新型コロナウイルス感染症(COVID-19)との対峙も3年目に入り、ポストコロナを迎えつつある2022年。海外のアニメーション・シーンでは、アニメーション映画祭がオンラインからこれまで通り現地で開催されるなど、コロナ禍前の様相を取り戻しつつある。そんななかで活況を示しつつあるのが長編アニメーションをめぐる状況だ。映画祭を中心に近年話題の作品から日本未公開のものを、テーマに沿って紹介する。

『Charlotte』(2021年)ポスター

過去、筆者は本サイトにて、「日本でこれから観られるべき、海外長編アニメーションの新しい傑作たち[2019年]」(2019年12月20日公開)「コロナ禍に鈍く光を放つ、実験場としての長編アニメーション[2021年]」(2021年10月25日公開)という2本を書き、(記事公開当時の段階で)日本で未公開のままとなっていた世界の長編アニメーションを紹介してきた。今回の記事はその「続編」である。

2019年に発表した最初の記事を今読み直すと、景気の良いことが書いてある――2010年代、世界の長編アニメーションのクオリティが格段に上がりつつあるなかで、日本でも過去、例を見ないくらいにバラエティ豊かなラインナップで公開されるようになった、というのだ。しかし、そのような「幸福な」状況は、悲しいことに、新型コロナウイルスの感染拡大によってすぐ途絶えてしまう。長編アニメーションは製作するほうも配給するほうも、先行投資のギャンブルに手を出すようなものであり、コロナ禍による映画館への集客低下は、そのギャンブルから勝ち目を奪ってしまう。

2つ目の記事が書かれたのは、コロナ禍以後の状況においてである。筆者は海外のアニメーション映画祭に行くことで新たな長編アニメーション作品を観たり、口コミで情報を仕入れたりするわけだが、その映画祭という場自体がオンライン化することでカジュアルな情報交換がしづらくなったり、新型コロナウイルスをめぐる状況が落ち着いてからの発表を目指し製作側が出し控えをするような状況が続いた。そんななかでも、実験的な表現が花開く場として、長編アニメーションがおもしろい場でありつづけていたことが印象に残った(日仏共同製作ではあるが、その記事で紹介した山村浩二監督の初長編『幾多の北』はアヌシー国際アニメーション映画祭のコントルシャン部門やオタワ国際アニメーション映画祭でのグランプリなど、今年華々しい成果を残している)。

2022年6月、筆者は、世界最大最古のアニメーション映画祭であるアヌシー国際アニメーション映画祭に参加することができた。3年ぶりのことだった。2020年はオンライン開催、2021年はオンラインと現地のハイブリッド開催だった同映画祭は、2022年、完全に現地開催となった。フランスではもはやマスクの着用義務もほぼなく、パーティーも規制なく開催され、(映画祭が申し訳程度に上映会場内でのマスク着用をお願いする以外は)コロナ禍以前の映画祭の姿に戻った。長編作品も20本以上が上映され、活発に意見もかわされた。

ポストコロナの時代に突入しつつある今、世界の新たな長編アニメーション・シーンでは、冬眠から目覚めたかのように、数々の名作がリリースされるようになった。興行的な観点ではまだまだコロナ禍のダメージから完全に立ち直れているわけではない日本の映画業界――とりわけ買付が必要な海外作品の配給は円安によってさらにハードルが上がってしまっているのだ――ではあるのだが、ひとつでも多くの作品が日本配給されることを願って、近年の注目すべき日本未公開作品を、2022年のアヌシー国際アニメーション映画祭で上映されたもののなかから、いくつかのテーマに沿って選び、紹介していきたい。

そこで「生きた」人たちを描く――アニメーションによるバイオグラフィー・ドラマ

近年の大人向け長編アニメーション作品の定番のひとつとして、実話をベースにしてつくられるものがある。その多くは戦争や政変を始めとする社会の激変のなか、何とか懸命に生き抜こうとした個人の小さな生に焦点を当てるものだ。近年は日本でも、『FLEE フリー』(2022年)、『ジュゼップ 戦場の画家』(2021年)、『FUNAN フナン』(2020年)などこのジャンルでの良作の公開が相次いでいる。

