「「ゴジラ対ヘドラ」公開50周年記念 ゴジラシリーズを支えた特撮映画美術監督 井上泰幸展」が2021年7月17日(土)から8月29日(日)に佐世保市博物館島瀬美術センターで開催された。本展覧会は、東宝特撮作品の映像表現に多大な貢献をした井上泰幸の仕事にスポットを当てたものであり、特撮作品における「特撮美術」の位置づけとその重要性を紹介しつつ、その枠組みに収まらない井上のクリエイティビティを伝える展示となっている。
「「ゴジラ対ヘドラ」公開50周年記念 ゴジラシリーズを支えた特撮映画美術監督 井上泰幸展」 エントランス
九州凱旋
井上泰幸は『ゴジラ』(1954年)以降、円谷英二率いる東宝の特撮作品の現場で特撮美術としてその腕を振るった人物である。『ゼロ・ファイター大空戦』(1966年)では特撮美術監督に昇格し、以後もさまざまな作品に携わった。円谷の没後は東宝を離れて造形会社「アルファ企画」を立ち上げ、外注業者として映像作品に使用する造形物や展示模型などの作成を請け負いつつ、『日本沈没』(1973年)や『ゴジラ』(1984年、以下「84ゴジラ」)等の特撮美術監督を務めた。「84ゴジラ」では特殊技術スタッフとして第9回日本アカデミー賞特別賞特殊技術賞を、『竹取物語』(1987年)と『首都消失』(1987年)では美術として第11回日本アカデミー賞特別賞特殊技術賞を受賞している。特撮美術を統括する存在としてさまざまな特撮作品の映像クオリティを支え、多くの特撮美術スタッフを育成し後進を輩出した井上は、特撮史において避けては通れない巨星である。
そんな井上の活動に焦点を当てた「ゴジラシリーズを支えた特撮映画美術監督 井上泰幸展」(以下「井上泰幸展」)は、2014年に福岡県古賀市、2017年に神奈川県海老名市、2019年に東京都港区台場と、展示を変えながら日本各地で開催されてきた。今回の長崎県佐世保市での開催は4回目であり、341点の資料を用いた最大級の展示となっている。これまでの「井上泰幸展」は、井上の出身地である福岡県古賀市、アルファ企画の所在地である神奈川県海老名市と、井上ゆかりの地が開催地に選ばれることが多かった。今回の開催地となった長崎県佐世保市もまた、井上が戦時中に佐世保海兵団に入隊したこと、中国へ出征中にアメリカ軍の攻撃によって左足を失い、一時的に佐世保の海軍病院に収容されていたこと、戦後、井上が特撮美術スタッフとして頭角を現すきっかけとなった作品である『空の大怪獣ラドン』(1956年)の舞台のひとつであったことなど、井上とは縁浅からぬ土地である。また、1回目の福岡県古賀市以来の井上の故郷・九州での展覧会であることを考えると、今回の展覧会は「井上泰幸展」の流れのなかでは一種の凱旋展示とも位置づけられるだろう。
井上泰幸の私物の展示。『日本沈没』のヒットに際して東宝から贈られた感謝状や、『竹取物語』、『首都消失』で受賞した日本アカデミー賞の賞状を確認することができる
特撮美術という仕事
特撮美術は、特撮班の撮影で使用される被写体を作成する仕事である。例えば作品の世界観を構成するミニチュアセットの考案と作成は、その代表的な仕事のひとつである。ミニチュアセットが実際の街をモデルにする場合、特撮美術スタッフらによるロケハンで現地の写真や測量データが収集され、それらに基づいて建物の図面が引かれることとなる。この際、本物の図面を入手できることはほとんどないという。本物と見紛うような「リアルな」特撮シーンがつくられるかどうかについて、特撮美術スタッフの果たす役割は非常に大きいのである。島や山といった自然の地形に関してもロケハン写真などを基に作成されるが、人工物のような直線を基本とした構造ではないことから、より詳細な形状を監督やスタッフ間で共有するため、図面だけでなく検討モデルが制作される。これはミニチュアのミニチュアという入れ子状になった模型概念となっており、模型と特撮の関係性を考えるうえで興味深い事例と言えるだろう。これまでも数多くの特撮関係の展覧会が行われ、さまざまな中間制作物が展示されてきたが、地形の検討モデルの展示はかなり珍しい事例であり、ある意味では本展覧会の目玉展示である。
左:展示風景。写真右下は『キングコング対ゴジラ』(1962年)における国会議事堂の図面
