シリーズ累計発行部数が400万部を超える絵本『100かいだてのいえ』の著者として広く知られる岩井俊雄だが、本サイトの読者にとっては、メディアアーティストとしての顔こそ馴染み深いかもしれない。デジタルを武器に先端的なメディアアート作品を発表していた岩井は、2008年の絵本作品の成功以来、ハイテクからローテクへと大きく活動の場を転換した。茨城県近代美術館で開催中の「どっちがどっち?いわいとしお×岩井俊雄-100かいだてのいえとメディアアートの世界-」は創作の全貌を取り上げる大規模な展覧会だ。岩井にとってメディアアート作品の最後のまとまった展示機会となる可能性も高い本展を、会期に先がけて開かれたプレス内覧会の取材を基に、写真を中心に紹介していく。
《映像装置としてのピアノ》1995年
画像提供:茨城県近代美術館
創作の原点から
人気絵本作家としての展示の機会は多々あれど、メディアアーティストと絵本作家の2つの顔を同時に取り上げる機会は本展が初となる。茨城県近代美術館の吉田衣里氏から「メディアアート作品も」とオファーがあったときは戸惑いも感じたという。
「僕がメディアアートというジャンルでさまざまな新しい機器やコンピュータを使っていて活動していたのが1980年代から2000年代の初頭のことです。すでに数十年が経ってしまい、その間デジタル機器も進化をしています。過去作の展示と言われても、そうもいかない事情があったんです」。コンピュータのハードの進化は早く、過去の作品に使用していたソフトは動かなくなり、古い機械は修理もままならない。30年前の作品がいまも動くのかという問題がひとつ。「そして絵本の仕事が忙しくなっていたのが正直なところ……」と岩井は言う。物理的にも精神的にも遠くなっていたメディアアート。ただ、20年近く取り組んだそれらの仕事をそのままにしてよいのか、との思いは歳を重ねて強まっていた。これがメディアアートをまとめて展示できる最後の機会かもしれないと捉えて本展の企画を受けたという。
全4章で構成される展示を俯瞰すると、大きく2つに分かれている。前半は絵本の仕事について。『100かいだてのいえ』(偕成社、2008年)からスタートしたシリーズの展開などを見ていく。展覧会の後半はメディアアートの取り組みを、学生時代の習作からさかのぼってたどる。この絵本とメディアアートの2つの構成に、インターミッションにように挟まれるのが、岩井氏の子ども時代を取り上げた「プレヒストリー」のパートとなる。ここでは創作の原点ともいえる「発明ノート」やパラパラマンガなどを展示する。
それでは、主な展示作品を章ごとに紹介していこう。
会場入口であいさつをする岩井
ページをめくるとは
第1章「いわいとしお/100かいだてのいえの世界」は、子どもが数字の繰り上がりに悩んでいるのを見たことがヒントとなって生まれた絵本、『100かいだてのいえ』の制作の背景を解き明かす。『100かいだてのいえ』の画期性は、本を手にした人なら誰もが気づくように、ページめくりを通例の横開きから縦開きに変えたことにある。このことでページをめくる行為が、不思議と身体的で運動感覚に訴える行為に変わる(註1)。
本は開くと対称の見開きになる構造物だ。ひとつの見開きに10の単位を示せば、それが10回繰り返される/10回ページをめくることで、100になる。数の繰り上がりの構造を、ページめくりの仕組みと合わせて感覚的に飲み込めるようにした。子どもの悩みをきっかけに、本というメディアの可能性を探求した作品だ。
展示では、地下や空へと作品の舞台を広げた「100かいだてのいえ」シリーズの原画、スケッチのほか、絵本のファンである子どもたちが楽しめるようなクイズも用意されている。
展示の後半では、岩井家の子どものためにつくられた玩具の数々が展示され(註2)、そこから絵本作品に発展していったアイデアも解説される。
絵本『100かいだてのいえ』と下絵(2008年)
画像提供:茨城県近代美術館
手前は『100かいだてのいえ』の本を複数ならべて、建物の全貌をひとつながりに示した展示。奥は画面内のモチーフを基にしたクイズ
展示より、下絵
「100かいだてのいえ」シリーズの原画の前で解説する岩井
岩井家の子どものためにつくられた玩具の数々
本展タイトルにも引用されている『どっちがへん?』『どっちがどっち?』の展示。デパートでの買い物の待ち時間にぐずった娘をなだめるためにとっさに考えたアイデアが、のちに絵本(紀伊國屋書店、2006年)になり、多くのワークショップにも展開された
玩具とは