アニメーションによる伝記ドラマの最新の成果が『Charlotte』(Eric WARIN・Tahir RANA監督/ベルギー=カナダ=フランス/2021年/長編部門入選)である。本作は、26歳の若さでアウシュヴィッツ強制収容所にて命を絶たれたユダヤ系ドイツ人女性画家シャルロッテ・サロモンの人生を描くものだ。サロモンは生前100枚以上の水彩画(そこには日々の日記も記されており、グラフィック・ノベルの始祖とみなされることもある)を遺しており、「画家版のアンネ・フランク」とみなされることもある女性である。『Charlotte』は、シャルロッテ(キーラ・ナイトレイが声を演じている)の人生を報われぬ情熱の連続として語る。外科医の父親は絵を学びたいというシャルロッテの夢を反対し続ける。ようやく入ることができた美術大学も、ユダヤ系ということで追われてしまう。愛した家庭教師の男性にはフィアンセがいる。ナチスから逃れるために保護された祖父からは虐待を受ける(祖父とサロモンとのあいだの物語は衝撃的な結末をたどることになる)。疎開先での恋人とのあいだに子どもをもうけ、ようやく幸せを見つけたと思った瞬間、ナチスにより発見され、シャルロッテの命は失われる。本作のアニメーションで印象に残るのは、その「表情」の描写である。思わぬ事態に遭遇したときのサロモンの表情は、アニメーションが陥りがちな記号的な感情表現からはほど遠い。一方で、実写の俳優ではとてもできないような、作為では及ばない表情をするのだ。サロモンのこの驚愕の表情こそ、情熱とその断絶の繰り返しとして語られる本作のドラマ性を劇的に高めている。

『Charlotte』予告編

アニメーションによる伝記ドラマというジャンルがヨーロッパ製アニメーションに多い印象があるなか、『Chun Tae-il: A Flame That Lives On』(Jun-Pyo Hong監督/韓国/2021年/コントルシャン部門審査員特別賞受賞)は異質な作品である。韓国の著名な労働運動家チョン・テイルの人生を描く本作は、戦後の韓国の発展とそれが犠牲にしてきた人々の姿を描き出す。本作が最も印象的なのは、その映像表現が、きわめて新海誠的なものであるということだ。現実の韓国の都市を丁寧に描く背景や美しい光の表現は、まるで新海誠が手掛けた建築会社のCMのようなきらびやかさを感じさせ、低賃金で苦しみながら働く労働者たちの日常を、かけがえのない輝かしさで浮かび上がらせていく。コミックス・ウェーブ・フィルムも制作に参加した中国版『秒速5センチメートル』(2007年)とでもいえる『詩季織々』(2018年/変わりゆく上海とそこで生きる人々の姿を描く)と並ぶ、急激に変化する現代社会のなかで生きる人々への讃歌としての作品だということもできるだろう。

現実のチョン・テイルは焼身自殺によってその生涯を閉じるという事実が、本作をなによりも衝撃的なものとする。彼の自殺は労働環境の不公平を告発するためのものであるわけだが、本作もやはり、最終的にその焼身自殺の行為自体を描き出す。あまりに貧しすぎて人の家の軒下で暮らしていた幼い頃のテイルの生活や彼が最終的にその生命を捧げることになる仲間たちの労働環境もまた、輝くものとして描かれる。もし「『秒速5センチメートル』メソッド」があるとして、それが苦しみや悲しみを抱える若者たちとそれを包み込む都市の姿を刹那かつ貴重なものとして描くものだと定義するのだとすれば、『Chun Tae-il: A Flame That Lives On』はその方法論が持つ可能性を徹底的に広げたものであると言うこともできるだろう。新海誠的なキャラクターの真っすぐさも、労働問題に身を捧げる真っすぐな心の描写にマッチするのだ。

『Chun Tae-il: A Flame That Lives On』予告編

2022年のアヌシー国際アニメーション映画祭では、ほかにも同ジャンルの作品が目立った。長編部門で審査員賞を受賞した『No Dogs or Italians Allowed』(アラン・ウゲット〔Alain UGHETTO〕監督/フランス=イタリア=スイス/2022年)は、とぼけた造形の人形アニメーションを用いながら、第二次世界大戦前、ヨーロッパにおいてイタリア系移民労働者がいかに過酷な扱いを受けていたのかを、監督自身の祖父の人生を語ることを通じて描き出す。ラトビア出身のシグネ・バウマネは、自分の親族たちのうつ病傾向を描く『Rocks in My Pocket』(2014年)に次ぐ2本目の長編『My Love Affair with Marriage』(ラトビア=アメリカ=ルクセンブルク/2022年/長編部門審査員特別賞受賞)で、社会主義圏における「女性はかくあるべし」という規範がいかに自分自身の生(と性)を捻じ曲げたかを、自分の半生を振り返りつつ語る。現代美術の領域でも評価を受ける中国のアニメーション作家レイ・レイの初の長編アニメーション『Silver Bird and Rainbow Fish』(アメリカ=オランダ/2022年/コントルシャン部門入選)は、自分の父親へのインタビュー音声をベースに、クレイ・アニメーションと当時の印刷物のコラージュを用い、文化大革命の時代を生き延びた自分の父親の幼年期の記憶を再構築する、アニメーション・ドキュメンタリーの分野の最新の成果となっている。