右:「84ゴジラ」に登場する大黒島の検討モデル(写真左)と三原山火口の検討モデル(写真右)
現実の参照元がない架空の島や秘密基地などのミニチュアセットをつくる場合は、その空間・情景そのものを特撮美術スタッフが創造することとなる。俳優の出演する本編とも関わる部分については、特撮側と本編側とでのディスカッションを交えてつくられているとはいえ、現実の光景を再現するミニチュアセット以上に特撮美術の作品への寄与度が高くなっているとも言えるだろう。本展覧会では、井上によって制作されたイメージボードやデザインスケッチが多数展示され、特撮美術スタッフのイメージが映像として形になるまでの軌跡を垣間見ることができる。
展示風景。写真右は井上が特撮美術監督を務めた『怪獣総進撃』(1968年)におけるイメージボード
特撮のミニチュアセットのプランが設計される際、「どのようにセットを構築するのか」というミニチュアやセット全体の形状に関する検討だけではなく、「どのような素材を使うことが効果的か」、「そのセットにどれだけの予算を掛けるのか」についての検討も行われる。井上は特撮美術監督昇格後、このプラン設計を、イメージボード、セット図面、そのセットに使用する物品とそれにかかる予算を1枚の紙にまとめるという独自のスタイルで作成していた。本展覧会ではそのスタイルで作成された井上のセットプランを多数鑑賞することができる。この井上のセットプランは、特撮の現場を知らない鑑賞者の目から見ても「どのようなシーンを」、「どのようなセット構成で」、「どのような素材を使って」作成するのかを概観できるものとなっており、専門家である特撮美術スタッフの集まる現場のディレクションで非常に有効に機能したことがうかがえる。また、井上が多くの作品制作で関わった東宝では、カメラポジションをあらかじめ設定したうえでセットプランが構築されており、展示されている井上のセットプランにもカメラポジションが書き込まれている。ある意味で、完成作品においてどのような画が撮られるのかさえも、特撮美術がある程度コントロールしているのである。これらの展示を通して、単なるミニチュアの設計・造形職人というイメージを超えた特撮美術という職能の奥深さを理解することができるだろう。
展示風景。写真左が井上によるセットプラン
井上泰幸の仕事
被写体の制作を通して、特撮作品におけるイメージ創造に幅広く関わる特撮美術であるが、井上の活動は通常の特撮美術監督の職能の領域に留まらない。井上はセットプランを考案する際の手がかりとして、台本を基に自分自身で作成した絵コンテまで作成していた。これは実際の撮影に使うためのものではなく、あくまでもセットプラン作成用の参考でしかないが、絵コンテの作成は通常は監督、現在であればコンテマンの仕事である。『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)の絵コンテに至っては、台本に詳しい記載のないゴジラとヘドラのアクションのカット割りまでつくられており、監督に加えて殺陣師の職能さえ発揮していると言えるほどである。円谷の遺作となった『日本海大海戦』(1969年)では円谷が井上の絵コンテを発見し、井上曰く「ほとんどそのコンテ通りに撮影された」(註1)というエピソードも残されており、円谷の目から見ても単なる参考用に留まらない、撮影用にも耐えるレベルのクオリティのものだったようである。井上によれば「撮影コンテを待っていたら時間的に準備が間に合わない」(註2)ためにつくったものであるということだが、作品のクオリティアップのためには労を惜しまない井上の強いこだわりがうかがえる資料と言えよう。
展示の風景。写真右はゴジラとヘドラのアクション部分の絵コンテ
当時の東宝では特撮美術監督が怪獣デザインを手掛ける事例が多々あり、井上もまたいくつかの怪獣をデザインしている。本展覧会ではそのうち、エビラ、カマキラス、ヘドラのデザイン画を鑑賞することができる。カマキラスについては実物のカマキリのスケッチと、カマキラスとしての初稿、決定稿のデザイン画が残っており、「台本に合わせて既存の動物をベースにあまり飛躍しないものを考え」(註3)るという井上の怪獣デザインポリシーの下で、実際にどのようにデザインが行われていったのかをうかがい知ることができる。
