戦後、アメリカの大衆文化を反映して生まれたポップ・アート。欧米で現代美術としての評価が確立されていくなかで、次第にその影響が日本の作家にも現れてくるようになった。このコラムでは、ポップ・アートとデザインの関わりを2回にわたって探っていく。後編は、1970年代後半に提唱された「アール・ポップ」という概念を中心に、日本におけるポップ・アートとデザインの関係についてさらなる考察を加える。

「アール・ポップ」展 展示風景
谷川晃一編『アール・ポップ』冬樹社、1980年、23ページ

アール・ポップとブリティッシュ・ポップ・アートの共通性

前編では田名網敬一と横尾忠則の両者が、ポップ・アートをデザインにどう応用していたのかを分析した。後編では画家・谷川晃一(1938年~)が主要な提唱者となり1970年代の末から1980年代初頭にかけて言説的に語られ、同名の展覧会も開催された「アール・ポップ」(註1)について考えてみたい。以下の記述ではアール・ポップについて解説し、さらにブリティッシュ・ポップ・アートとの共通性を指摘する。そして両者がデザインについてどのように思考していたのかについて確認し、そのうえで最後に、椹木野衣がアール・ポップを村上隆の提唱したスーパーフラットと同一の線上に位置づける歴史観について検討を加えてみたい。

アール・ポップとは作品の形式ではなく、ひとつの文化的な傾向のことを指した概念である。それゆえ、1979年に東京と札幌のパルコで開催された「アール・ポップ」展では過半数以上が美術作家ではない出品者で占められることになった。展覧会の翌年刊行された実質的なカタログである谷川晃一編『アール・ポップ』(冬樹社、1980年)を参照すると、展示メンバーの多彩さに驚かされるだろう。山口はるみをはじめとしたイラストレーターや、淺井慎平といった写真家、デザイナーや版画家といった複数のグラフィック領域から人選され、展示においては大小さまざまな立体作品も出品されている。そしてそれに加え特徴的だったのは、レコードジャケット、Tシャツ、文房具などの雑貨や、日用品がそれらと同様に展示してあったことである。デザイン業界に近い出品者が多かったことから、会場には彼らが参加した広告(ポスター)も多かった様子が会場写真からはうかがえる。

「アール・ポップ」展 展示風景
谷川晃一編『アール・ポップ』冬樹社、1980年、30ページ

ゆえにアール・ポップとは、美術やデザインといった特定のジャンルにとらわれない、私たちの生活の中で触れるモノに息づいている「感覚」として理解したほうがその実態を把握できるだろう。アール・ポップの概念としての確立は谷川、画家の宮迫千鶴、青画廊の青木彪の3人が大きな役割を果たしているのだが、彼らの言説を確認しながら要点を解説していこう。

この概念の源流として挙げられているのは、日本の第二次世界大戦敗戦後に進駐したアメリカ軍がもたらしたアメリカの文化である。谷川は占領期に市井の人々にとっての日常でもあったアメリカ兵たちの生活ぶりを、『アール・ポップ』に収録された評論「アール・ポップのルーツとしての進駐軍文化」のなかで語っている。ここで着目されるのは兵士たちからもらうガムやチョコレートといった菓子、およびその派手なパッケージと横文字といった物質的な豊かさや文化的洗練であり、さらにはくわえたばこで勤務し、日本人の恋人と人目もはばからず抱き合うような兵士たちの「ラフ」な態度であった。こうしたメンタリティも含めた文化全般(生活日用品、映画、TV、音楽など)におけるアメリカの影響を谷川は「アメリカ的生活感覚」と呼び、大戦後の世界情勢をリードし、地球規模で流行するそれを「アール・ポップ」として位置づけるのである。それは「悲劇的重厚さよりも軽いジョークを好む乾いた都市的感覚」であり、それを求めた結果として、ジャンルやメディアが多岐にわたるものになったのだと谷川は説明する。

「アール・ポップ」展 展示風景
谷川晃一編『アール・ポップ』冬樹社、1980年、31ページ

こうしたアール・ポップの概念規定は、その受け皿としてのデザインの重要性を担保するものになっていたと考えられるだろう。実際の展覧会で広告が数多く展示されていたことはすでに述べたが、宮迫は『アール・ポップ』収録の「美術における直接感覚の復権 「キャンプ」から「アール・ポップ」へ」という評論のなかで、各種デザイン、そしてイラストレーションについて「概念としてではなくその身体的な直接感覚によって、新しい今日的なラディカリズムを支えるメディアになっている」と明言している(註2)。

