継承の上に今日のマンガがあることを理解してもらう基盤を形成し、再評価・再活用の可能性に備えて原画を保存していく場を確保すること。こうした使命がまだ十分果たせていないことを坂田氏は盛んに述べていた。

 

●次世代の人材育成の必要性

こうした現場レベルで直面している様々な困難や課題を乗り越えていく上で、必須の条件についても、主に坂田氏が述べられていた。人材の育成である。今日のマンガ関連施設で働く学芸員、研究員の多くは、もともとそうした職業を目指していたわけではなく、何らかの経緯で「いつの間にかやることになっていた」人が大半である。彼らに共通するのは、マンガに対する情熱と、未知の仕事に挑んでいく開拓者精神である。

ある新しい仕事の場と形が出来上がっていくときには、そうした開拓者精神に満ちた、例外的なエネルギーを持った人々が必要とされるわけだが、そのような人々はまさに例外的な存在なので、そうした人材を必要とする施設が一定数を超えたら、たちまち人材不足が生じる。次世代の育成が必要になる。今やマンガのアーカイブも、次世代の育成を組織的に行うべき段階にさしかかっていると考えられる。

マンガのようにミュージアムだけにもライブラリーだけにも収まりのつかない資料を扱う領域横断的な専門性を要する高度なアーキビストの育成は、Museum(美術館・博物館)、Library(図書館)、Archive(ここでは公文書館など狭義の文書館を指す)という、広義のアーカイブ機能を有する施設の「MLA連携」を目指す東京大学などの試み(石川・根本・吉見2011)や、それとも関連する前述のアーカイブ立国宣言の中でも、重視されている。

ではその育成を実際、どのように行っていくべきなのか。ここでもまた、まさに国の政策レベルの大きな枠組みを論じている人々と、地域の現場で悪戦苦闘している人々の知を、有機的につなげていくことが求められていると言えるだろう。

シンポジウム当日は、ハッシュタグ「#manga_chi」が主催者側から提示され、実況・感想ツイートが歓迎された。すでにそのツイートのまとめも作られている。http://togetter.com/li/774302

したがって、当日誰が何を話したかだけであれば、このまとめからほとんどのことがわかる。そこで本レポートでは、当日話されたことを、今までのマンガのアーカイブをめぐる議論との関わりにまで踏み込んで、私自身の補足や解釈も交えながら、今後の課題の提示も含めて、述べさせていただいた。

どうかぜひ、昨年度のシンポについての野田謙介氏のレポート、および今年の実況ツイートと合わせて、このレポートをお読みいただき、さらに関心をお持ちの方は、下記の関連文献にも目を通していただければと思う。それがさらに、我々が共有する「マンガ知」を広く、深く、力のあるものにしていくことにも、つながるはずだ。

【参考文献】

表智之・金澤韻・村田麻里子2009『マンガとミュージアムが出会うとき』臨川書店

石川徹也・根本彰・吉見俊哉編2011『つながる図書館・博物館・文書館-デジタル化時代の知の基盤づくりへ-』東京大学出版会

石田佐恵子・村田麻里子・山中千恵編著2013『ポピュラー文化ミュージアム』ミネルヴァ書房

伊藤遊・谷川竜一・村田麻里子・山中千恵2014『マンガミュージアムへ行こう』岩波書店

福井健策・吉見俊哉監修2014『アーカイブ立国宣言-日本の文化資源を活かすために必要なこと-』ポット出版

大場博幸2014「図書館はどのような本を所蔵しているか」『ず・ぼん』№.19

 

宮本大人

プロフィール・・・明治大学国際日本学部准教授

1970年、和歌山県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程単位取得退学。北九州市立大学文学部准教授を経て、現職。日本マンガ学会理事。北九州市漫画ミュージアム研究アドバイザー。専門はマンガ史。