年春、東京藝術大学に立ち上がった「未来創造継承センター」。同大学がこれまでに生み出し、そしてこれからも生み出し続ける文化・芸術を、次の創造に活用可能な資源とし、広く未来に継承していくためのセンターである。現代におけるその活動は「デジタルアーカイブ」という言葉に集約されるが、その意味する範囲は広い。専任教員として活動していくのは、文化・芸術の保存と継承を専門とする特任准教授・平諭一郎氏。そしてセンターとこれまでの蓄積の橋渡し役となるのは、同大学芸術情報センター准教授・嘉村哲郎氏だ。前編では昨今のデジタルアーカイブについて、両氏の考えや昨今のトピックスをお話しいただく。
左から、平氏、嘉村氏
「とりあえずとっておこう」「それ、本当に必要?」両氏の立ち位置
嘉村:僕は、データとして扱えて蓄積可能なものであれば、とにかく何でも、とりあえず蓄えればいいと思っています。ただ、どんなデータをどう蓄積するかが難しい。デジタルアーカイブには目標志向型と課題解決型、2つのアプローチがあるとされていて、その両方を組み合わせて考えていく必要があると思います。目標志向型は、まず目的や理想を掲げて、関係者全員で共有しそこに向かってつくっていくパターン。課題解決型は、より小規模で身近な課題を解決するための手段として選ぶパターンです。どちらが先に立ってもいいはずなので、身近な課題に対しては、とりあえず取り組んでみよう、という気持ちでいます。
デジタルアーカイブというと、一般的に想像しやすいのは、Google Arts & Culture(註1)などになるのでしょうか。あれはまさに、世界中の美術館、博物館が所有する文化財のデジタルコンテンツを提供するデジタルアーカイブです。日本でも、90年代半ばぐらいから始まったデジタルアーカイブは文化財を対象にしています。ただ個人的には、対象を文化財にこだわる必要はないと思っていますし、実際に世の中には、文化財以外を対象にしたデジタルアーカイブはたくさんあります。例えば、テキストデータだけでもデジタルアーカイブになりえます。東京藝術大学(以下、藝大)のどこでいつどんなイベントを実施したか、そういった情報も蓄積していけば、アーカイブになりますよね。これは後半でお話しできればと思っていますが、これまでの藝大には、「藝大とは?」を知る手立てとなる藝大史的なアーカイブが十分になされていない。個人的には、未来創造継承センター(以下、センター)にはそういった活動も視野に入れていってほしいと思っています。
平:持っている問題意識は嘉村さんと似ていると思います。Google Arts & Cultureをはじめとしたデジタルアーカイブは「物」を対象としていることが多いのですが、僕も「物以外」を注視することは重要だと感じています。
例えば、絵画作品を撮影した記録画像に、カメラマンのクレジットが付く、つまりはカメラマンの著作物として扱われることはほぼありません。対して、立体作品の場合はクレジットが付くことも多い。それは平面と立体という捉え方の違いから生じる差異だと思いますが、絵画だって決してペラペラの平面ではなくて、厚みや凹凸があります。かつ、油彩などの場合は、表面のニスの反射で、正面からだとかえって見辛くて、実物は少し斜めから見たりしますよね。展示室が混んでいたら、真正面で正視できる時間なんてほとんどないかもしれません。そう考えると、そもそも絵画作品を真正面から見ることってほぼないのです。そんな絵画作品の記録が、真正面から捉えた画像だけでいいのか、という疑問があります。真正面からの画像だけでも、もちろんアーカイブとしての重要性やメリットはありますが、それだけでは見落とされてしまうものもある。完成作品のアーカイブに限っても、不十分だと感じますし、制作過程のことや、完成後の破損や変色、所有者の推移などといった出来事も含めると、ひとつの作品にまつわる情報はたくさんあります。そのすべてがアーカイブの対象になりえます。
加えて、美術館の外で実施するプロジェクトが近年とても増えています。そういうなかでは、企画段階の会議なども、アーカイブの対象にすべきだと思っています。
