eスポーツが盛んになるにつれ、プロ選手同士の試合を鑑賞するという、新たなゲームの楽しみ方も広がっている。ゲームというバーチャルな世界でありながら、人間同士の戦いによって生まれるドラマが魅力だ。2019年2月、『鉄拳7』の大会でパキスタンの選手が優勝したことで、eスポーツ界に衝撃が走る。その後、大荒れの様相を見せた2019年の『鉄拳7』のeスポーツシーン。1年のあいだに、パキスタン旋風が与えた影響とは。パキスタンへ武者修行に行くなど、常にその渦中にいたチクリン選手に取材を行った。

パキスタン選手特有の指のフォーム
画像提供:株式会社アイアンフィスト

eスポーツで広がる「観戦」の楽しみ

eスポーツはテレビゲームを扱ったイベントや大会、競技などの総称であるが、一般的なゲームプレイヤーにとって新しい楽しみ方も提案している。それは、他の人がプレイしているゲームを観戦するというものだ。厳密にはeスポーツが注目される以前から、オンライン配信でゲーム実況など、ゲームを観戦する文化があったことはあったが、高い技術を持つプロ選手が活躍する大会の配信を観るというのはeスポーツならではだ。

これはフィジカルスポーツと同じ状況であり、応援する文化が根付いてきたと言える。例えば野球の場合、プロ野球を観戦しているファンの多くは野球を経験した人たちであるが、まったくプレイしたことがなく、ルールさえよくわかってない人も多い。2019年に行われたラグビーワールドカップでは、日本チームの躍進により、多くの人がテレビの試合中継にくぎ付けとなったが、すべてのルールを把握し、細かい戦術まで理解している人は少なかっただろう。スポーツそのものを知らなくても、世界で活躍する日本チームや日本人の存在、選手のバックボーンを知ることで、応援したくなるものだ。

eスポーツもその点でいえば同じだ。現在、eスポーツ大会の動画配信を観ている人の多くは、大会で使用されているゲームタイトルをプレイしていたり、そのゲーム自体のファンであったりすることがほとんどだ。しかし、ゲーム自体を知らずにeスポーツ配信を観ている人もいる。例えば、選手の親であったり、チームスポンサーの企業に勤めている人であったり。ゲームに興味がなくても、プレイしている選手のeスポーツへの姿勢や真剣さは見て取れるだろう。少し掘り下げて見てみると、そこでプレイしている選手が浮き上がってくる。ゲームを使った競技ではあるものの、そこで戦っているのは選手であり、人間であるわけで、そこにドラマが発生する。

2019年、eスポーツ界で話題騒然となったニュースがあった。それは対戦格闘ゲームの『鉄拳7』(2015年)の大会「EVO Japan 2019」で起こったものだ。『鉄拳7』は日本のゲームメーカーであるバンダイナムコエンターテインメントがリリースしている人気シリーズの最新作で、シリーズはすでに20年以上の歴史を誇る。古くから大会が開かれており、すでに有名プレイヤーも存在する。特に発祥国の日本と鉄拳修羅の国と呼ばれる韓国の実力は高く、この2カ国を中心に鉄拳シーンは回っていた。そこに、先の「EVO Japan 2019」でパキスタンのArslan Ash選手が彗星のごとく登場し、優勝をかっさらっていった。優勝コメントの「自分よりも強い人は自国にごろごろいる」という発言から、一気に鉄拳界は騒然となった。

このパキスタン旋風について、『鉄拳7』のプロライセンス保持者で、日本トッププロプレイヤーであるチクリン選手の目にはどう映っていたのか、話をうかがってきた。鉄拳のパキスタン旋風とは何だったのか、そしてその渦中にいたチクリン選手はどのように思ったのか。

チクリン選手は「EVO Japan」に出場するまで、パキスタンの選手については、あまり知らなかったと言う。実際に手合わせをしたことがなく、彼らの試合を観たこともなかったが、韓国のトッププレイヤーであるKnee選手やLowHigh選手に勝ったという情報は耳に入っており、気にはなっていたそうだ。ただ、短期決戦にありがちな勢いで乗りきったのか、実力に裏付けされたものであるかは、「EVO Japan」で対戦するまでは判断できなかったとのことだ。

ファイナリストの8人に残ったとき、Arslan Ash選手がいることで強いパキスタン人がいることを思い出しました。いざ対戦してみると、今までプレイしてきた誰とも違う距離感を持っており、私が使用するギースというキャラクターの対策もこれまでにないものでした。とにかく反応が速く、スカ確(註1)や確反(註2)など、他の人が間に合うか間に合わないか微妙なタイミングでもしっかり反応をしてきました。戦い方自体が違うと感じました。(チクリン選手)