展示の風景。写真右が現実のカマキリのスケッチ。写真左上がカマキラス初稿、左下がカマキラス決定稿
また、井上は被写体そのものだけではなく、オープンセットや洋上シーンで使用する大プールや、絵の具を水中に流し込んで噴煙を表現する場合などに使用する大水槽といった撮影設備そのものの設計も行っている。本展覧会では『日本沈没』において使用された渦潮発生装置や波起こし機のプラン図などを鑑賞することができる。水の動きという現象さえも、井上の存在あっての表現なのである。大水槽が実際にどのように使われたのかについては、展覧会場内で流されている海外のドキュメンタリー作品から確認できる。なお、井上が設計した撮影設備そのものは本展覧会では展示されてはいないが、須賀川特撮アーカイブセンターで『元の理』(1986年)の際にアルファ企画で制作された大水槽の実物を見ることができる。
左:展示の風景。写真左に波起こし機のプラン図と図面
右:噴煙撮影の様子を捉えたドキュメンタリー作品
現代によみがえる井上泰幸の技
これまでの「井上泰幸展」では展示されてこなかった本展覧会最大の目玉が、『空の大怪獣ラドン』に登場した岩田屋ミニチュアの再現展示である。作中でラドンが岩田屋の上に舞い降り、福岡の街を破壊する一連のシーンは『空の大怪獣ラドン』を象徴するシーンであり、それら福岡のミニチュアセットは、数ある東宝特撮作品のなかでも非常に高いクオリティのものとして知られている。同シーンは、近年のアニメーション作品である『ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉』(2021年)のラドン登場シーンにおいてもオマージュされている(註4)。本展覧会ではそんな岩田屋のミニチュアが、井上の弟子であり、本展覧会監修を担当する三池敏夫によって、オリジナルに忠実な設計で再現されることとなった。ミニチュアそのものの制作は数多くの特撮作品で造形に携わっているマーブリングファインアーツが担当している。劇中でラドンが立てるほどのサイズである1/20サイズのミニチュアは、そのディテールと巨大感で鑑賞者の「ミニチュア」概念を大きく覆すものである。この岩田屋ミニチュアを含めた福岡の街並みセット全体は当時の価格で700万円の予算が費やされ(註5)、岩田屋そのものの制作にも43日もの日数がかけられたという(註6)。映画が娯楽の頂点であった時代のミニチュアのなかでも、特に手間と時間がかけられたものと言える。岩田屋に飾られた看板に書かれた当時のミニチュア内の誤字さえも復元するほどの再現度を誇る今回の岩田屋ミニチュア展示を通して、「写真通りじゃないか!?」と円谷を唸らせ(註7)、円谷に一目を置かせることとなった井上の実力の一端を垣間見ることができるだろう。
左:岩田屋ミニチュアの全景
右:監修の三池敏夫によるギャラリートークの様子。岩田屋ミニチュアの大きさが非常に大きいことがよくわかる
岩田屋の垂れ幕や看板に書かれた絵や文字も、当時のミニチュアのものを完全再現している。写真左下の看板は「宮地崎 津屋岳」と書かれているが、「宮地岳 津屋崎」の誤字。この誤字も『空の大怪獣ラドン』当時の岩田屋ミニチュアにあったもの
今回の岩田屋ミニチュア展示を、同じ三池敏夫とマーブリングファインアーツが展示物制作、ディレクションを行ったミニチュア展示である「熊本城×特撮美術 天守再現プロジェクト展」(註8)の熊本城ミニチュアセットと比較すると、ホリゾント(背景画)が90度の向かい合わせでの接合ではなく曲面で繋げられており、背景としてより没入感が出やすいように工夫されている。特撮ミニチュアの展示方法もまた進化しているのである。三池による特撮展示で度々実施される、ホリゾントの雲の形状をキャラクターに似せる試みは今回も行われており(註9)、ホリゾントの隅々まで目が離せない。
左:ホリゾントの接合部分。やや凹んでいるものの、直角ではなく曲面で繋げられている
右:ホリゾントの雲。井上ゆかりの怪獣のように見える