一方で、嘉村さんが言う「とにかく何でも、とりあえず蓄える」という点については、僕は少し慎重派です。というのは、世の中の流れを考えたときに、これ以上、物を生産していいのだろうかという疑念があるからです。
藝大には先行するデジタルアーカイブ事業があり、そのなかでつくられたアーカイブがさまざまありますが、それらをちゃんと引き継ぎ活用できているかというと、できているとは言い切れません。とはいえ、それでも問題なく世の中は回っています。アーカイブの必要性が取り沙汰されてはいますが、本当に残す必要があるのか、あらかじめ吟味することも重要なのではないかと思います。
データの容量も無限ではありません。例えば先ほどの絵画作品を例にするなら、正面からの超高精細画像がひとつあるよりも、その解像度を少し落としてでも、テクスチャのわかる立体情報など、関連情報を増やしたほうがいいのかもしれない。有限ななかで何をどう選び取って繋げていくかが大事なのではないでしょうか。
嘉村:そうですね。デジタルアーカイブは、アーカイブすることも大事ですが、誰しもがアクセス可能なところに置いて公開し、活用可能にすることもまた重要です。センターでは、活用にも重きを置いていきたいですね。
文化財から始まったデジタルアーカイブ、その文脈で言えば、美術館や博物館などによる文化財を対象にしたデジタルアーカイブは公共財として、そうでないものにしても、極力誰でも自由に使えるような形式で公開されてほしいと思っています。ただそうなると出てくるのが、お金の問題です。昔から言われていることですが、デジタルアーカイブをどうビジネスに繋げるかというのは、難しい問題です。
DNPアートコミュニケーションズが行う画像貸出業務「Image Archives」をはじめとして、画像の利用に料金を課すサービスもあります。ひとつのビジネスモデルではありますが、それがデジタルアーカイブの活動を支える収益源になっているかというと疑問ですし、そればかりでは興味のある人しかアクセスしなくなってしまう。
DNPアートコミュニケーションズが運営する、文化財の画像を有料で利用できるサービス「Image Archives」
出典:Image Archives
欧米のデジタルアーカイブ
平:一方で、欧米の美術館や博物館では、かなり高精細な画像を無料で提供していますよね。原寸での印刷にも耐えうるようなデータがウェブサイトからダウンロードできて、そのデータを使ってグッズを作って販売したりしてもいい。すごく良いことだと思います。
デジタルアーカイブの先駆け的な存在であるアムステルダム国立美術館が運営するデジタルアーカイブ「Rijksstudio」。かの有名なフェルメールの作品(実物45.5×41cm)が、約40×35cmで印刷可能な解像度で無償提供されている。さらに、画像のダウンロード時には、二次利用を推奨する画面が
出典:Rijksstudio
嘉村:実際にそのデータを活用してカレンダーやクリアファイルをつくって副業で収入を得ている人もいます。それは違法ではないし、その収入が作品の所蔵館に取られるわけでもない。自国のみならず、人類共通の公共財という意識があるのでしょうね。欧米の場合は、文化財をパブリックに公開することが、ミュージアムや作品の価値を上げることにも繋がります。
平:大英博物館やルーブル美術館など、ヨーロッパのミュージアムは王様や国が持っていたコレクションを民衆に開放することから始まっているので、そもそもが公共財というイメージなのですね。アメリカの場合は、個人がコレクションを国や州に寄付をして、そこからミュージアムが設立されるという形が多いです。成り立ちは違いますが、どちらも文化財は公共財という意識が根付いているのでしょうね。
日本のデジタルアーカイブの現状
嘉村:デジタルアーカイブをパブリックドメインで公開する動きは、日本でも2010年半ば以降増えてきました。初期には、京都府立京都学・歴彩館が所蔵する国宝・東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)が閲覧可能なサイト「東寺百合文書WEB」を公開して話題になりました。以降、文化財のデジタルアーカイブを活用可能な形で公開する動きは広まってきてはいますが、現状、ボリュームも解像度も海外には及びません。