『No Dogs or Italians Allowed』予告編

『My Love Affair with Marriage』予告編

『Silver Bird and Rainbow Fish』予告編

瞳を奪う、視聴覚体験としての長編アニメーション

2022年のアヌシー国際アニメーション映画祭では、個性的なアート・スタイルを持った「作家」として定評のある監督による待望の新作もお披露目されていた。『Unicorn Wars』(スペイン=フランス/2022年/長編部門入選)は、スペイン出身のアルベルト・バスケス監督による2本目の長編だ。バスケスはもともとグラフィック・ノベル作家として著名で、自らの生まれ育った街のダークな現実を、かわいいデザインのキャラクターを用いながらシュールでグロテスクに描いていく作風で定評があった。2010年代の初頭からアニメーション制作に乗り出したバスケスの短編作品や初長編『サイコノータス 忘れられた子供たち』(2018年)は、筆者もイベントや映画祭など限定的なかたちではあるが、長年にわたって紹介してきている。『Unicorn Wars』の舞台となるのは、ユニコーンたちを倒そうと目論むテディベアたちの軍隊である。徴兵された兄弟を中心とする数々のテディベアたちが特別作戦へと送られ、狂気のなかで破滅していく様子を、本作はきわめてカラフルかつグロテスクに描いていく。前述のように、キャラクターデザインは途方もなくかわいい(キャラクター自身もそのかわいさに自覚的である)。しかし、彼らを襲う数々の危機は想像を絶するほどに容赦ない。キュートさとグロテスクさのこの圧倒的な落差が、ブラックななかでもとりわけ濃いユーモアと、身の毛もよだつような恐怖心を生み出していく。現在進行系でロシアによるウクライナ侵攻が進むなか、本作はもしかすると、ある種のドキュメンタリー性を宿してしまっているのかもしれない。

『Unicorn Wars』予告編

2013年発表の長編『父を探して』により日本でもファンの多いブラジルの作家アレ・アブレウの最新長編『Perlimps』(ブラジル/2022年/アヌシー国際アニメーション映画祭の特別上映枠にてワールド・プレミア)は、過去作でも定評のあった独特のカラフルな世界観と社会的なメッセージの融合を、さらに一歩進めて深化させたような作品だ。魔法の森のなかで、太陽の国と月の国のスパイである子どもの動物たちが出会う。2つの国は敵国同士だが、巨人族に対抗するためのスーパーパワー「パーリンプス」を発見するために2人は協力しあい、森のなかを進んでいく。ほぼ全編が森のなかで進行する本作を鑑賞する体験は、光と色と音の熱帯林のなかを進んでいくようなゴージャスなものである。前作に続き音楽も印象的で、目も心も体も持っていかれる鑑賞体験を約束する作品だ。ネタバレになるので詳細を言うことはできないが、『父を探して』同様の驚きの展開が後半には待ち受けており、それを通じて、厳しい現実のなかでどのようにして希望を抱きうるのか、勇敢な気持ちを持ち続けることができるのかを語ってくれる前向きな作品でもある。

『Perlimps』予告編

もともと力量に定評のある作家が、自らのユニークな世界観を薄めることなく長編として展開しきったこれら2本の長編は、「目に嬉しい」豪華な視聴覚体験を保証してくれる。両作ともに日本公開が決まっているとも噂されているので、映画館の豪華な環境で、暗闇に浸りながら画と音を浴びる経験ができることを楽しみに待ちたいところだ。

映画表現としての成熟――記号的ではなく、厚みのある身体を描く

これまでの2項では、アニメーションによる伝記もの(およびアニメーション・ドキュメンタリー)、さらにはユニークな作家性の長編というフォーマットでの発揮という近年の長編アニメーションの特徴の最新の成果について語ってきた。最後に紹介したいのは、「未知なる」方向に足を踏み出す作品群である。アニメーションを専門とはしない作家が長編アニメーションに取り組むことにより発見された、新たなる美的な原理とでも言うべきものを、以下の2作は掘り下げているように思える。

『Blind Willow, Sleeping Woman』(フランス=ルクセンブルク=カナダ=オランダ/2022年/アヌシー国際アニメーション映画祭長編部門審査員特別賞受賞)は、村上春樹原作ものとしては初のアニメーション作品として話題になっている。フランス気鋭のスタジオMiyu Productionが初めて本格的に手掛ける長編である本作は、CGアニメーションのパイオニアのひとりピーター・フォルデスの息子、ピエール・フォルデスの長編アニメーションデビュー作でもある。