母親から「もう、おもちゃは買いません」と宣言されたのは、岩井が10歳のときだったという。父は電力会社の技術者で、自宅には工具や材料が揃っていた。母の突然の宣言以来、週末ごとに岩井は父の手解きを受けながら自ら玩具をつくりはじめ、長じて電気や機械の仕組みに興味もつようになっていった。
第2章「いわいとしお×岩井俊雄のプレヒストリー」では自らつくりたい玩具を夢想したノート『工作ブック』をはじめ、パラパラマンガ、中学時代に描いたマンガやイラスト、高校時代に制作した油彩画やクロッキーなどが披露され、アーティストの揺籃期にタイムスリップする。
買ってきたおもちゃでただ遊ぶことと、自分でおもちゃをつくることには雲泥の差があります。何をつくるかを考え、材料を探し、手を動かしてつくり上げる。遊び方を考える。壊れたら自分で直す、改造する、発展させる。こうしたプロセスのなかで、どれだけの発見や喜びがあることか。(註3)
前章の後半にあった岩井家の子どものための玩具と呼応するように、岩井が自身のためにつくった玩具も展示されるこのエリアには、目を輝かせてものづくりに挑む子ども時代の興奮がパッケージされている。科学が描く未来像に胸を膨らませ、マンガやアニメが大好きだった少年は、いかにして世界的なメディアアーティストになったのか。試行のなかで作品のアイデアが開花する様子が次の章に続いていく。
工作ブック(1973年頃)
画像提供:茨城県近代美術館
子ども時代に本人が使っていた顕微鏡、ラジカセ、ゲーム機などゆかりの品々の資料展示。1970年、岩井が小学2年生のときには大阪で日本万国博覧会が開催され、科学技術への期待感が時代に満ちていた
絵が動くとは
第3章「岩井俊雄/メディアアートの世界」では、《驚き盤》から〈時間層〉シリーズへと続くメディアアートとしての作品を見ていく。アニメーションの歴史に興味を広げた岩井は、19世紀に発明された映画の原初的な発明である驚き盤(フェナキスティスコープ)やゾートロープを知ることで、「あり得たかも知れない別の映画史」を思い描くようになる。リュミエール兄弟のシネマトグラフが登場する以前には、絵を動かして見るためのさまざまな装置が発明され、今の映画やテレビとは違う特徴を持っていた(註4)。それら忘れ去られた過去の発明が、もし別の進化を遂げたとしたら……。そのような想像の果てに実現した〈時間層〉シリーズは、ブラウン管の明滅を活用して、立体をアニメーションとして動かす作品で、目の前で立体が動き出す面白さは3D映画やVRでの体験とまったく異なる実在感に圧倒される。ぜひ会場で体験していただきたい。
《立体ゾートロープ》(1988年)。作品下部のハンドルを回すと本体が回転し、細長い穴(スロット)から覗くと円筒の中に配置された連続する動きの立体が動き出す。この原理を発展させたのが〈時間層〉シリーズになる
《時間層II》1985年/東京都写真美術館蔵
画像提供:茨城県近代美術館
音を奏でるとは
最終となる第4章「いわいとしお×岩井俊雄の共鳴」は、岩井の大きなテーマである音楽への取り組みを見ていく。小学校時代から音楽や楽器に興味はありながらも楽譜になじめずコンプレックスを感じていた岩井は、手回しオルゴール用の曲のパンチカードをみて衝撃を受ける。カードに空けられた穴の配置はまるで抽象画のように見えたという。後に落書きする感覚で作曲できる実験的な教育用テレビゲーム《ミュージックインセクト》(1990年)などで音楽と映像の関係は追求され、1995年には「目で見る音楽」の集大成ともいえる《映像装置としてのピアノ》を発表する。本展では発想の原点となったパンチカードのオルゴールとピアノ、そして絵本としても音楽をモチーフにした『もりの100かいだてのいえ』の原画を同じ空間に配置することで、分野を越えて作家を貫くテーマを象徴的に浮き上がらせる。
《映像装置としてのピアノ》は会場で鑑賞者が実際に演奏することもできる。グランドピアノの鍵盤部分から手前にのびるスクリーンは、鑑賞者の操作するトラックボールの動きを可視化する。ボールの操作によってスクリーン上につくられた光の点が鍵盤に流れていくとピアノが演奏される。さらにピアノの鍵盤から天井に垂直に張られたスクリーンは、ピアノが鳴ると同時に音が光となって上方に飛んでいく映像が投影される
《かがみの100かいだてのいえ》2022年。合わせ鏡の効果でどこまでも建物が続くような効果が生まれる
「いわいとしお×岩井俊雄の共鳴」の章は続いて伊豆でのくらしや、『100かいだてのいえ』の世界を立体化した近作などを紹介し、岩井の現在地点を示す。