京都府立京都学・歴彩館による「東寺百合文書WEB」
出典:東寺百合文書WEB
平:国立博物館各館の所蔵品データを商用利用も可能な形で公開している「ColBase」(国立文化財機構)では、画像は公開をしたものの、各館のスタンスを調整した結果、現状はそこまで高い解像度になっていないと、デジタルアーカイブ・ベーシックスシリーズ(註2)で村田良二さんが書かれていましたね。見られるけど、もう少し高解像度が望まれますね。
国立博物館の所蔵作品画像が商用利用可能な状態で公開されている「ColBase」。
出典:ColBase
嘉村:日本は、これからどう変わっていけるか、というところでしょうね。ただ、一旦低解像度で揃えたアーカイブを後々高解像度化するというのも大変な作業です。写真自体が撮り直しになるかはわかりませんが、マイナーチェンジが繰り返されては、現場の負担は相当大きいでしょうね。
平:とはいえ、まだまだフィルムからデジタルへの移行期が続いているので、ここ何十年かはミュージアム内での作品撮り直しは相当されているようです。デジタル化の初期にデジタル画像を撮ったような館もそうです。
嘉村:90年代から2000年代にかけて、デジタルアーカイブの取り組みには政府の助成金がついたので(註3)、その時期にデータ化した館が多かったのでしょうね。ただ当時の解像度は今よりずっと低いので、そのために撮り直しが必要になる。でも作品自体は、当時と今では経年劣化で色が変わっていたりする。早めにできるだけ良い状態で撮るというのが一番なのでしょうけれど、技術は日々更新されていくので、より良い精度で残そうとすると、イタチごっこになってしまう。いつどうやって残すのが最高なのかというのは、なかなか難しい問題です。
作品の「最高」はいつ?
平:作品の最高がいつか、という問題については、僕は必ずしも、完成時点とは限らないのではないかという気がしています。そもそも「最高」「最低」という評価軸では測れないというか。
今は、文化財や美術品は完成したときが最高で、保存修復の理念は、その最高に戻すことや、できる限り最高の状態から劣らないようにすることとされています。ただそれは、作家の名前がより前に出るような個人による芸術が現れてからの話で、それまでは、オリジナルを修復するのではなく、オリジナルをつくり直すことが、しばしば行われていました。そもそも、古いことに価値を見出すこと自体、とても近代的な感覚かもしれません。東大寺の大仏なんて、頭部はもちろん、その多くが江戸時代につくられていますからね(註4)。つくられた当初のまま残っている部分は多くありません。
さらに近年は、作品が経た時間もまた、その作品が持つ価値として捉える、形よりも価値を維持していく。そんな考え方に変化してきています。建造物などでは、建設当初にこだわらず、時を経たどこかの時点に戻すという選択がされる場合もあります。例えば、完成後10年で一度焼失し、新たな意匠で建て直されそこから100年経ったとしたら、焼失前の建設当初より、その後の100年のほうが価値を持つと捉えて保存するといった選択。つまり、完成当初から作品が変色したからといって、必ずしも最初に戻さなければいけないかというと、そうとも言い切れないでしょう。
そう考えると、過去のアーカイブを遺産として引き継ぐことへの課題を考えたときに、その時その時の最高の技術でアーカイブを更新するということではなく、むしろ、100点満点や完璧は最初から意識せず、さまざまな人がそこに手を入れて改変するという前提で、持続させていくことのほうが大事な気がしています。とにかく何でも最高を目指すという姿勢は、かえって足かせになったり、その後の使い勝手を悪くしたりすることもある。