本作の脚本は、監督であるフォルデス自身が村上春樹の初期の短編から、タイトルにも使われている「めくらやなぎと眠る女」や「かえるくん、東京を救う」など数本を混ぜ合わせて執筆したもので、架空の日本を舞台にして展開される群像劇を語る。物語の中心となるのは東日本大震災後に失踪した妻と「ワタナベ・ノボル」という名の猫を探す男と、その同僚の男――巨大なカエルに帰宅を待ち伏せされ、一緒に東京を救おうと誘われる――の2人だが、その彼らを含め登場人物たちは誰もが凡庸で、きわめて普通で、特筆すべき特徴がない(妻が男を捨てるのも「空っぽ」であるからだ)。しかし、この長編の長い旅路を彼らとともに過ごしていくと、その「何でもなさ」にリアルな肉体が感じられるようになってくる。作画にロトスコープが使われていることもその理由のひとつであるだろう。

近年、ロトスコープが日本でも新しい展開を見せつつある。2019年のオタワ国際アニメーション映画祭の長編部門でグランプリを獲得し日本でもスマッシュヒットとなった岩井澤健治監督の『音楽』や、現在Miyu Productionとシンエイ動画が国際共同製作で進めていると報じられている『化け猫あんずちゃん』(山下敦弘・久野遥子共同監督/いましろたかし原作)は、アニメーターの想像力を超えた人間の無意識的な動きをすくい上げることで言語化できない豊かさを入れ込もうとする方法論としてロトスコープを導入しているが、『Blind Willow, Sleeping Woman』における肉体も、そのような「豊かさ」に溢れている。その「豊かさ」は、言うなければ中年の贅肉のような「豊かさ」――アニメーションがこれまで決して中心的に描いてこなかったもの――であるという意味では、前々回の記事で紹介した『新しい街 ヴィル・ヌーヴ』(2020年)とも通じ合うところがある。『Blind Willow, Sleeping Woman』が語るのは、一般的に価値を持たないと思われる存在(空っぽな中年男性)が自らの存在を緩やかに肯定できるようになるまでの物語であるわけだが、贅肉的な存在を「豊かさ」として受け入れる本作においても、ロトスコープはこれまでにない新しさを発揮しつつある。

『Blind Willow, Sleeping Woman』予告編

本作と並んで、長編アニメーションが人間を描くやり方を新たなレベルに持ち上げつつある作品として特筆すべきなのが、『No.7 Cherry Lane』(香港/2020年/過去、東京国際映画祭を含む各国の映画祭で上映されたバージョンを監督自らがブラッシュアップしたディレクターズカット版)だ。香港映画界の巨匠ヨン・ファンが自らの過去に捧げて書いた小説を原作とする本作は、「鈴木清順がアニメーションを手掛けたら」とでも形容できるような、美的に大胆で、エロスに溢れた作品となっている。『Blind Willow, Sleeping Woman』が中年男性の「贅肉」を描くとすれば、『No.7 Cherry Lane』は中年女性の美を描き出す。本作は、『夜行バス Night Bus』(2011年)など台湾で活躍する気鋭のホラー・アニメーション作家ジョー・シェーなどがアニメーション監督を手掛けている。メインで使われているのはCGだが、リアリティを高めていくのではなく、予算の制約を逆手に取ったかのような美的水準を高めていく演出によって、目を惹く表現を連発する。とりわけ印象的なのは、カメラワークやキャラクターの身体がスローなペースで動くということで、その緩やかさとテンポの良さは、官能性を高めるかのように細部までコントロールされている。主人公の中年女性と恋に落ちる若い男は整った肉体をしているが、彼らの動きもまたCGでモデリングされたゆえの表層性を逆手に取ることで、輝かしいほどの美的な表現へと高められている。

本作は、世代の異なる男女同士の三角関係を描くことで、1960年代、中国本土での文化大革命の余波で香港でも旧世代が新世代に駆逐されようとする時代をも描いていく。夢幻性の高まっていく後半、ドローイング・アニメーションや絵コンテも交えていく本作は、アニメーションというメディア(とりわけ低予算ゆえの制約)に意識的であることが、王道のアニメーション作品が決して描いてこなかった表現を発掘しているという意味においてきわめて興味深い。2010年代から続くアニメーション長編の表現の文法の進化と発展が、本作によってまた新たな次元に推し進められたということさえも言えるだろう。『Blind Willow, Sleeping Woman』同様、大人向けのアニメーションがひとつの成熟を見せつつある状況が生まれているのだ。

『No.7 Cherry Lane』予告編(2019年公開版)

※URLは2022年11月30日にリンクを確認済み