このように考えると、アール・ポップは1950年代イギリスで勃興したブリティッシュ・ポップ・アートと類比的に捉えることが可能であるように思われてくる。ブリティッシュ・ポップ・アートとは美術のいちジャンルとして認識されたアメリカのポップ・アートとは異なり、インディペンデント・グループ(以下、IG)という美術家、デザイナー、建築家、批評家という多様なバックボーンを持つ集まりのなかで議論されてきた、理論的側面の強いものでもあった(註3)。ゆえにここでの議論においてポップ・アートとして名指しされていたものは、いわゆる大衆文化にインスピレーションを受けた芸術作品ではなく、「マスメディアの産物」そのものだったのである。つまり当時のイギリスにおいてそれは、美術作品ではなく、ポスターや新聞、雑誌の広告といったより広い範囲を指す言葉であり、とりわけ重要なものと認識されたのが、アメリカの大衆的な文化のイメージだった。ゆえにポップ・アートとは、これらの日常的な図像についてのアプローチであり、デザインの問題としても思考されてきたのである。実際、ポップ・アートの代表的な作品としてよく紹介されるリチャード・ハミルトン(彼はIGのメンバーでもあった)のコラージュ《いったい何が今日の家庭をこれほどまでに変え、魅力的なものにしているのか》(1956年)を展示ポスターとして使用し、IGが1956年に企画した「これが明日だ」展は、美術のみならず、デザインや建築などの多領域にわたるものだったことがそのことをよく表している。こうした日常の生活も含めた視点はアール・ポップと共通のものがあり、1956年にIGが企画して開催された「これが明日だ」展と「アール・ポップ」展の会場写真を見比べると、雑多なイメージが重畳しており、両者の意識の近さを物語っているだろう(註4)。

このようにアール・ポップは、狭義の現代美術におさまらない遠心力を持っていたブリティッシュ・ポップ・アートにも通じる、アメリカ型の大量消費社会への批評に立脚したものであったのである。しかしこうした側面は、あまり現在の私たちには伝わってきていない印象がある。それはなぜなのだろうか。

具体的なプレゼンテーションとなった「アール・ポップ」展について、赤塚行雄は「美術手帖」における当時の展評で「絵画や版画を除いては、展覧会をまつまでもなく、もろもろの印刷物として商品として、街で家庭で、他ならぬパルコの中でいつでも出会うことができる」と指摘し、「同展の作品はさしづめ「有名アールポップ」とでもいうべきか」と述べている(註5)。このように「アール・ポップ」展は、当時の商業空間を直截に反映したような印象もあり、美術展として評価しづらい性格を有していたのである。先にも引用した宮迫の文章によると、展覧会は同時代的な感覚をボーダーレスにキュレーションする一方で、1970年代の国内の美術シーンにおいて存在感を持っていたもの派、コンセプチュアル・アートのカウンターとしての意図もあったことが語られているが、その真意は伝わりきっていなかったのだと言えるだろう。

アール・ポップとスーパーフラットの差異

さらに後代の言及としては、1990年代以降の日本の美術批評をリードする椹木野衣が「アール・ポップ」展を評価していることにも触れておきたい。だが筆者は、椹木の同展の位置づけが、結果的にアール・ポップのデザイン的な側面を見えにくくしているのではないかと考えている。椹木は「アール・ポップ」展を村上隆のキュレーションした「スーパーフラット」展の先駆として捉える趣旨のことを複数回記述している(註6)。「スーパーフラット」とは村上の提唱した概念で、江戸時代の日本美術、現代美術のみならずマンガやアニメ、写真、デザインなど多領域で生まれた成果を集結させることで、日本文化の基層を明らかにしようとしたものであり、こうしたコンセプトのもとに同名の展覧会も開催されている。椹木によるとアール・ポップとスーパーフラットは、ファインアートとデザイン、そしてマンガやアニメといった複製文化に注目し、第二次世界大戦の戦勝国アメリカと、敗戦国日本の、引き裂かれのなかにリアリティを探ろうとする姿勢が共通しているのだと言う。さらにそれぞれ関連して開催された展覧会は、店舗は異なるものの同じパルコで開催されており、実質的なカタログ的出版物の判型、ページ数も類似していると指摘する。これらのことから両展、および両概念を椹木は連続的なものとして解釈している。

「スーパーフラット Superflat」展 展示風景(写真はロサンジェルス現代美術館に巡回したときのもの)
「美術手帖」2001年4月号、180ぺージ

しかし、デザインについての検討を経由したこのコラムの見地からすると、両概念は椹木が考えるほど連続するものではなく、そこには差異も含まれていることが理解できるはずである。すでに述べたように「アール・ポップ」展には広告業界で活動するデザイナー、写真家、イラストレーターが多かったことから、展覧会にもポスターが多数出品され、さらには日常的な雑貨も展示されていた。それに対し「スーパーフラット」展には広告はほぼ出品されず、デザインに関わりの深い参加者は、エンライトメント/ヒロ杉山とグルーヴィジョンズに限定されている(とはいえ彼らに関しても、純粋にデザイナーとは言い切れない越境的なスタイルを特徴としている)。このように考えると、両者の差異として、前者においては比較的存在感を放っていたデザイン領域での表象が、後者ではあまり前景化してこないということが指摘できるだろう。その代わりに、後者には近世日本美術から20世紀に至るまでの長い期間を取り上げ、マンガやアニメまでも含めることによって、日本という国の「スーパーフラット」性を系譜として語りなおすような姿勢が濃厚である。端的にまとめるならば、アール・ポップは文化の共時的な断面を示すことに比重が置かれていたのに対し、スーパーフラットは通時的(つまり歴史的)な系譜をプレゼンテーションすることに主眼が置かれていたのである。