それまでパキスタンのことはあまりわかっていなかったうえ、パキスタンはeスポーツと無縁の国だと勝手に思っていたという。それはチクリン選手だけでなく、多くの人が感じていたことだ。現在でも、eスポーツに詳しくなければ「パキスタンで『鉄拳7』などのeスポーツタイトルが流行っており、世界レベルの強豪がいる」と言われてもピンとこない人が多いはずだ。その後、韓国で開催された大会「ROXnRoll Korea 2019」に参加する前に、Arslan Ash選手が来日した。チクリン選手はArslan Ash選手に10本先取の試合を挑んだが、結果は敗北。Arslan Ash選手の強さを再確認するに至った。

「EVO Japan」で優勝したArslan Ash選手
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チクリン選手、武者修行へ

チクリン選手は、チームスポンサーに渡航費と滞在費の捻出を願い出るとともに、同行予定の黒黒氏が実行したクラウドファンディングを活用して、パキスタンへ乗り込んだ。

パキスタンの鉄拳コミュニティは、初めて海外から鉄拳のプロ選手が訪れるということで、歓迎の意を表しつつ、対戦相手として十分な対策も練っていた。初日の対戦からパキスタンのトッププレイヤーが集結し、チクリン選手の使用キャラ、ギースに対峙した。チクリン選手が武者修行の場としてパキスタンを訪れたように、パキスタン勢もチクリン選手に対して最大の準備をもって迎え入れたのだ。

日本から20時間かけてパキスタン・ラホール空港に到着したチクリン選手(写真右)と黒黒氏(写真左)
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初日から強豪選手が次々とやってきて、勝敗的には負けが多かったと思います。Arslan Ash選手と同様に距離感のつかみ方が上手く、オフライン環境でやっていることもあり反応が良い。また、オフラインでやっていることで、その場でいろいろな意見が交換でき、コミュニティの強さが違うと感じました。(チクリン選手)

パキスタンで行われたArslan Ash選手とチクリン選手の対戦
動画提供:株式会社アイアンフィスト

コミュニティの強さは、個々の選手の技量を高めるだけでなく、仲間としての絆も強くする。そうしたパキスタンの鉄拳コミュニティの強さが、Arslan Ash選手を「EVO Japan」へ送る際のコミュニティ全体でのバックアップや、パキスタンを訪れたチクリン選手に対しての空港での花を携えての歓迎につながったのだろう。

パキスタンは戦争とかのイメージが強く、行くまでは結構怖い国だと思っていました。空港や街中には、銃を持った警備員が確かにいて、日本とは違う緊張感はありましたけど、一人ひとりは本当に親切で、パキスタンにいるあいだは至れり尽くせりのおもてなしを受けました。街を歩いていても、日本人自体が珍しいというのはあると思いますが、よく声をかけてくれました。(チクリン選手)

チクリン選手を温かく迎えてくれたパキスタン勢
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帰国後、『鉄拳7』のワールドツアーである「TEKKEN World Tour 2019」の日本開催の大会「TOKYO TEKKEN MASTERS」が開催された。今回もパキスタンから選手が来訪した。件のArslan Ash選手は参加しなかったが、新たにAwais Honey選手とAtif Butt選手の2名が参加した。この両名はパキスタンでも有名な実力者で、チクリン選手もパキスタンで対戦しており、何度も負けていたという。

「TOKYO TEKKEN MASTERS」の結果は、優勝Atif Butt選手、準優勝Awais Honey選手とパキスタン勢のワンツーフィニッシュとなった。チクリン選手は日本人最高位の3位となったが、Awais Honey選手とAtif Butt選手の両方に敗北(註3)しての結果だった。

「TOKYO TEKKEN MASTERS」で優勝したAtif Butt選手(写真左)と準優勝のAwais Honey選手(写真右)

この両名が使用していたキャラクターは、『ストリートファイターV』(2016年)とのコラボレーションで実現したゲストキャラの豪鬼だ。豪鬼は登場時こそ無類の強さを誇っていたが、『鉄拳7』がアップデートする度に弱体化を繰り返し、当時は日本のトッププレイヤーから強くないキャラクターとして認識されており、使用する人はほとんどいなかった。ただ、弱体化したものの、難易度の高いコンボを成立させ、独特の立ち回りをすればまだまだ強い、ポテンシャルがあるキャラクターであった。

「TOKYO TEKKEN MASTERS」の決勝トーナメントでAtif Butt選手と対戦

パキスタン勢はこのポテンシャルを引き出すためにできる限りのことをし、豪鬼を強いキャラクターに仕上げていた。この大会により、パキスタン勢の強さがもはや疑いようのないものとなり、その強さの秘訣はコミュニティやその研究力、実践力の高さに起因することがわかった。