また今回の岩田屋ミニチュア展示は、特撮と再現の関係性を考えるうえでも非常に興味深い展示となっている。当時の岩田屋セットは、ラドンの降下に伴って破壊されるミニチュアのため、壊れやすい素材である石膏などを用いてつくられており、「四方の壁面が一体となった」(註10)構造でさまざまなアングルからの撮影が可能なものであった。それ対して、今回の再現ミニチュアは、破壊を前提としない展示用であるため、木材をベースとした丈夫な構造となっており、『空の大怪獣ラドン』の岩田屋シーンで映っていた二面のみが制作され、ホリゾント側の二面については制作されていない。このように、今回の岩田屋ミニチュアは素材、構造両面において、厳密な意味で当時のミニチュアの「完全再現」ではないが、「『空の大怪獣ラドン』の当該シーンの映る岩田屋」としては「完全再現」されているのである。カメラアングルを設定し、用途に合わせた素材を選定したうえで「観客にいかにリアルに見せるか」、「要求される世界観をいかに構築するか」が追及されているのである。展覧会中の井上のセットプランに関する展示とも響き合う、非常に特撮的な再現展示となっていると言えるだろう。
左:岩田屋ミニチュアのディテールがつくられた前面と骨組みのみの背面の繋がりがわかるアングル
右:ホリゾント側から見た岩田屋ミニチュア
つくり出される「リアルな」世界
「「ゴジラ対ヘドラ」公開50周年記念 ゴジラシリーズを支えた特撮映画美術監督 井上泰幸展」は総じて、特撮美術という仕事の幅広さを鑑賞者に伝えるだけでなく、その特撮美術という職域における井上泰幸の特異性をも同時に伝えるものであった。今回の展示は東宝特撮作品に限定されたものであるが、井上自身は『ウルトラQ』(1966年)をはじめとする東宝以外の映像作品や、東武ワールドスクウェアの姫路城、熊本城のような映像作品とは異なる展示作品をも手掛けている。また、井上が設立したアルファ企画についても、スーパー戦隊シリーズの戦艦やマシン、ウルトラシリーズの超兵器などのプロップ制作を担当している。井上の代表的な仕事を取り上げている本展覧会ではあるが、その作品世界にはまだまだ広がりがあるのである。本展覧会開催の翌年である2022年には東京都現代美術館での「井上泰幸展」の開催が予定されているが、そちらではこれまでの「井上泰幸展」のノウハウを踏まえた、さらなる井上泰幸の仕事の広さを知ることができる展示となっていることを期待したい。
(脚注)
*1
キネマ旬報社編『特撮映画美術監督 井上泰幸』キネマ旬報社、2012年、143ページ
*4
日詰明嘉「怪獣FILE01 電波に導かれる翼竜のリアリティRODAN」「CGWORLD +digitalvideo」ボーンデジタル、2021年、vol.274、45ページ
*5
「東宝特撮美術デザイナー 井上泰幸+アルファ企画の仕事」「宇宙船」朝日ソノラマ、2003年、vol.107、39ページ
*8
本サイト記事「「熊本城×特撮美術 天守再現プロジェクト展」がもたらした熊本の街の再生」に詳細についての記述あり。
https://mediag.bunka.go.jp/article/article-14565/
*9
怪獣に見えるホリゾントの雲については、本サイト記事「「特撮のDNA 〜平成ガメラの衝撃と奇想の大映特撮」レポート」に記載あり。
https://mediag.bunka.go.jp/article/article-16194/
(information)
「ゴジラ対ヘドラ」公開50周年記念 ゴジラシリーズを支えた特撮映画美術監督 井上泰幸展
会期:2021年7月17日(土)~8月29日(日)
10:00~18:00(入館は17:30まで)
会場:佐世保市博物館島瀬美術センター
入場料:一般1,200円、中学生600円
小学生以下、障がい者手帳をお持ちの方と付き添いの方1名は無料
https://www.city.sasebo.lg.jp/kyouiku/simano/kikakuten/tokubetuten.html
あわせて読みたい記事
- 「円谷英二ミュージアム」レポート2019年11月15日 更新
- 「特撮のDNA~ゴジラ、富士山にあらわる~」レポート2021年9月9日 更新
- 2019年度 報告会レポート・実施報告書「アニメ特撮の中間制作物保存方法構築のための実践及び調査」アニメ特撮アーカイブ機構2020年4月20日 更新