「これが明日だ」展 展示風景
「This is Tomorrow Images from the 1956 exhibition at the Whitechapel Art Gallery from the RIBA Collections.」Royal Institute of British Architects
https://www.architecture.com/image-library/features/this-is-tomorrow.html

そしてそのときにスーパーフラットに後退したのが、日用品も含めた多様で雑多な大量生産品や複製物のデザインへの視点だったのだ。椹木がアール・ポップに言及する際は、こうした要素はあまり強調されていない。エンライトメントの出品などそこには広告的、デザイン的観点がまったく配慮されていないわけではないのだが、そもそもが日本で生み出されたさまざまな視覚表象の平面性という造形的な共通性を物語化せんとするスーパーフラットには、アール・ポップの重視する(感覚的な)同時代性の反映としてのデザインにはあまり関心を払う必要がなかったとも言えるのかもしれない(註7)。

エンライトメント(ヒロ杉山)《アントニオ猪木》
村上隆編『スーパーフラット』マドラ出版、2000年、74ページ

ポップ・アートがそもそも工業製品や複製物との関わりによって成立したことを踏まえると、それがデザインと簡単には分離できないような、密接な関係にあることは明らかである。しかしこのことは、国内に限っても、東京ポップ、ネオ・ポップ、マイクロ・ポップなど多数の「ポップ」と冠された美術動向が様々に変奏された現在からすると、観測しづらくなっていることなのかもしれない。しかしここまで田名網敬一、横尾忠則、アール・ポップについて取り上げてきたことからも分かるように、ポップ・アートとデザインの関わりは日本においても歴史的な事実として存在している。こうした視点を他の対象にも広げることによって、これまであまり注目されてこなかったような、美術やデザインの新たな側面が浮かび上がってくるのではないだろうか。


(脚注)
*1
谷川はアール・ポップをポップ・アートとは別の概念であると述べているが、後者は前者の概念形成になくてはならないとも認めている。そのため筆者はアール・ポップをポップ・アートのバリエーションとして位置づけ、ポップ・アートとデザインの関係を探るこのコラムにふさわしい主題として取り上げる。

*2
宮迫千鶴「美術における直接感覚の復権 「キャンプ」から「アール・ポップ」へ」、谷川晃一編『アール・ポップ』冬樹社、1980年、10ページ

*3
ただし、その理論的な傾向はあくまでもひとつの特徴であり、ブリティッシュ・ポップ・アート全体を支配していたわけではない。デイヴィッド・ホックニーやピーター・フィリップスといった、より直截にポピュラー・カルチャーを反映させる作家も多くの文献でブリティッシュ・ポップ・アートとしてカテゴライズされている。

*4 
しかしこのようなポップ・カルチャーの引用は「これが明日だ」展全体を支配していたわけではない。同展は12のグループに分かれており、IGのグループはそのうち7つだった。その中でも積極的にポップなイメージを利用したのが、本コラムの注目するハミルトンなどのグループ2だった。

*5
赤塚行雄「いつでも・いたるところの気がかり──アール・ポップ展」、「美術手帖」1979年8月号、18~19ページ

*6
筆者の確認する限り、次の3つの資料で椹木はアール・ポップについて言及している。NOI a.k.a 椹木野衣「動物的かおたくか超平面的か平面の超克か」、「美術手帖」2001年11月号、98~101ページ。椹木野衣「再読・石子順三 もの派/幻触からマンガを通じ、トマソン、アール・ポップ、日グラ、そしてスーパーフラットまで」、『10+1』40号、2005年、13~15ページ。椹木野衣「アール・ポップから始める-80年代の美術をめぐって」、「美術手帖」2019年6月号、98~113ページ

*7
アール・ポップと比較するとデザインや広告と一定の距離感のあるスーパーフラットだが、実はその概念の誕生には広告業界との関わりが大きな役割を果たしており、実は単純にはそうとも言い切れない側面もある。なぜならスーパーフラットという理論が具体化するには、雑誌『広告批評』の元編集者である笠原ちあきが村上に書籍の制作を打診したことがきっかけとなっているからである。これに関する詳しい経緯については次の資料を参照すること。藤津亮太「スーパーフラット戦記 アメリカで『人生最高の3秒間』を味わった男の物語」、「美術手帖」2001年4月号、179~190ページ

【参考資料】
谷川晃一編『アール・ポップ』冬樹社、1980年
村上隆編『スーパーフラット』マドラ出版、2000年
吉村典子「リチャード・ハミルトン《いったい何が、今日の家庭をこんなに違ったもの、こんなにも魅力的なものにしているのか》再考」、「英文学会誌」第47号、2019年、3~29ページ
「美術手帖」2014年4月号

※URLは2021年3月17日にリンクを確認済み