コンピュータが個人に普及しはじめた1980年台初めに筑波大学に入学し、コンピュータの進歩とともにメディアアートを制作してきた岩井は、子育ての経験のなかで作品の発表の場を変えることになった。
一枚の紙を前にして、これで何が出来るかを想像する。また逆に、自分のつくりたいものにはどんな材料がふさわしいのか考える。(註5)
それぞれのメディアの根本に立ち返って本質を見つめようとする姿勢。本であればページについて、音楽であれば音符記号の意味を問い、遊びに通じる好奇心で突き詰める。それがメディアを問わず、岩井のアーティストとしての一貫したスタイルなのだろう。そして今の岩井には、「いわいさんち」のだけではない多くの子どもたちのためにどんな作品を届けられるか、という視点が大きな前提としてある。テレビゲームをはじめとする高度に発展したデジタルデバイスを玩具としてどう考えるかについて、岩井は「親として」躊躇を隠さない。
岩井俊雄のメディアアートの新作はもう期待できないのだろうか。内覧会で本人に聞いた。
最初は絵本作家になるつもりはなかったのに、10年くらいかけて絵本作家としての自分がだんだん確立してきました。親子で2世代という読者も現れるまでになり、層も厚くなってきています。彼らと交流するなかで、ハイテク機器が今の子どもたちをどこに連れて行くのかの不安を実感します。そこにはかつてメディアアートをやった人間が絵本に行くだけでは解決しない、大きな問題がまだまだ横たわっている気がするのです。どうしたらいいのかは、これから課題としてちょっと背負っていかないと……。そのきっかけとして、かつて僕が力を注いでつくってきたメディアアート作品が、今の子どもたちにどう響くのかをこの会場で見てみたいんです。そのことで僕はもしかしたら大きなエネルギーをもらって、そうだこれをやればいいんだということが見えてくるかもしれない。
(脚注)
*1
岩井の発想は絵本をページめくりの体感装置として捉えるところにある。同じ縦開きでも、ページを上から下にめぐると「上へ登る」感覚を得られる。逆にページを下から上へめくると「下へ降りる」ような感覚がある。この体感の違いが、シリーズの続編『ちか100かいだてのいえ』(偕成社、2008年)に生かされた
*2
子どもと出かけるときには、常に鞄に紙や色鉛筆、時にはハサミやホッチキスをしのばせていたという。父と子の玩具づくりの様子は『いわいさんちへようこそ!』(紀伊國屋書店、2006年)としてもまとめられた。家族アルバムでもあり子育てのヒントともなる一冊
*3
岩井俊雄『アイデアはどこからやってくる?』河出書房新社、2010年、174ページ
*4
初期映画の発明について専門的な解説は本稿では扱いかねるが、岩井の〈時間層〉シリーズにつながる基本的な原理を簡単に補足する。1830年台初頭に生まれたフェナキスティスコープは円盤に鑑賞者がのぞき込む細長いスロットがあり、鏡に向かって円盤を回すと表側に描かれた連続する絵が動き出すように見える仕組みだ。
スロットを通さずに円盤を回転させても絵がブレるだけだが、スロットを通すことによって一瞬ごとのイメージをシャッターのように目に焼き付けることになり、個々のイメージが連続するように見える。これを暗い空間のなかで連続的に発光するストロボ光源を「スロット」効果に見立て、回転する台に設置された立体を連続するアニメーションとして見られるようにした作品が〈時間層〉シリーズだ。同作ではストロボとしてテレビ機器を活用した。人形を配置した回転盤の上部に逆さにテレビが据えられ、明滅する光で一瞬ごとのイメージが目に焼き付く。色が変わり、音楽に合わせて複雑な動きを見せる。《時間層II》で岩井は現代日本美術展の最年少の大賞受賞者となった
鏡の前でのフェナキスティスコープ使用風景
ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』遠藤知巳訳、2005年、161ページより
(information)
どっちがどっち?いわいとしお×岩井俊雄-100かいだてのいえとメディアアートの世界-
会期:2022年7月2日(土)~9月19日(月・祝)9:30~17:00(入場は16:30まで)
会場:茨城県近代美術館
入場料:一般1,000円/満70歳以上500円/高大生730円/小中生370円
http://www.modernart.museum.ibk.ed.jp/
※URLは2022年9月7日にリンクを確認済み
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