嘉村:デジタルアーカイブも、その時代の最高の技術で残すことが望ましいとされてはいるものの、ひとつの事柄から採取できる情報はさまざま、無限にあり、すべてを残すことはできません。時間やコストの関係でも、やはり妥協点を探ることになります。その際に重要なのは、どんな活用を想定するか、つまりは目標設定ですね。その設定によって、アーカイブすべき情報の種類や粒度が変わってきます。
二次創作に立ちはだか(っているように感じ)る著作権の壁
嘉村:先ほど平さんが「改変」とおっしゃったのは、公開されたデータに対してですよね。もともとの作品や物自体、そのデータベースなどはオリジナルとしてそのまま保存しておく必要があると思いますが、派生物はさまざまな人の手によって、たくさんできていいと思います。デジタルアーカイブがオープンになることで、それを基にした二次、三次創作が可能になる。現状、日本のデジタルアーカイブは、パブリックドメインとして公開されているものに関してはそういった改変も可能です。とはいえ、利用用途としては、画像をそのままPowerPointに貼り付けて教材に使うといったことに限られていて、制作物、創作的の素材としてはあまり活用されていません。
縄文オープンソースプロジェクト(縄文文化発信サポーターズ)で公開した火焔土器の3Dデータから、ガラスで同じ形のものをつくるといった事例がありましたが、例えば国宝の壺の3Dデータがオープンソースになっていれば、それを複数合体させて新しい造形物をつくることも可能です。
火焔土器の3Dデータを公開している「縄文オープンソースプロジェクト」
出典:縄文オープンソースプロジェクト
平:モナリザのポストカードに口ひげを描いたマルセル・デュシャンの「L.H.O.O.Q」(1919年)をはじめ、70〜80年代にはナムジュンパイクらがビデオアートの素材としてテレビ番組や衛星放送を使うなど、既存の著作物に手を加えた二次創作的な作品は、デジタルに限らず多くあります。まだ権利関係がそこまで厳しくなかった時代だからこそできたことなのかもしれません。対して近年、キリンアートアワード2003でグランプリを受賞し話題になった「ワラッテイイトモ、」という映像作品(註5)があります。タイトルからもわかる通り、フジテレビで放映されていた番組をサンプリングした作品ですが、受賞作にもかかわらず、権利処理の関係でそのまま展示はできなかったのだそうです。
これは少し特出した例ではありますが、昨今は著作権への意識も高まり、つくり手としても、問題視されそうなことには、「よくわからないからやめておこう」「手を出さないでおこう」という意識がある気がします。でも結局のところ、著作物も忘れ去られてしまうよりは、使われて共有されてなんぼだと思います。個人的には嘉村さんがおっしゃるように、二次三次創作がもっと盛んに起こることを期待しています。
Tシャツがデジタルアーカイブへの入り口に? 多様な導線づくり
嘉村:活用にも繋がる話ではありますが、そもそも、どうやって情報を人目に触れさせるかは、デジタルアーカイブの大きな課題だと思っています。ジャパンサーチも今、「デジタルアーカイブを日常にする」という方針を掲げています(註6)。ジャパンサーチは膨大な情報にアクセスできるサービスですが、その活用事例はまだ多くありません。
国内最大級のデジタルアーカイブ横断検索サイト「ジャパンサーチ」。トップにはさまざまな文化財の画像がスライドショーされる。表示されているのは東京富士美術館所蔵の円山応挙「狗子之図」。著作権はすでに切れているため、解説テキストの末尾には「CC0(クリエイティブ・コモンズゼロ)」の表示が
出典:ジャパンサーチ
嘉村:そもそも、文化財に興味がある人って、日本の人口の何%くらいなのでしょう。普段全く美術館や博物館に行かないような人たちには、文化財のデジタルアーカイブは、今のままでは届きません。彼らにデジタルアーカイブを意識してもらうためには何が必要かと考えると、ひとつには、あらゆる情報の導線をつくることだと思います。例えば、ゴッホの肖像画にマスクをつけたような加工をして、Tシャツにプリントして、それをAmazonで売る。着ている人がいたら目を引きますよね。そこから「あれ、実はゴッホだよ」という話になったら、二次創作を入り口に文化財に興味がいく。興味のない人からも繋がる、あらゆる導線が必要です。