切磋琢磨して実力を上げた日本勢

パキスタンでの武者修行での経験が一番大きいんですけど、コミュニティの必要性を感じました。自分一人でやっていても強くなるには限界があるんだと。私がいる長崎は鉄拳のプレイヤーが多く、集まる場(ゲームセンター)もあるのですが、多くの鉄拳のプロ選手はオンラインで練習しています。そこで、日本でトッププロを集めて合宿ができたらと考えたわけです。その話に賛同してくれたTeamYAMASAのYuu選手が家を開放し、有志で集まったプロ選手8名での合宿が始まりました。(チクリン選手)

期間は長い人で2週間程度。泊まり組と通い組がひっきりなしに入れ替わり、毎日『鉄拳7』をプレイし続けた。お互いに気がついたことは忌憚なく指摘しあい、技術を高め合った。合宿の成果は、参加している選手が自ら感じ取れるほど大きかった。合宿序盤こそ勝敗にばらつきがあったものの、終盤では全員が同じくらいの対戦成績になるほど実力も拮抗した。

合宿直後に、1年間通じて行われた「TEKKEN World Tour」のポイント上位者のみ参加ができる「TEKKEN World Tour Finals 2019」がタイ・バンコクで2019年12月7・8日に開催された。「TEKKEN World Tour Finals 2019」は、バンダイナムコエンターテインメントが主催し、ストリーミング動画配信の同時視聴者数は約7万8,000人、優勝賞金7万5,000ドル(約800万円)と、「TEKKEN World Tour」の1年の総決算にふさわしい規模の大会だ。

Finalsに出場できるポイントランキング上位19名のなかには、パキスタンのArslan Ash選手やAwais Honey選手の名も連ねていた。また、最後のひと枠を争う当日予選では、パキスタンのBilal選手が勝ち抜く快挙を見せる。最後の最後までパキスタン旋風吹き荒れる「TEKKEN World Tour」となるかと思われた。しかし、チクリン選手をはじめとする日本勢の活躍で、決勝トーナメントのファイナリスト8名には、パキスタン勢の名は無かった。ちなみにファイナリスト8名は、韓国が4名、日本が3名、アメリカが1名となった。韓国もまたエースであるKnee選手がパキスタンへ修行に行っており、パキスタン勢対策を練っていたのだ。

決勝戦に残ったのはチクリン選手と韓国のUlsan選手。Ulsan選手は若手ながら次世代の鉄拳韓国勢を背負って立つ存在だといわれる若きホープだ。チクリン選手は「TEKKEN World Tour Finals」において、Arslan Ash選手やAwais Honey選手、Knee選手対策をしっかり練ってきていたが、強豪選手の対策のなかでとりわけ気に掛けていたのがUlsan選手だ。Ulsan選手はパキスタン勢がよく使用していた豪鬼を苦手としていたことをチクリン選手は知っており、対戦することがあれば出そうと密かに豪鬼の練習をしていた。チクリン選手は、豪鬼を対戦に出せるほどの練度を積んできた自信があったが、「TEKKEN World Tour」において一度も使用していないという懸念もあった。それでも自分を信じ、豪鬼を使ってUlsan選手を見事打ち倒し、優勝した。優勝の鍵となった豪鬼の練度を上げられたのもある意味パキスタン勢の存在があったからだと言えるだろう。そう考えてみるとやはり最後の最後までパキスタン旋風が吹き荒れた1年だと言える。

パキスタン勢が鉄拳シーンに与えたもの

新興のパキスタン勢により、大荒れの様相を見せた鉄拳のeスポーツシーン。終わってみれば、日本や韓国などの既存の強豪国までもが実力を引き上げ、ハイレベルな試合を展開するに至った。そして、その物語の中心に居たのが、チクリン選手であった。

一所懸命にやることをやっていれば、結果は後からついてくるということが体験できました。ただ、誰よりもやるべきことをやらなくてはならないとも思いました。一日一日ひとつずつ課題を作り、それをクリアしていく。ひとつできるようになったら、それをさらに修正していくんです。毎日の小さな積み重ねが大きな結果に繋がりました。(チクリン選手)

鉄拳パキスタン旋風は、eスポーツ界隈においても、数年に一度あるかどうかの出来事だった。しかし、それは偶然に湧いて出たものではなく、多くの選手たちの活動が積み重なった結果であり、それが大きなドラマになったのではないだろうか。そのような研鑽の蓄積が、これからもeスポーツの新しい物語を生み出していくのだろう。


(脚注)
*1
相手の攻撃が当たらないぎりぎりの間合いで、相手の攻撃が空振りをした際に生じる隙に反撃すること

*2
ガードした側が有利になる攻撃をガードした時に確実に反撃できる技、もしくはその技を繰り出すこと

*3
「TOKYO TEKKEN MASTERS」は、ダブルイリミネーショントーナメントなので、2回負けると敗退となる。