個人的には、ゲームの題材に使ってもらうのが一番いいと思っています。コロナ禍で「あつまれ どうぶつの森」にJ・ポール・ゲティ美術館の所蔵品が登場してデジタルアーカイブ界隈では話題になりました。ただあのときには、単純に絵を飾るだけだったので、導線としてうまく機能したかというと疑問が残りました。作品のデジタルデータにプレイヤー側でさらに手を入れられるなどといった仕掛けがあれば、さらによかったかもしれません。
平:興味の有無に関わらず、いつの間にか繋がっている。アートに限らず文化の伝承ってそういうことなのではないでしょうか。僕がよく例に出すのは、じゃんけんの「最初はグー」の話です。今や当たり前のように日本中に浸透していますが、最初にやったのは、志村けんさんなのだそうです。強制しなくても自然に浸透していく、それってすごいことですよね。「日常にする」ってそういうことなのかなと感じています。
ちなみに、Tシャツはすごくいい例だと思います。2020年の秋に、日比野克彦さんがずっと使っていたアトリエがなくなるタイミングで、アトリエを保存するプロジェクトが立ち上がりました。アトリエの空間を3Dデータで残したりするのもちょっと違うよね、と、あれこれ考えていたときに、プロジェクトメンバーから出た案がTシャツでした。日比野さんは自分のプロジェクトや展覧会でもよくTシャツをつくるので、たくさん持っていて普段からよく着ています。手元に置いておけるものをつくって、主体性やそのプロジェクトへの思いを持った人たちに配ることで、長く持ち続けてもらえる。さらに着て歩くことで、他者が知るためのメディアにもなる。これもひとつのアーカイブの方法なのだなと感じました。
Tシャツをアーカイブのメディアとして採用することで、持ち運びのできないアトリエが分散的に所有され、記憶のなかで生かされていくという継承のあり方を提案した、日比野克彦氏のアトリエアーカイブプロジェクト
デザイン:猪飼俊介
画像提供:藝大アートプラザ
嘉村:最近、活用がなされてきたのは、鳥獣人物戯画でしょうか。カエルやウサギなどがキャラクター的に抽出されて、有名キャラクターとともにTシャツや手ぬぐいなどへのプリントしたパロディ作品など(註7)さまざまなコンテンツに使われていますよね。マンガ的なわかりやすい魅力がありますし、そこからオリジナルに興味を持つ人が出てきていると思います。文化財ということを意識せずに、あれこれ使える状態は、今後のデジタルアーカイブが目指すべきあり方だと思います。
そのために著作権という問題は避けては通れないものですが、とはいえ、とにかく著作権フリーにしなければならないかというとそうではないと思っています。
パブリックドメイン作品として、さまざまなグッズに展開され人気を博す鳥獣人物戯画
Kyoto National Museum, Public domain, via Wikimedia Commons
平:権利処理に関しては、ユーザーに手間をかけさせないことが一番重要だと思っています。クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(註8)はその手間を省く手立てでもありますが、結局のところ、そのルールに則るためにはルールを理解しなければならないし、著作権者を表示すれば自由に使用できるというクリエイティブ・コモンズ・ライセンスのひとつである「CC-BY」も「わざわざ表記するのも面倒だからやっぱり使うのはやめておこう」と、かえって弊害化しているところもある気がしています。
ブロックチェーンで権利処理を自動化? 活用をシステムが後押し
平:一番いいのは、そういった権利処理関係の面倒ごとを勝手に済ませてくれるシステムができることですよね。使いたい画像をドラッグ&ドロップしたら、画像と一緒に表記しなければならない権利情報などが自動的に紐づいてくるような。さらに言うと、権利者への還元も自動的になされるような、そんな仕組みができないものでしょうか。
嘉村:ブロックチェーン技術によるスマートコントラクト(註9)がまさにそうですね。スタートバーン(註10)が自社で運営するサイトで、NFTアート作品の流通管理にスマートコントラクトの導入を試みています。ただ、NFTとは実際には単なるテキストデータなので、画像データとは別もの。NFTアート作品の画像はコピーしようと思えばできてしまうのです。
ブロックチェーンシステムは金融をはじめさまざまな分野に生かそうと試行錯誤されているものの、まだ発展途上な技術なので、今一番先駆けているのはスタートアップ企業です。ユニコーン企業と言われる、若手中心の企業ですね。古い組織は新しいものにはなかなか手を出しません。
ただ、そんななかで葛飾北斎の作品をNFTアート化して販売したのが、大英博物館です。2,000万円の値がついているような作品もありますが、同作品の画像はヨーロピアーナにパブリックドメインで公開されています。画像はお金を出さなくても手に入る、その作品をあえてNFTで販売したり購入したりするその意味は何なのか。興味深いですよね。
平:それだけの値がつくのは、オリジナルとはまた違う付加価値があるからですよね。北斎のオリジナルにどれくらいの値がつくのかわかりませんが、そもそも、版画作品なのでオリジナルも複数あります。随分昔に著作権は切れている作家の版画作品をネタにしたのは、NFTというシステムへの挑戦ともとれます。
大英博物館が北斎作品をNFTで販売するサイト「laCollection」の作品販売ページ(左)。ここでは値がつく北斎作品だが、同絵柄の作品画像は作品「諸國瀧廻り・和州吉野義経馬洗滝」として、無償でColBaseでも提供されている(右)。
出典:laCollection(会員登録後に左図のページが表示される)、ColBase
嘉村:先ほどのTシャツの話とも繋がりますね。同じものでも、世の中との導線の繋げ方でこれだけ変わる。NFTの場合の付加価値はコミュニティなんだと思います。大英博物館が公式に認めたトークン(暗号資産)として北斎作品を所有したことで、同じシリーズを所有している人同士のコミュニティができる、そこに価値があるわけです。そう考えると、リアルのアート作品を所有することと同じですよね。
平:そうですね。アートを所有することによって、アートをたくさん所有しているハリウッドスターと交流できるかもしれない、さかのぼれば、茶人や数奇者だってそう。いいものを持っていればいつか利休の茶席に呼ばれるかもしれない。そんな期待があったのでしょうね。
NFTシステムをおもしろがっている例で言うと、ダミアン・ハーストが2021年にリリースしたNFT作品「The Currency」(通貨)も興味深いですよ。NFT作品として購入した作品には実は実物があり、購入の1年後に、NFTのまま持ち続けて実物を破棄するか、あるいは実物と交換してNFTを破棄するか、所有者は選択を迫られる。これもまた、NFTへの挑戦的な作品ですね。
嘉村:芸術情報センター長として、元上司でもあった藤幡正樹先生が今年のアルスエレクトロニカで賞を獲った(註11)「Brave New Commons」もおもしろいですよね。ひとつの作品に対して作家が価格設定をして、期間中に同じ作品を購入した人の数で、その価格を分割して支払うというルールです。同じ作品を所有する人が多ければ多いほど、一人ひとりの負担額は下がっていく。デジタルならではの、分散所有というあり方を提示した作品です。
デジタルアーカイブの分野でブロックチェーンの話が全然されていないことに僕は疑問を感じています。ブロックチェーンというと投資など、お金にまつわるものというイメージが先行していますが、コンテンツ流通のための基盤技術なので、デジタルアーカイブの分野にも有効なはずなのです。そろそろ議論していくべき時期ではないかなと感じています。
平:大学は企業ほどマネタイズを考えなくていいはずなので、そういった先進技術を使った実験的な試みも、積極的にできるといいですよね。
(脚注)
*1
Google Cultural Instituteと連携する2,000以上の施設やアーカイブにアクセス可能なサービス。世界中の文化遺産をオンラインで紹介することを目的とし、非営利で活動を行っている。
*2
日本におけるデジタルアーカイブに関連するトピックスを扱う書籍シリーズ。村田良二氏がColBaseについて執筆するのは『デジタルアーカイブ・ベーシックス 4「アートシーンを支える」』(勉誠出版、2020年)。同書には嘉村氏は責任編集として、平氏は執筆者の一人として携わっている。
*3
当時の通商産業省の景気対策補正予算による「先導的アーカイブ映像制作支援事業」(平成10年度補正、約20億円)では、日光東照宮や源氏物語絵巻などの美術品を対象にしたコンテンツが制作されている(通商産業省機械情報産業局新映像産業室監修、新映像産業推進センター編集『デジタルアーカイブ「先導的アーカイブ映像制作支援事業」報告』ニューメディア、1999年)。その他にデジタルアーカイブセンターネットワーク構築化事業(平成11年度補正)、デジタルアーカイブを活用した教育の推進(平成11年度補正)、総務省では地方公共団体におけるデジタルコンテンツの制作に対する財政支援として、「地域IT推進のための自治省アクション・プラン」(平成12年度特別交付税:約5億円、平成13年度特別交付税:約10億円)などがある(デジタルアーカイブ推進協議会『デジタルアーカイブ白書2003』)。
*4
一般に奈良の大仏として知られる東大寺盧舎那仏像は、天平時代の造立であるが、度重なる焼損により、像の胴体上部、両手、頭部などは16〜17世紀の再建時に制作されている(松山鉄夫「東大寺大仏調査概要」『仏教芸術』13、1980年、『奈良六大寺大観』第十巻 東大寺 二、岩波書店、1968年ほか)。
*5
「ワラッテイイトモ、」については以下に詳しい。
五十嵐太郎「白昼の怪物──彼岸と接続されるテレビ<個室<都市<テレビ」「10+1 DATABASE」
https://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/1138/
*6
ジャパンサーチは国内さまざまな公的機関のデジタルアーカイブを横断検索できる、国内最大級のデジタルアーカイブ検索システム。2022年3月末時点で、33の連携機関による170のデータベース、約2,530万件のメタデータを検索可能。掲げられている方針は下記で確認できる
「ジャパンサーチ戦略方針2021-2025 「デジタルアーカイブを日常にする」」
https://jpsearch.go.jp/about/strategy2021-2025
*7
例えば、2019年にはユニクロからポケットモンスターのキャラクターが鳥獣人物戯画風の絵柄で描かれた絵がプリントされたTシャツが販売された。以下はミッフィーと組み合わされた例。
「miffy×鳥獣戯画」マリモクラフト株式会社
https://marimocraft.co.jp/miffy2020/
*8
インターネット時代のための新しい著作権ルール。作品を公開する作者が、他者が作品を一定の条件のもとで自由に使えるようにするための意思表示ツール。CCライセンスを利用することで、作者は著作権を保持しながらも作品を流通させることができ、受け手は条件の範囲内で再配布やリミックスなどをすることができる。
*9
ある契約・取引について「特定の条件が満たされた場合に、決められた処理が自動的に実行される」といった、契約履行管理の自動化のこと。
*10
スタートバーン株式会社。アートのためのブロックチェーンインフラ「Startrail」を構築し、アート作品の証明書発行や来歴管理、売買履歴や規約をブロックチェーンで管理する自社サービス「Startrail PORT」(旧「Startbahn Cert.」)を運営。
*11
アルス・エレクトロニカのコンペティション「プリ・アルスエレクトロニカ 2022」にて、インタラクティブ・アート部門 オノラリー・メンションを受賞した。
https://calls.ars.electronica.art/2022/prix/winners/10848/
※URLは2022年9月8日にリンクを確認済み